ヴァーチャルタンブン

 
 タイにはタンブンという文化があって、これは仏教の言葉で、『良いことをして徳を積む』というような意味の言葉なのだという。タイでは、善行を重ねることで、翻って自身に良い報いが来るという考え方があるそうだ。
 
 例えばタイでは、路上や寺院などで生きた鳥を売っていることがあるのだけれど、これは食べたりペットにするために売っているわけでは無くて、買った人がその鳥を野生に逃がしてあげるために売っているのだという。
 捕まえられた動物を逃がしてやることで、善行をしたということになって、徳を積んだことになるのだそうだ。
 
 他にも寺院に寄進したり、物乞いに施しを与えたり、そういうこともタンブンの一種。そんな価値観が根強いらしい。
 
 これ自体は文化なので良い悪いを言うことはできないが、タイではこのタンブンという文化のせいで、他に悪いことをしたとしても後でタンブンをしておけばチャラになる、みたいに考えてしまう人もいるという。
 
 つまりタンブンとは、徳のサプリメントなのだ。
 最近野菜が不足しているからマルチビタミンを摂っておくか、みたいな感覚で、最近悪いことしてるからちょっとタンブンでもしとくか、みたいな。
 
 ところでタンブンはタイでの話だけれど、多分これは、日本でも同じようなことが言えるのだと思う。良いことをすれば報いがあるかもしれないという考え方は、一般的に日本人も持っているだろう。

 昨日、タレントの志村けんさんがお亡くなりになった。コロナウィルスで著名人が亡くなったという大変ショッキングな事件ということもあるし、志村さんが国民に愛されるタレントだったということもあって、ツイッターを見ても大勢の人が話題にしている。
 
 ただ、あえて批判を覚悟で言わせていただくのなら、そうしたツイッターを見る限り、どうも妙なことになっているなという気がしている。
 つまり、『ご冥福をお祈りしますの文言とともに、ちょっと良い感じのことを言う祭り』になっているのではないか? という気がしてしまうのだ。
 
 そうしたRTで回ってきたようなツイートをしている人をみると、中には普段は罵倒的なことを言って他人を平気で傷つけているような人もいて、僕はどうしても違和感を憶えてしまう。
 
 やらぬ善よりやる偽善、というのは確かにその通りだろう。他人を害する発言をするくらいなら、少しでも良いことを言った方がマシだというのは間違いが無い。
 だがヴァーチャルタンブンで徳を積んだ気になっているくらいなら、普段から周りの人に思いやりを持つといった方法で、他にやるべきことがあるのでは? と僕は思う。

 とはいえ、もちろんこれは自分自身にも当てはまる。僕だって、こうして志村さんのことを記事の題材にしているのだから。
 人の振り見て我が振り直せという言葉もあるように、いま僕は、自戒の意味を込めてこれを書いている。
 
 
 
 

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