見出し画像

今、振り返る。‐我が警備人生‐

先日。
医療関係者である親族の診療所のユニットを入れ替えるというのでクリニックからミナカタ機構への事業を通した下請け依頼という形にして立会・・・していたら、2t車のはずがバカでかいのが来て急遽交通誘導を行う事に。多分だけどアレ運搬物が「精密機械」だからつってそれ用のコンテナ配備したんだろうな。多分だけど。

とりあえず下積みで警備会社勤めてたあの頃を思い出しつつ事故らないように敬礼と声かけしつつ止めては流し止めては流し。専門用語で一人片側交互通行、略して一人片交 ひとりカタコウという。
おそらく最寄りの署に連絡でもいったのだろう、やけにパトカーが何回も往来する。敬礼に次ぐ敬礼。ていうかパトカー3台連続とか何よ。

しかし「昔取った杵柄」という諺があるが、一人片交とか何年振りだかわかんねえのにやたらスムーズに出来てしまう。体に染付いた技術というのは恐ろしいものだ。

結局3時間ほどで車両は撤収、立会もここからは別段必要ないということで撤収したわけだが、何というか、自分の警備人生とでもいうようなモノに思うところがあったわけだ。

経歴や当機構の設立の沿革にある通り、私は警備会社に勤めたのちに自ら警備会社を興し、それが現在の当ミナカタ機構の事業に繋がっている。
既に御依頼者の皆様においては周知の事だが、当ミナカタ機構においては実際の立会や同伴、また踏査や御依頼者様からの聴き取りまで事業において実働に係るシステムは代表である私の警備業における経験の影響が多大であり、又それによって「不測の事態」に対応する事が可能となっている。
当ミナカタ機構においては「警備業」として認可は受けておらず、よって警備業法に基づいた所謂警備契約・請負こそ勿論していないが、つまるところ警備業の経験には多大な影響そして恩恵を請けているのが実情だ。

そもそも警備自体は留学先から帰国してより自営業を本業としつつも閑古鳥だったので副業に始めたもので、理由も留学中に現地で警備のバイトでもやろうかなと思って調べたら「訓練学校卒業を以て免許を取得する必要がある」というので学校行ってcertificate取得していたのでバイトするにも多少有利かな?という程度で(周りには熱意があるように振舞ってはいたものの)当初は正直「あくまで副業」何なら「こいつはあくまでとっかかり!帰国子女たる俺はもっとBIGな仕事を手掛ける存在だ!」とか思っていた。

で、実際にやってみたところ、有体に言うと「のめり込んだ」

まず何しろ稼げた。
業界自体が(コロナ禍の一時期を除いて)慢性的に人不足にあえいでおり、又当時は今ほど現業の就業時間に対する締め付けが厳しくなかった、というところに加えて20代の所謂「若手」として業界に入った私がどうなったかというと、現場は日勤→夜勤→日勤と連勤がデフォで平均すると週8~9勤務、後から計算すると365日中勤務数が360とかそういう感じになっていた。
いくら警備が底辺職で賃金も推して知るべしというモノとはいえ数をこなせば当然その分給与は増えて、更に若手という事で早いうちに資格を取得して特殊な現場に選任として出入りする様になると資格者手当が発生しいよいよ日当は増える。
本業で食い詰めていた自分としてはひたすらにありがたい話であった。

ところで、資格が必要な現場・任地が割と短期間で変わるというのもあり、仕事後はその土地土地の飲み屋に入ってみたりというのが趣味になっていた。
私は周りの人間から「いろんなところの飲み屋を知っている」、というか「いつもよくわからない場所で飲んでいる」という印象を持たれているのだが、それはこれが主な原因だ。

次に、仕事にバリエーションが多かったので飽きなかった。
警備員というと施設警備は別にして「交通誘導っぽいことしてて工事現場とかに一日中突っ立ってる人」という印象が強いと思う。実際にそういった立ってるだけの現場も多いが、一方例えばイベント警備(業界では雑踏警備という区分に組み込まれている)や民間のボディガード、少し前だがプールの監視も警備業に含まれるようになったりと、警備全体としてみた場合範疇にある業務自体は非常に多岐に渡るのだ。
また同一業務区分内でも、交通誘導にしても例えば街中で家建ててるのとゼネコン等が主導する庁舎など公共施設絡み現場と高速道路上などでは求められる警備の方式から何から全く変わってくる。
勤めていた会社がよく言えば扱う業務に幅があり、悪く言えば節操がない所だったのは私にとってはプラスに働いた点だった。

そして何より、仕事を通じて人に感謝をされた。
初めて就いた身辺警備の現場で、案件終了時にクライアント様から深く頭を下げて頂いた。

世の中に職業というのは数多あり、そのどれもが社会や人々に必要とされ、同様に敬意を表されるべきものであると私はしており、社会的にも一般的な通念であると考えているが、一方で仕事を通じて感謝されるという事はおそらく稀で、自分のそれまでの経歴についても裏方仕事が多く、人に叱責される事さえ多かれど感謝の声を聞くことは少なかった。
その中で自分が人から感謝をされた。

つまり私はこのフィールドならば人に感謝される仕事ができるのだと。
またこのフィールドにかけては感謝される仕事をするべきなのだと。

この体験は私の「在り方」に大きく影響し、後に起業し、警備とは別の形で事業を行う今に至るまで自分の事業のみならず、人生の指針となっている。

そうして先日。誘導中の私が見たのは、往来の人達がハンドサインや会釈で私にお礼をしてくれていたという光景だ。

今となっては(別形態で請けているとはいえ)警備業からは足を洗い、頭の中には今共にあるミナカタ機構を発展・御依頼者の皆様の力になるという事しか頭にない私である。
ちゃんとした警備から手を引いてから割とガチの現場が発生するとは皮肉なものだが、図らずも自分の原点を見つめなおす、言ってみればそういう「イベント」だったのかなと、そう思いながらnoteにしたためておく。

#仕事について話そう

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?