【雑文】3000兆円欲しい
お上からの賜り物としての例のマスクがついに我が家にも届いた。
もうすでに使い捨てマスクも大抵手に入るようになっていて、正直今更貰っても……というところではあるのだけれど、とはいえ貰えるものはなんだってありがたい。
多分使うことは無いだろうけれど、いざという時のために取っておこうと思っている。
市内の友人でもまだ届いていない家庭もあるそうで、実際の発送作業を請け負っている業者の方のことを思うと、本当にご苦労様という気持ちになる。
マスク以上に待ち遠しいのが、例の10万円だ。
こちらに関しては申請書もまだ届いていないので、給付を受けられるのはいつになることやら。まあ、マイナンバーカードを作っていなかった自分が悪いので、こちらは気長に待つしかない。
伝え聞く話によると、10万円だけでなく追加で給付されるのでは? なんて話も出ているとか出ていないとか。
実際に追加給付があるかどうかと考えると可能性は低そうだけれど、もし貰えるものならば是非頂きたいものだと思う。
生活を維持するためのお金と考えると、10万円ではとても足りない。
都内であれば1か月の家賃と食費ですら足が出るだろう。
とはいえ、10万円といえば十分に高額だ。
日本国民全員に配るとなれば単純に考えても10兆円以上かかるわけで、それを何回もとなればいくら必要になるのか分からない。
実際にはお金を作るのは政府や日銀なので、足りさせようと思えばいくらでも方法はあるのだろうけれど、そうして無尽蔵に刷っていてはお金の価値が下がってしまうだろう。
*
ところでお金の価値とは一体なんだろう。
というか、そもそもお金とは一体なんなんだろう。
通貨というのは、人類が考えついた最も偉大な発明品ではないかと思う。
火薬も羅針盤も印刷も、通貨経済という発明の前ではどうしても一段劣るように思えてしまう。
通貨が生まれる前の大昔は、経済は物々交換によって成り立っていた。
例えば僕が米農家だったとして、ニンジンが欲しければ米俵を担いでニンジン農家まで交換しにいかなければならなかった。
あるいは、僕のところに米を欲しがる人が来ては「俺が持ってるこの魚と君の米を交換してくれないか」とそんな話をする。
ところがある日、変な人がやってきて「この綺麗な石と米を交換してくれ」と言い出す。「この石をあっちに持っていったらニンジンに替えてもらえるよ」と。
そして僕は思うわけだ。「いやいや、そんな石に何の価値があるんだよ。だって石は食えないじゃん」
ところが、そんな謎の石であるところの通貨などというものがいつの間にか定着していて、しかも世界中で共通の概念になっている。
それどころか今では世界はお金によって支配されていて、価値の代替品だったはずのお金自体が最も価値のあるものだとすら考えられている。
僕たちは当たり前のようにお金を使っているけれど、これは一体なんなんだろう、と考えるときがある。
冷静に考えてみると、狂気の沙汰だと思う。
*
たまに考えるのは、日本の全体でこれまで使われたお金の総額はいくらくらいなんだろう、ということだ。
町を歩けば、道路には車がひっきりなしに走っているし、辺りには建物が数えきれないくらい建っている。
どんなに簡素な家であっても、それを建てようと思えば何千万かのお金がかかる。マンションや大きなビルともなれば何億というものだって珍しくない。
それが日本全体で何百万軒もあるわけで、きっと兆や京ではとても足りないくらいの金額になるのだろう。
何百年にわたる累計ではあるのだけれど、それだけの通貨が現に流通していたのだと考えると、なんだか途方もないような気持になる。
そう考えれば、10万円や20万円なんて誤差にもならないようなはした金という気がしてきませんか?
というわけで、どうか追加給付お願いします。日本政府さん。
よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは美味しいお酒に代わります。