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他者からのアテンションがほしい

中学生の国語の教科書に、姜尚中のエッセイが載っている。
その文章の中に
『人は「他者からのアテンション(ねぎらいの眼差し)を得るために働く』
という一文があった。

仕事中、その文章を読んだ私の心は震えた。沁みた。
「わたしが求めていた言葉はこれだ」と思った。
育休中に感じていた孤独の意味はこれか。
仕事復帰してからも残るモヤモヤの正体がやっとつかめた。
そんな気持ちになれた。

わたしはもともと中学校教員として6年間働いていた。
中学校教員という仕事を極めようと思っていた。
しかし6年目に仕事でいろいろあってメンタル不調になり、子供を出産してまたメンタル不調になった。
休職して仕事復帰を目指したが、体調は戻らず、退職の道を選んだ。
しかし退職後しばらくしてからご縁があり、支援員として働くことになった。

教員と支援員。
両方を経験して思うことは「責任とやりがいは取引関係にある」ということだ。
責任が重い仕事は、やりがいもたくさんある。
責任が軽い仕事は、やりがいも軽い。

子育て中のわたしには、とても悩ましい問題だ。
自分の子どもを育てつつ、家族の衣食住を整えつつ、責任の重い仕事をするのは、今のわたしにとってはとても難しい。

でも家庭だけじゃなく、家庭以外のところで、必要とされたい。
わたしがいる意味を感じたい。
わたしに注目してほしい。
わたしに興味を持ってほしい。
わたしにしかできないことをしたい。
生徒から、先生だと認められたい。
なんて欲があることに、最近気づいた。

「支援する人から、授業をする人に戻ろう」
そう決心したわたしは、履歴書を送った。
しかし、良い話は来なかった。
仕方ない。
また来年も支援員をすることになった。

わたしがこんな欲を持てるようになったのは、子どもが小学生になり、だいぶ子育てが楽になってきたからだ。
そして、体調的にも今年一年は安定していたのが大きい。

教壇に立つ機会は、いつ回ってくるかわからない。
「そのとき」が来てもすぐ動けるように、できるかぎりの準備をしておこうと思う。

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