楽しむ料理と、生きるための食事

 
 
 我が家では、毎日の夕食を作るのは僕の役割である。
 
 男子厨房に入らずなんて時代ではないのでそれは一向に構わない。
 僕はもともと料理を仕事にしていたので通り一辺倒の料理は作れる。料理をすることも、それ自体好きなので特に不満を感じることも無い。
 
 と、そんなことを言ったすぐあとで言うのもなんなのだが、僕は結婚するまで自宅で料理というものを殆どしたことはなかった。実家に居た頃は母親が作っていたし、実家を出てからは殆ど外食ばかりで、たまに作ってもインスタントのラーメンか、野菜を適当にコンソメで煮たスープを作るくらいだった。
 自宅で料理をするためには調理器具を揃え材料を買い、作った後には後片付けをしなければいけない。それがどこまでもめんどくさくて、それなら外食で良いや、と考えてしまうのだ。
 
 以前から薄々感じてはいたけれど、どうやら僕は、『食』というものに驚くほどこだわりが無い人間らしい。もちろんマズイものより美味しい物の方が好きなのだけれど、どうしても美味しくなければいけないとは全く思っていない。極論腹が膨れれば食事としては十分で、そこさえ満たせればそれでいいと思っている節がある。
 ある程度の手間をかければ美味しいものが食べられることは分かっているのだけれど、それをめんどくさがって、どんどん粗食になっていくのだ。
 
 去年妻が旅行で三日間ほど家を空けていたことがあったのだけれど、その間僕は殆どまともな食事をとらなかった。元々朝食は食べないことが多いし、夕食はコンビニのサラダチキンとビール、というような生活をずっと続けていた。唯一昼だけは、ラーメン屋や定食屋に行ったりして、それで人間生活を維持していた。
 
 数日前に、『一人暮らしで料理をしたいならピザを焼け!』というような記事を読んだが、おそらく僕一人だったらそうなるだろう。多分数か月程度ならば、毎日ピザだけを食べ続けていても一切の不満を抱くことは無いと思う。

 ところで僕が夕飯を作っている一方、それでは妻は何をしているのかというと、メニューを考えるのは妻の役目である。夕飯時になると妻が「今日は〇〇を作って」というようにオーダーをして、僕が作るという形だ。
 
 日常的な買い物もほとんどは妻がやってくれているので、ついでにスーパーで食材を買ってきてくれるのも妻である。僕はとにかく何事をもめんどくさがる人間なので、大変助かっている。
 
 思うにこの形は、料理人をしていたときと全く変わっていない。
 もっと本格的な高級レストランともなれば、コースの構成から全てシェフのオリジナリティ溢れる料理を作ったりするのだろうけれど、僕が働いていたような大衆店では基本的にはお客さんからオーダーを受けて、その通りの料理を作ることが仕事だった。
 今やっていることも、それと同じことだ。

 個人的な意見だけれど、趣味としての料理をすることは楽しい。たまに休みの日などに、異様に手の込んだカレーを作ったりする男性の話を聞くことがあるけれど、その気持ちはよくわかる。
 僕もたまに巨大な牛肉の塊を買ってきてローストビーフを作ったりすることがあるのだが、そんなときは本当に楽しんで料理をしている。
 
 僕が思うに、楽しむための趣味的な料理と、生きていくための食事をつくる料理は、似ているようで微妙に違う。
 
 僕は実は、料理の楽しい部分だけを味わっているに過ぎなくて、めんどくさい部分や地味な部分を全て妻が担ってくれているから、料理が好きでいられているだけなのかもしれない。
 
 それで得意げになって料理が得意だなどと言っているのだから、まったく滑稽な話だと思う。
 妻には感謝してもしきれないほどである。
 
 

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