珍しく詰め込んだ休日
今日は非常に目まぐるしい一日だった。
なんと、自分にとって新しいアクティビティを2つはしごしたのだ。
ひとつは新しく始めた習い事の初日に行ったこと、そしてもうひとつ、アート関係のワークショップに参加したこと。
今日から始めた習い事とは、剣舞だ。
偶々ご縁があって、3ヶ月限定でメンバーを募集する教室に参加させてもらうことになった。
剣舞とは…
最近、漠然と
・何か定期的に体を動かすことをしたい
・剣道(もしくは似たようなこと)をいずれどこかで再開できたらいいな
といったことを考えていたので、友人から剣舞教室の話が出て食い気味に参加したいと申し出てしまった。
プライベートで新しいことを始めるのはかなり久々だ。その高揚感と、実際に体を動かすことの気持ちよさもあって非常に楽しい時間を過ごせた。
3カ月の短い期間で覚えることは沢山あるが、これからの稽古も楽しんでいきたい。
この稽古が終わった足でそのまま電車で1時間近くかけて、友人が代表を務める会社が開催するワークショップにも参加してきた。
このワークショップでは、人々がアートに触れることをよりフラットな体験にする試みをしている(と、理解している)。
そろそろ眠くなってきた(現在22:53)ので詳細は省いて一気に感想に飛ぶが、結論から言うとアートに触れるとは、見てその場限りで終わるものではなく、その後の生活の中で循環していくものなのかもしれないと思った。
【循環イメージ(メモ)】
アートを鑑賞する
→何かを感じる(作品を解釈する)
→他人の解釈を聞くことで別の見方を知ると同時に、自分の作品への解釈が自分の中の引き出し(属性や思い出、知識)の中にあるものに由来していることを認識する
→振り返りをすることで、自分の中の引き出しの中身を再発見し、そしてその日見たアートや他人の解釈が新しい中身として追加される
→日常の中でアートとの結びつきがあると気づくタイミングが増える
こんな風に盛りだくさんな一日を過ごして当然クタクタになった。もう今すぐ風呂も入らず寝てしまいたいくらいだ。
しかし反対に、普段自分が体力・気力をなるべくセーブして過ごしていることも実感した。なるべく疲れたくないのだ。
今日クタクタになってみて、やはり疲れる感覚はどちらかというと不快だなと正直感じる。しかし、私は今日疲れるまでの過程をとても楽しんだのだ。こんなに疲れるくらいならやらなければよかったとは一切思っていない。
今日という日を「疲れた」でなく「楽しかった」と記憶しておくことが、きっとこの先の私にとってとても大事なのだろう。
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