VR理想現実

「警部。また例の死体、あがったそうです」
「またか……」
 部下からの報告に溜め息をつく。想定していたことだ。この事態を止めることは不可能に近いだろう。少なくとも今の現実が変わらなければ。
 例の死体、というのはヘッドマウントディスプレイとトラッカーを着けコントローラーを握ったまま餓死した遺体のことだ。彼らは今の技術の虜になり、溺れ、自らが衰弱していくことも気づかず死んでいった。進歩した今のVRは視覚と聴覚情報だけでなく、触覚、嗅覚、そして味覚までも表現できるようになっていた。つまり、現実世界とほぼ変わらない感覚のまま仮想現実世界を味わえる。そうなったときこうなることは予想できたことではないのか。ゲームにのめり込む人々というのは昔から後を絶たない。そして感覚がリアルに近づき、けれどアバターという好きなガワを被って生活できるという世界にバーチャルリアリティが近づいたとき、そこに入り込んで帰ってこない人たちが出るであろうことなど想像できたはずだ。
 富裕層の家庭の子供たち――戸籍上〝子〟になっているというだけで勿論成人している者も多い。いや、成人している者の方が多い――が特に多く、彼らは皆餓死しているというのに全く苦しそうな表情をしていないのだ。むしろ幸せそうに見える表情をしていて、現場の刑事達は皆戸惑うことが多かった。五官の感覚をほぼ現実に近い再現度で表現できてしまうようになり、小さな頃からそれに慣れてしまっていると味覚と嗅覚、つまり食感を感じるだけで脳が誤作動し満腹中枢が働いてしまうという。死亡までいかなくとも倒れて運ばれて検査してみれば栄養失調だった、というケースも多く、社会問題化していた。
 のめり込むと言っても最低限の生活をしてこそのゲ-ムだったものが、衣食住全てを満たすようになってしまった今そののめり込み度合いが変わってしまった。唯一現実に引き戻す要素の排泄行為すら、彼らは嫌がって大人用オムツや家庭用の自動排泄処理機を使っている。つまり、本当にゲームをしたままなのだ。二十四時間ずっと。VRで仲の良い相手と添い寝をして睡眠をとり、VRで仲の良い友人達と昼間を過ごし、VRで仲の良い友人達と食事を共にする。ここで〝仲の良い友人〟ができてしまえば最後。もう戻ってこないと思っていい。誰かと仲違いしてしまった方が現実的には良いのだ。そのゲームを嫌がって現実に帰ってくるから。
「どうすればいいんだろうな」
「医師達も想定していなかった事態ですからねぇ」
「所詮ビジネスだ。そのゲームに賛同しなかった医師達の意見が握りつぶされただけさ」
「……まあ、しょうがないところは、あると思います」
 俺達の上の世代はVR元年を迎えた後、VRが一般に普及浸透していった世代で、VRが教育や商談・建築・医療その他などに使えるとVRビジネスに躍起になっていた。そんな世代の人間が親になった今、子供たちの間でVRを所持しているのが当たり前になるのは明らかで、人生の途中からVRを体験してきた世代と小さな頃からVRを経験できてしまう今の世代とでは感じ方考え方が違うのは当然だった。
「そりゃあな。VRが急激に進歩し過ぎたんだ」
「VRの普及で良くなったことも多々ありますから、その反動、と言ったところでしょうか」
「その反動が、親世代の予想していた反動よりもでかかっただけの話だ」
「どうすれば彼らは、現実に戻ってきてくれるでしょうか」
「――さあな」
 現実より優しい言葉。現実より気持ちいい音楽。現実より心地いい感触。現実より香しい匂い。現実より美味い飯。
「現実が仮想を追い越したら、帰ってくるんじゃないか」
 それまではきっと、彼らは理想に焦がれてやまず、仮想で生きて現実で死に続けるのだろう。

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