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私にとってのMBTI(16性格タイプ診断)の位置づけ

これは、私なりの解釈になります。
日頃私自身キャラ遊び感覚で楽しんでいるMBTIですが、本格的なパーソナリティー分析として考えたときに何がいえるか? ということを今回書いてみたいと思います。話のネタや一参考として見てくださいね。少し前置きがあり、1と2はただのお喋りなので飛ばしてくださっても大丈夫。3が本題です。

1・類型論の限界

古くからアメリカで日本の血液型占いの如く馴染んでいて、近年韓国でも流行して、昨今は日本でも人気になってしまったMBTI(16性格タイプ診断)。

※因みに、16性格診断の人気サイトがMBTI公式からは認められていない云々は知っています。しかしここではその違いを語るのが目的ではないため、明確な違いはつけずに扱います。気に障る方は読むのをご遠慮ください。

性格分析自体が、心理学好き、分類好きの人間の心をくすぐりますよね。私も子供の頃から人間観察が癖で、人間とは何ぞや? の追求を当たり前のようにしてしまっているので、それなりに楽しんでいます。世間の人気に乗っかって記事も書いてみたり、家族にもあだ名のように呼んで話のネタにしたり。
MBTIは、性格分析においては「類型論」に属します。ただし、八つの心理機能から見ることができる点が、類型論と特性論を掛け合わせているかのようにも思えて面白い側面があるなあ、と思います。

ただ……

歴史的にみて、パーソナリティ分析というものは古くからなされてきたと思いますが、ビッグファイブ理論辺りで科学目線によるメスが入り、一般的認知に大きな飛躍を見たはずなんですよね。そのため近代心理学で一番性格分析として信頼が置かれているのは、やはりビッグファイブ理論とみなすのが妥当でしょう。そしてあれは「特性論」です。

類型論:個々がカテゴリーのどこに属するかを決める
特性論:特徴となる因子の分量を個々の内で測る

つまり、どんなに流行していようとMBTIはしょせん『類型論』の弱点から逃れられないなあ、と。まず、当てはまる、当てはまらない、などの見方でしか語れない場面が多いこと。まあ、これは二分法だからですね。実際はスペクトラムである人の性格を、二分法で語る不自然さがどうしてもあります。
また、ある特性を持っている者同士でその度合いが致命的に違うとしても『同じタイプ』となってしまうこと。いやいやいや、タイプ同じでも度合いが違うと全く違う性格じゃない? ……これはもう類型論の限界といいますか。
性格分析を本質の段階まで突き詰めて考えた場合、変化の大きい、つまり詰めの甘い類型論などではそもそも語れないはずなんですよね。当たる! と思う人がいるのは、おおむねバーナム効果でしょう。占いの手法と同じです。当事者自身が自分の中から該当する部分を引き出して当てはめてしまっているのです、基本的には。その上さらに確証バイアスがかかり、自分のタイプへの確信と愛着が増していきます。

そもそもパーソナリティー分析の歴史を紐解いたとき、信頼できる分析として最終的に行き着いたのが『特性論』だったからこそ、ビッグファブが有用とされてきたのではなかったかな?

詰まるところ、MBTIは本格的なパーソナリティー分析というよりエンターテイメントに近いものだなぁと。遊んで楽しむのが正解。……これが私なりの結論です。MBTIにもう一度しっかり科学的メスを入れるときがくれば、世間も同じ結論になると思います。

2・自分のタイプで遊ぶ

ここでまた視点を変えて、1の結論を出した上での話を。つまり、それなりに楽しんでみる話です。それなりに分析を試みて自己を知る上での何らかの材料や手がかりにする話です。

私も診断サイトでは複数回テストしてみましたし、診断テストではなく、昔からアメリカで使われていた判断法でもしてみました。他の方のMBTIに関する記事や動画やサイトも度々見て楽しんでいます。テストで一番多く出るのはINFJですね。でも日頃使っている性格は、INFPが基本のように思います。また相手によって私は、INTPになる時があり、はっきりINTJのような対応をするときもあります。

心理機能の診断をしてみると……

大体常に優っているものは、内向直感(Ni)になり、その他外向感情(Fe)が強く、次に内向思考(Ti)、内向感情(Fi)、外向直感(Ne)なども上に出てきます。外向思考(Te)は出たり出なかったり。そして予測どおり感覚(Se)(Si)は両者とも劣勢です。

こうした優勢機能を見てとると、自分の根っこの部分はやはりINFJに近いものがあり、この性格は社会に適合しにくいので封じ込めている。少し前に書いた実存的うつ、あれを感じている部分がここに通じていると思います。そしてこれを封じこめると現れるのがINFPです。空想妄想癖があり思い詰めてしまうタイプですね。しかし、これは年齢と経験によりかなりコントロールできるようになったので、今は場面に応じてINTP寄りでやっています。FP要素の強い相手に対してはINTJになります。

結局私の場合、自分というひとつの個性の中に、色々な性格タイプを内包していて、状況ごとに、あるいは接する相手に合わせて、性格を使い分けている感じなのです。だから他の多くの方のように、私は常に誰に対してもどんな状況でも「◯◯◯◯」です! なんてことは言えないなあ、が1に重ねての結論です。

どうしてこうなるのか。類型論の限界をベースとした上で、他にも様々な理由があります。

1・二十代や三十代の人と違い、人生経験を経たために人格の熟成期に入ってしまい、本来の特徴となる尖った部分が丸くなってしまったこと。


2・社会生活の長さから後天的に身につけた性格も、確固として出来上がっていること。これにより複雑化している。

↓でもこれが一番大きい。

3・元々色々なタイプになれる多重人格的な側面がある。これは「器用さ」ともいえるのですが、マルチポテンシャライト的特性(もしくはHSS型HSP特性)でもあるのですよね。色んな要素を感知でき、正反対の要素を同時に分析したり思考したりできます。物事の興味関心において普通の人より幅があり、欲することにも幅があり、できることにも幅があります。
マルチポテンシャライトとはそういう類の人種なのです。ひとところに定まらず、様々な可能性を自己のうちに包含している(はたから見れば飽き性で浮ついた気の多い中途半端な人間に見えることが多い)、色々な特性の人になれてしまう人間なのです。そうでない人にはなかなかわかってもらえない個性なのですが。脳の造りが独特なんですね。かなりの少数派だと思います。……近々マルポテあるあるを書いてみたいです。

こうしたカメレオン的特性が、一つのタイプに定める際に複雑さ、難解さ、ないしは奥行きや幅をもたらしていると感じます。

しかし一方で、人間である以上生まれつきある程度パーソナリティの型というものは決まっているので(つまり生まれもった気質自体はそう変わるものではない)その型内での振り幅はあっても、ここから大きく外れて逸れていくことはありません。これは脳の仕組みや造りが変わらないから当然でしょう。
だから私も、例え類型論的限界があったとしても、ある一定の箇所には当てはまることになり、INFJ INFP INTP INTJ これ以外のタイプとはなり得ないのだろうと思います。

さて、ここからが本題。

3・本格的パーソナリティー分析としてのMBTIの位置づけ

ことほどさようにMBTIというものは分析面の脆弱性を持ちつつも面白くあるわけですが、ただ、これはあくまでも「性格」の一部分を切り取った話にすぎない、ということです。

まず、下のイラスト図を見てください。

パーソナリティー分析に関連する要素の構造

これは人のパーソナリティーを分類する際に、切り口をどの辺にするか、どの辺のことを語っているのか、の全体の構造を捉えるための図です。……いや偉そうに言ってしまいましたが、私が勝手に描いてみた個人的な図解です(抽象化思考が強い人間なので図解しないと落ち着かないのです…笑)。一応、元ネタとしては岡田斗司夫氏が自己提唱の「4大欲求タイプ」を語るとき前置きとして描いた図を参考にしてはいます。……それでも足りないように思えたところ(特に赤線部分)を個人的に付け足し、他の関連要素も追加し、出来上がったものです。
大体こうなっていると思うのですよ、パーソナリティー分析において考えるべき関連要素の配置は。

もう少し詳しく解説したものがこれ。

下位になるほど先天的・遺伝要素が高くなり、振り幅のない本質的な分析となる。

この図の真ん中にある【気質】を見てください。気質は更に下位にある【欲求】と更に上位にある【行動】に挟まれています。この辺りのことを、世間では《性格》と呼んでいるように私は捉えています。
【行動】は生活パターンや習慣を作り、その人の性格を如実に物語ります。そしてこの性格は、同じく【行動】と同じランクにある【教育】や【生い立ち(育った環境)】の影響を強く受けています。

大抵の方々は、この辺にさして大きな違いがないため、性格タイプの比較でどうのこうのいえるのだろう、と思います。

例えば、【生い立ち】あるいは【教育】について。
毒親からの過干渉に晒されて育った人間や、親から何らかの虐待を受け愛を得られずに育ってきた人間は、自尊心が極端に低くコミュニケーションに問題を持つケースはよく見られます。元は陽気な気質なのにいつも人の顔色を窺ってしまう癖ができ、敏感で臆病で社交性が低くなります。本来同じ性格タイプに入るべき人でも、後天的に作られる性格の影響を多く受けてぜんぜん違う性格に見えることがあります。生まれもった気質そのものが変化するのでなく、本来の気質(遺伝要素)を覆い隠してしまう、のですね。

これはもっと極端な例を挙げるてみると理解しやすいです。紛争地帯で幼い頃から敵国民を憎んで殺す訓練をされてきた人と、平和な社会でぬくぬく育った人では、生まれ持った気質が同じタイプでも明らかに違う人格が形成されるでしょう。人は何を教えられるかにより大きな影響を受け、最終的に本来の気質に戻れたとしても生い立ちの違いにより人との壁を強く感じることになり、同じとは言い難くなる。そんな人が仲間を見つけるときこの性格タイプのラベルが役に立つことはありません。
つまり《性格》というものは他の要素によりいくらでも隠されたり影響を受けたりしますよね。

また、【気質】以前に大切なものがあります。一つにあるのはすぐ下位にある【欲求】。岡田氏提唱の『4大欲求タイプ(※)』もここに当てはまるとされています。
また、私にとって大きなパーソナリティーの特徴となるマルチポテンシャライトやHSS型HSPならではの傾向、これは【欲求】の下ランクあたりも関わる話だと思っています。

(※)因みに、欲求タイプというものは世間的に他にも存在すると思いますが、四欲求タイプに関しては、内向、外向、を縦軸、感情的、合理的を横軸として四つに分けたものになり、注目型、理想型、司令型、法則型、となります。これについて詳しく知りたい方は検索などでお調べください。まだ流行まではしていませんが、MBTIより面白いという人もたくさんいます。相手への対応に大変役立つのでとても有用です。

つまりこの【欲求】の下に、元の図には示されていない重要な違いをもたらす何かがあると思いました。図でいうところの【知性・精神性】のランクです。……もう一度前の図(+サムネイルの図)を載せてみますね。

赤点線の丸がMBTIの位置。赤点線の四角が、重要な違いをもたらすランク。


この赤点線の四角く囲った部分。これは『構造的特徴』や『能力差』であり、【欲求】や【気質】の基となるものの量と質の違いを生む場所です。

え? 能力差とか質とか、それって「知能」みたいなこと? それは人の性格を語るときに言ってはいけないことじゃないの? タブーじゃない?

……はい、そのとおり。パーソナリティー分析の歴史において長ーい長ーい間見て見ぬふりをされてきたモノですね。ただ『スピリチュアルズ-私とは何か-』の橘玲氏も著書にて指摘しているとおり、紛れもなく外せないものであるはずなのです。むしろ最も大きな違いをつけるものじゃないですか。(どれほどこれが大きいかはまた別の記事にしてみます。)なのでここではあえて触れることにします。……だってこの図はそもそも個人の解釈にすぎませんから(笑)今後、より一層科学目線のメスが入り、時代の変化とともに、パーソナリティー分析においてもこれが語られるようになるはずです。これは確実にそうなります。だから前もって入れちゃいました。
とはいえ、これは「知能指数」のような限定的なものではなく、人間特有の能力、主に大脳が司る知性や精神性を作り出す域の能力、またその構造的特徴のことです。

ベースの図に色々追加したものがこれです。

属性判断の切り口と関係性のマップ(主観)
※AC:アダルトチルドレン、SAD:社交不安障害、SOGI:性自認と性的指向

※他にもたくさん配置できるものはあると思いますが、個人的に馴染みのあるものだけをとりあげています。また、かなり煮詰めはしましたが今後細かな調整は必要かもしれません。むろん専門家による図解ではございません。

重ねて言いますが、この【知性・精神性】の部分は、何かの特質のある、なし、の違いというより、ある特質の度合いが多い、少ない、の違いを生みます。(実際はそれだけではなくユニーク度の違いももたらすかと。……パソコンに例えると、【本能】は電力で、【知性・精神性】はCPUやメモリで、【欲求】はOSで、【気質】はアプリケーションの数と種類および性能、のような気がします。)

例えば、発達障害により他者との大きな違和感を抱える人たちにとって、それより上位にある《性格》の違いなんて小さな問題かもしれないのです。同じく、私にとっても、気質の違いの範囲に属する16タイプは、ごく一部分の相似や相違でしかありません。仮にMBTIの性格タイプが同じでもその人が下位の《機能》に関わっているHSS型HSPでないなら、共感力や洞察力や感受性や好奇心の『度合い』に人としてかなり大きな開きができてしまい、それは確実に違和感を覚えるほどの違いとなります。実際にそういう人がいます。
また逆に、私の場合、気質よりも上位の【生い立ち】も大きな他者との「壁」を作っています。つまり、他人との違いとして《性格》より《機能》の方に問題がある人、あるいは《後天的》な要素に比重が大きい人にとって、MBTIのような性格診断による他者との比較はさほど大きな意味を持ちません。
……性格以前のもっと重要な要素、もしくは後天的に関わってくるはずの要素を「同じ」とした前提の上で成り立つ「個性の違い」の話なのですね。

したがって、これら上下を挟む要素が、だいたい「普通」の枠に属している人たちの間で行われている性格タイプの比較であり、時に遊びであり、興味深い心理分析であり、時に社会生活における何らかの活用手段だったりするのだと思います。そもそもこれらの要素自体が「普通」の枠に属さない人にとっては、細かな部分までしっくりくるはずがないのです。……軽い性格分析でなく、真面目なパーソナリティー分析として考えるとどうしてもこうなります。

楽しみ方や活用方法は人それぞれ。だからどうのこうのという話ではありません。いうまでもないですが、良し悪しの話をしたわけではありません。ここまで書いたのは、色々人と違う条件を持つ人間にとって、MBTIはパーソナリティー分析におけるごく一部の話にすぎない、という話でした。……一部というより一面、というほうがしっくりくるかもしれませんね。カテゴリー分けは一面的です。人の性格は、スペクトラム状であり、かつ多層的、立体的に成り立っています。複雑性の強い人間であればあるほど、タイプ理論というものはごく一面的な分析に感じられるのですね。

今回もある意味では当たり前すぎることを書いてしまいました。私が書くものはいつも当たり前なことだらけなのでご容赦ください。読んでくださった方、ありがとうございました。

おまけ

実はこんな図解も作ってみました。解説は長くなるので今回すべて省きました。またいずれしてみたいです。

性格や特質に関わる言葉の本質度合いと関係性の配置図


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