April Dream (2/2)
様々な時代のクラシックを聴き、管弦楽のスコアを買いあさった。それぞれのパートがどんな絡み方をし、そこで響きにどんな違いが生まれるのかを研究し、片っぱしからエレクトーン用に編曲しては弾いてみた。
エレクトーンを使ったのは、様々な楽器の音を奏法まで拘ったリアルな響きで出せるからだ。自動伴奏を鳴らせたり同期演奏もできる多機能な楽器だが、その機能は使いたくなかった。
そんなことをすれば、自動再生される音に合わせて弾かなければならない。機械にテンポを乗っ取られてしまうのだ。
何十人もの人が演奏する管弦楽編成の曲をたった1人で、自分の指と足だけで弾く。当然、弾くための難易度は上がるが、すべての音を、テンポや息づかいまで自分で弾きたいんだから仕方ない。
教室のレッスンを終えてアパートへ帰ると、晩ご飯もそこそこにスコアに向かい、納得のいく響きになるまで編曲を練り直し、練習をする。
気づくとカーテンの向こうが明るくなり始めている。僅かな仮眠をとって午前中のレッスンに向かう、そんな日々が続いた。
やがて30代に入った頃、やっと、あのアダージェットを弾こうと思えるようになった。というより、待てなくなったのだ。やるだけやってみよう、そして師匠に聴いていただこう、そう決心した。
細心の注意を払って編曲し、音色を作り、一心に練習した。何せマーラーだ。師匠の前で弾くのはかなり勇気がいる。
当日は自分にできる精一杯を出し切った。どうしてもマーラーに届かない拙い音に心の中で歯ぎしりをしながら、それでも今の自分のすべてを音にしようと集中した。
弾き終わると師匠は言った。
「編曲も演奏もエレクトーンで出来うる限界まで追求しているね。ソロ演奏でやるならそれ以上は無理だろう、というところまでやってある。」
ほっとした私に、師匠は静かに微笑みながら言った。
「だけど、30代は30代なりのマーラーなんだよね」
「・・・ですよね。」やっぱり、と私も笑った。急に心が軽くなった。
それから10数年経って50代を目前にした時、あの光の粒に近づけるかもしれない、と思った。ある小説の一場面を思い出したのだ。
娼婦マノンと貴公子グリューの最期の時間。
流刑の地から逃れ歩いた荒野の果てで、2人の魂は初めて寄り添うことができた。愛も憎しみも、嘘も嫉妬も、傷も涙も、すべてが優しく浄化されていく。荒涼とした夜の原野が清浄な静けさに満たされていく、最期の時・・。
たぶんあの光の粒は、生身の人間には正視できないほど美しい、天上の世界にあったものなのだ。あの柔らかな静かな光は、この最期の時間にこそ相応しいのかもしれない・・。
その年の秋、マーラーのアダージェットをオマージュするようなエレクトーン・オリジナル曲「マノン・レスコー」が完成した。
20代の自分が見た光の粒に、やっとひと足近づいた気がした。自分が歩いている道に、1つめの栞ができた。
それから今日まで、糧となりそうだと感じたものはジャンル違いだろうが苦手分野だろうが取り組んだ。もともと量産型ではないので数は多くないが、作るだけは作ってきた。
この先、もっと何かが変わるだろうか。自分の音はもっと深いものになるだろうか。
自分の時間はあと何年残っているのだろう。目を閉じるまでに手が届くだろうか。
今、6年前のSpainに向かいながら、ぼんやり考える。
マーラーもチック・コリアも今ごろは天国で演ってるんだろうなぁ・・空の上でその演奏を聴く日まで、少しでもあの光の粒に近づいておきたいなぁ・・
だいぶ長生きしなきゃね、自分。
(fine)
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