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今朝のつぶやき:哲学と創造性

ニーチェ:
人間は遺伝的に「気付けること」に違いがある。人には利己と利他の軸がある。利他の軸がある人には(利己の苦悩を知る前から)苦悩が起こる。苦悩の究極は実存的痛み。この痛みを知らないと人間の本質が見えない。創造性は絶望的なこの痛みを打破して「生きる」を可能にしてくれるもの。──これらを踏まえた上でニーチェを読み解かないと末人や超人、ルサンチマン、永劫回帰の真の意味は解らないのではないか、と様々なニーチェ解説を見て思った。https://minadadrop.me/?p=3213

哲学:
友達や家族に「いつも哲学的なことばかり話してるね」と私は言われてしまうけど、物事の本質を見極めるなら哲学に行き当たるはずで……哲学なしの人生なんてあるのかと逆に思う。自分自身が自分の頭で哲学(世界の構造、生きることの意味を理解しようと)していないと哲学をただ学ぶだけでは全てが抽象的に見えるのではないだろうか?

究極:
人は頭脳だけでなく感情の旅が必要。なぜなら「究極」を思い知らない限り物事の本質は見えてこないから。例えば『良いこと行っていれば良いことを引き寄せる』と信じて生きている人がいる。善良な人が突然殺される事実をどう説明するのか? 『恨みや復讐は何も生まない』なんて簡単に口にする人がいる。自分の子供や最愛の人が快楽殺人の犠牲になっても同じことが言えるのか? 結局「究極」を知ろうとしない人の怠慢さ、思考の放棄だと思う。頭で一瞬考えてわかることではない。だから普段しない経験をし、人の話を聞き、様々な物語を読み、想像力を働かせることは真理を知るのに最低限必要なことだと思う。

末人:
ニーチェのいう「末人」とドンブロフスキのいう『社会の価値観に盲従して生きる人』には共通点があるように思う。アインシュタインの持っていた世界観も老子の思想もニーチェの永劫回帰も、すべて同じところを指しているのではないかとも思う。細かいことを言えば違うのだろうが方向性が同じに思える。この点は今後煮詰めて考えてみたい。

創造性:
安易に使われてしまう言葉でもあるけど、これはとてつもなく奥が深い人間の救いとなる本能だ。真の創造性は長い年月をかけて育まれる。なぜそう言えるのか、これについてもいつか必ずまとめてみたい。

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