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『開幕前夜』第1話「愛してる」

 僕はどうしようもない人間だ。
クズと断言してもいいだろう。
くだらない小悪党が精々だ。

 とはいえ、誰かを積極的に苦しめたりする訳でもない。
ただ単に僕の行いは法の下ではグレー、
あるいは限りなく黒に近いというだけのことだ。

 芸能人がたまに薬物に手を染めた報道がなされる。
僕個人の極めて私的な考えでは、「だから? それのなにがいけないの?」と開き直りというか、端的にそうとしか思えない。

もちろん死傷者なんかが出ているならまた話しは別になるけど、みんな大好き自己責任を謳えば、薬物の個人使用も自己責任でいいのではないでしょうか?

 アーティストの行いと作品は別物だという言葉を聞くと、僕は心底人生がバカらしくなる。その言葉が本当に正しいのであれば、アートには著作権がないと言うくらい幼稚な擁護だ。

 ぶっちゃけ、人間がこれほど繁栄してきたのは第一に薬物の効果、変性意識状態の賜物だと僕は思う。幽霊も幻獣も超常能力も、全て変性意識による産物だとさえ思う。全部プラズマ論と変わりなく、揺るぎもしない。

 薬物はブースターに過ぎず、人間の体内に薬物は存在する。
薬物をやらない人生と薬物をし続ける人生どちらが魅力的かに思いを馳せると、結論としてはやらない人生の方が僕は若干上回る。

 しかし、薬物が必要悪であることは譲れない事実だ。

 今の僕の居場所はグループホームでの集団生活の中にある。
もう究極的に薬物ができなくする為には、どうやっても薬物ができない場所、環境の中に身を投じるしかない。

 もう僕の将来に展望はない。出世もできないし、恋愛もできない、なんなら外出すら独りでは成り立たない。だけど勘違いしてほしくないことは、僕は制限される不自由を背負ったことで小さく偉大な自由が手に入ったということだ。

 僕は唯一の我が君を想いながら、すでに余生の中にいる。
他者に生殺与奪の権利を委ねてはいけないかもしれないが、どの道誰もが誰も、ときに理不尽に、ときに不条理に死んでゆく。

 人生に意味があってもなくてもどちらでもかまわないが、毎日のルーティンをこなす単調単純な生活になにかしら愛を感じている。

 多分僕は信じているのだ。
いずれ全てが解る日がくることを、当然解らなくても何も困りはしないが、きっと来ると信じている。せかいが残酷で甘美であるということを。

 嗚呼、だからね?

 ええぇとね?

 僕の生きるせかいを何処までもシンプルにしてゆくと、

「ありがとう、愛してる」

 そう、全て、あらゆるもの、森羅万象、みんな、
愛をくれた人、憎しみを教えてくれた人、好きだと言ってくれた人、嫌悪を与えてくれた人、人以外の全ての生物、無機物、大気、空気、みんなみんな。

“人生はクロースアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇だ”、なんてね。

人生は永くて、あっという間。

だけど心配ないよ。

断言しちゃおう、

あなたは愛されている。

僕がどうかもいつも感じている。

臆病風に吹かれる小悪党ではあるけど、

みんなによって生かされている。



 えいえんえいきゅうとこしえくおん。
すべてあじわっても、
きみをあじわいつくすことはとうていできやしない。

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