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脱毛広告が売る「自分らしさ」について

外に出れば電車の広告、ネットを開けばYoutube広告(あの漫画の広告どうにかならんかね)、テレビをつければCMや通販番組、あちらこちらで脱毛サロンや脱毛器の宣伝が目につく。不自然にも毛穴ひとつない肌が女性のスタンダードになりつつある現状に寒気がする。

(非現実的な美のスタンダードと戦う、数年前にアメリカを中心に話題になったBitch planetという漫画を思い出した。興味ある方はぜひ)

が、一方で、毎月脱毛サロンに通い、絶賛毛穴レスな肌を構築中である自分もいる。この矛盾にどうしてもモヤモヤしてしまう。

毛穴レスがいい!という考えを人に押し付けるつもりは全くない。ただ、私の場合は、毛穴レスがいい、ってだけのこと。

と自分に言い聞かせてこのモヤモヤに蓋をしていた。

脱毛そのものではなく、メッセージ内容への違和感

が、季節は夏になり、あまりにも脱毛の広告を目にする機会が増えたからか、やっぱり何か気になる。脱毛することに問題はない、ツルツルなお肌を手に入れたいのであればすればいい。ただ、脱毛サービスと共に発信しているメッセージ内容に違和感を覚えずにはいられなかった。

様々なメッセージの中でも特に気になるのは、脱毛して自分らしく!みたいなメッセージ。毛を剃ることがどう自分らしさにつながるのだろうか。

(脱毛をすることで)自分に自信をつける=自分らしくなれる、というロジックは理解できるし実際、実感するとこも多い。

多分、毛が生えている=ダメなこと、毛がない状態=良いこと、自信につながる!という前提が引っかかるんだと思う。

(だって何なら、毛が生えている状態こそ、真の"自分らしい姿"なのでは)

ありのままの姿では社会規範的に「美しい」とはされないから、「美しい」とされる状態になって初めて自信を持って自分らしくなれる!というメッセージ、そしてその現実に嫌気がさすのだ。

繰り返しになるけど、私は脱毛することや、人がなりたい自分になるために努力することに反対ではない。むしろ大賛成だし、それはとても美しいことだとおもう。私もしてる。

見せかけに過ぎない女性へのエンパワメント

ここで言う「自分らしく」とか「自信が持てる」は、社会が定めた「美しさ」に対する一定の基準ありきだから、違和感があるのだ。「自分らしくあるための脱毛」は自分で選択していると見せかけて、実はそうではない。

(「脱毛したい人はする、したくない人はしない、それだけのこと。他人がとやかく言うことではありません。興味があればこちらのURLまで」くらい潔くしてくれた方が好感度高いんじゃないかなと思うのは私だけでしょうか)

私は美容整形も原型がわからないくらいの厚化粧も賛成派だ。それをすることによってその人が自信を持てて心地良い人生を送ることができるのであれば、すればいいと思う。脱毛も同様、つるつるの肌にしたいのならすればいい。

ただ、それが自発的かどうか、とか、人の評価などに振り回されず、主導権や感情をコントロールしているのが自分かどうか、がとても重要な要素になってくるのだとおもう。(これさえも判断が難しくなってくるところがまたややこしいんだけどね)

ありのままの自分をしっかり見つめた上で、どうありたいのか、どんな姿であればハッピーなのか、じっくり自分自身と対話する必要がある。人からの評価が特に気になるSNS社会を生きるいま、私自身もこの考えを忘れないようにしたい。

脱毛広告とルッキズム

さいごに、広告がルッキズムに及ぼす影響に関しても少しだけ言及しておきたい。

購買意欲をかきたてることをが「マーケティング」の目的なんだから、「美」を売り物にするのは当然のことだ、と言ってしまえばそこまでだ。ただ、特にみられる対象となりやすい女性にとってルッキズムは大きな課題である。ルッキズムにより見た目への自信をなくし、それが自分自身の行動や存在への自信の無さにもつながる。そしてそれが今の日本のジェンダーギャップ121位という現状を生み出している要因の一つとなっていると言っても過言ではないとおもう。

だから、たかが広告だけど、その広告がモノやサービスを売るために発信するメッセージにはもっともっと配慮が必要なのではないかなーと。

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