クリストファー・ノーランの作品に見られる違和感

まずある二本の映画のワンシーンを見てほしい。
一本目はアメコミ映画の中でも最も優れた作品と称賛されたクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』のこのシーン。検察官のハーヴィー・デントを乗せた警察車両を、凶悪犯罪者ジョーカーが強襲する内容となっている。

続けて、その後逮捕されたジョーカーがバットマンと取調室で対話をするシーンも見てもらいたい。

ここで取り上げたいのは、これらのシーンで見られる編集のつなぎの齟齬である。

まず一つ目のシーン。ジョーカー一味が大型トラックの荷台から拳銃で警察車両を狙って撃ち始めるこのショットは、その次のショットと同構図になっている。激しいカーアクションの最中でのカット割りなので、ジョーカー一味の乗ったトラックと警察車両の方向感覚と、その間の距離感とが一回見ただけではわかりづらい。観客にそのような方向感覚や距離感の喪失状態に陥らせ、あたかもその場に居合わせたかのような錯覚を与え、撃たれている側(この場合デントと警察になるわけだが)への感情移入を促す効果を生んでいるというような好意的な解釈は、多少強引だが成立するかもしれない。

また、次のバットマンとジョーカーの対話のシーンでも同構図による切り返しのショットが認められる。このようなカット割りによって、バットマン(善)とジョーカー(悪)とが実は同じ立ち位置にいるという物語上のテーマを浮かび上がらせようとしているのではないか、という解釈を誘っているかに見える。
(出典は忘れたがこの作品を撮るにあたりノーランはマイケル・マンの『ヒート』を参照したらしいのだが、この作品にも同構図による切り返しの場面がある。例えばアル・パチーノがロバート・デ・ニーロを車で追跡するシーンなど。)

基本的にノーランの映画には上記のようなつなぎ間違いが散見される。彼はショットの連鎖を自然に処理せず、敢えて不自然なショットの連鎖でシーンを処理することを好んでいるようだ。動揺せずにはいられないノーランの映画の"不自然な連鎖"は、上記の『ダークナイト』のような物語であれば多少とも有効的に機能していると言えなくもない。しかし、そのような齟齬は、『ダークナイト』以外の作品においてはただ観客を不明瞭さに陥らせ、確信と納得が得られることはないだろう。

『インターステラー』このシーンに認められるつなぎの齟齬は一体なんなのか。小型シャトルが着陸し、アン・ハサウェイとウェス・ベントリーの二人が外へ出て未知の惑星の地に降り立つ。その後彼らは進路の方向を変え真逆に進むことになる。その後の真逆に進む乗組員たちのショットを、シャトルから外へ出るショットと同構図で捉えるのは明らかに不自然である。その間に俯瞰撮影で進路方向を変えて進むショットを挟んではいるが、その俯瞰はあまりにも上空から撮っているのでカメラに映る被写体は豆粒程度ほどの小ささで映らざるを得ず、進路方向の転換を明確且つ的確に見せることに失敗していると言わざるを得ない。
また、その後二人の乗組員たちの前方の遥か彼方に見える巨大な山のようなシルエットが、実は巨大な大津波(引き波)であることが発覚しアン・ハサウェイが驚き前方を見つめるショットと、マシュー・マコノヒーがシャトルから一旦外へ出て、これから来る大津波(寄せ波)を確かめに行くそのショットとがこれもまた同構図で捉えられているので、マシュー・マコノヒーの見ている波とアン・ハサウェイが見ている波が同じであるかのように見えてしまい、この場面のつなぎの不自然さが露呈する。そしてこの不自然さは如何なる物語的にもまた映画的にも有効的に機能してはおらず、ひたすら人をあやふやに動揺させるだけである。

蛇足だが、同構図による切り返し以外にもつなぎ間違いによって運動を撮ることに失敗してしまっているのが次のシーンで認められる。


ドッキングしようとするクーパーらを乗せたシャトルと、壊され落下していく母船とのつなぎ。このつなぎはシャトルと母船の運動を殺すことに貢献してしまっている。落下する母船の回転速度を人工知能ロボットに計測させ、その回転に合わせてドッキングしようとしておきながら、母船に固定されたカメラのショットを挿入してしまうので、肝心の母船の回転速度の運動が全く感じられないのだ。また、シャトルが母船の回転速度に合わさる瞬間を母船側から撮影してしまった結果、同じ回転速度になったということを、観客は止まること(運動を殺すこと)によって理解させられる。
母船に固定されたカメラの視点でドッキングを描こうとすれば、その運動が欠落してしまうことは撮影する前からわかりきっていたはずで、にも関わらずそのようなショットをノーランは平気で挿入してしまう。結果この場面のエモーションを運動によって感じることはできず、観客はただひたすらBGMと編集のテンポのみによってエモーションを感じる他ない。

最近の作品『ダンケルク』のこのシーンでのつなぎ間違いも決定的だ。

1:20〜あたりで艦船にいる兵士と助けに来た民間の漁船が同構図で処理されてしまうので、漁船の進路方向が全くわからない。しかも漁船を捉えるカメラがその漁船とほぼ同じ移動速度で撮られているので漁船の運動が全く消えてしまっている。

ショットとショットが不自然につながれ、その不自然さの中観客は確信と納得を得られず、そのままその齟齬を曖昧に飲み込むしかない。映画を曖昧なままにして放置するそのようなノーランの映画作りには疑問しか湧かない。