見出し画像

「すごいひと」になりたかった、という話




小さいころ、私は、大きくなったら「すごいひと」になりたかった。

いや、正確に言うと、「すごいひと」にならなければならない、と、思い込んでいた、のである。


何歳ごろかは全く覚えていないが、そういうことをほんとうによく考えていたことだけは鮮明に思い出せるのである。なぜか、家の2階の窓際で、母が洗濯物を干している光景とともに。



小さなころから、わたしはよく生や死、この世に生まれた意味など、そういう答えの出ないようなことを考えてしまうひとだった。それの一環なのかもしれないが、わたしは何か焦りのようなものとともに「すごいひと」になることを目指していた。その考えの根源には、「すごいひとにならなければ生きる意味がない」「すごいひとになることで、みんなの記憶に残らなければ、死んだ後に何も残らない」というぼんやりとした生死に対する不安があった。


今考えれば、恐ろしく子供らしくないことを考えていたなあと思う。なぜそのような考え方をしていたのかはよくわからないが、幼少期の私の自己肯定感がとても低かったこととなんとなく関係していそうな気はする。きっと誰かに褒められたかったのだろう。認められたかったのだろう。生まれてからずっと双子の姉という比較対象がいたことで、人と比べることなく生きる方法を知らなかった私が知らず知らずのうちに行きついてしまった考えなのだろうと思う。



月日は経ち、私は21歳になった。「すごいひと」にはなれていないが、「すごいひと」ではなくても生きていけることを知った。優しい友達と最愛の恋人に囲まれて、ゆっくりと日々を過ごせている。


もし過去の自分に会えるなら、伝えてあげたい。


焦らなくてもいいんだよ、ちゃんと生きていけるし、君は幸せになれるよ、

と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?