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脆く、醜く、それでも強く

新たな環境と、そこにいる自分と向き合うということ

これまでの約25年間、環境変化への適応能力は高いと思いこんでいた節がある。「新しい環境に出くわすたびにそう自分に言い聞かせてきた」という表現の方が適切かもしれない。

12歳までの幼少期は海外を含む幼稚園3か所、小学校2か所に通った。
特に小学生の頃は転校が嫌で嫌で仕方なくて、別れのたびに泣いていた。でも慣れてしまえば結局、その時その場所での生活が一番楽しいように思えて、また離れるのが嫌になる、そんな幼少期だった。その後の中高一貫校や大学進学時には友達をつくることや新しいコミュニティに入ることへの抵抗はなく、むしろ新しい人やモノとの出会いはワクワクで溢れていた。

でも20歳を超えたあたりから、大きな環境変化が起きるとストレスが身体にでるようになった。断続的に胃腸炎のような症状が出るようになり、「25年間インフルエンザにかかったことがない健康体」が取り柄の自分が、大きな環境変化には意外と弱いのだということを自覚させられた。

2016年8月@フランス・パリ
パリへ留学時、途上国でもほとんど体調を崩すことがなかった自分だが、渡航後1,2か月胃の調子が悪い状態が続く。
そんなことも影響してか、2017年春に帰ってくる頃にはヨーロッパ留学にしては珍しく、当時の体重-5kgくらいで帰国。
帰国するころにはパリを離れたくなくて仕方なかったけど。

2018年4月@東京
新卒でコンサル会社に入社後、1か月ほど留学時と同様の症状が続く。確か病院に行っても原因は不明でアメーバ等でもないので心理的なストレスや過労と言われた。
さらに1か月半の全体研修が終わった金曜の夜、打ち上げパーティー最中「なんだか調子悪い…飲みすぎ?」と思い早めに帰宅すると、恐らく人生初38度を超える熱を出した。
(翌日予定されていた中高時代の先輩の結婚パーティーに行けなかったのがいまでも悔しい。笑)

2020年5月@金沢

このタイミングでピンポイントに大きな変化があったわけではないが、
・昨年11月:金沢と茅ヶ崎の遠距離恋愛を経て結婚、金沢に移る
・3月上旬:(4月以降海外渡航予定のため)前職を退職
・4月以降:コロナの影響で海外渡航予定が消え、新しいライフスタイルに
・5月:新たに長期アルバイト、失業手当受給スタート
上記に加え4~5月はコロナに伴う外出自粛期間でもあった。この間、断続的に同様の症状が続く。

あとは思い返すと、昨夏は急に帯状疱疹になった時期があった。特段仕事が忙しかったわけでもないので、その頃の主要因は不明だが、帯状疱疹になった時は「受診するのが遅すぎる、我慢しすぎ。後遺症残ることもあるんですよ…」と病院の先生に叱られた。

それぞれの時期で何がそれほどまでにストレスなのか?を考えてみると、
「新しい環境におけるこうありたい自分」vs 「等身大のいまここにいる自分」のギャップなのだろうと感じた。
恐らく幼少期や中高大進学時は、このギャップがあまりなかった、あるいは前者を明確に持ち合わせていなかったのだろう。
そもそも幼少期においては環境が変わるということ、ここでいう転勤・転校は「親の都合」であり、自分が望んで転校してたわけでもないというのが根底にあったのだろう。
一方で大学生以降は留学も、就職も、結婚に伴う引っ越しや退職、新しい生活も、すべて自分の意思に基づいて意思決定をしてきたという責任と、それを意識するとギャップに対して言い訳をできない、そこにいる自分と向き合うしかない自分がいた。
理想とギャップがある自分を認め、受け入れ、このギャップを埋めていく作業をコツコツしていくしかないのだと25歳になってやっと学ぶ。

この記事を書き起こそうと思ったのはある学生の知り合いからの一言だった。

「南奈さんはいつも輝いている」

自分が学生の頃から「キラキラしてる」などと表現されることがあって、たまに違和感を覚える瞬間でもある。
周囲からそう見える人たちも人間なので、少なくとも私の場合そう見えるのは一瞬の切り取りでしかない。実際の生活は毎日努力を惜しまず自己研鑽なんてできているわけでもなければ、Netflixを見てだらだらしてしまう夜も、昼まで寝てしまう休日も、「ああなんでこんな時間の使い方したんだ今日…」とか悔やむ夕方もある。
大企業勤めや都会での生活から離れ、新たにいろんなことをする毎日を過ごすなかで、すべてを完璧にこなしたくても難しくて、すべてを投げ出したくなる日もある。

「強く、しなやかに生きる自分でありたい」という想いは強いのに、現実は「脆くて、醜くて、それでも強く」ともがく自分。な今日この頃なのだ。

家を見渡して掃除が行き届いてないとかそんな小さいことに嫌気が差すことも少なくない。
そしてなんの悪気もない旦那に「今日掃除機かけた?部屋綺麗だね。」とか何気ない一言を言われた時、「え、、毎日掃除機かけてるんだけど?!」とふつふつしてしまう自分が情けなく思えたり。
(結婚して以来、自分がもし在宅勤務でなかったら…と考えると恐ろしいので、共働き家庭で互いに外での勤務中心の皆さまには頭が上がらない。。)

新婚生活は、意外とそんな感じで日々泥臭いものだと思う。
他人と生活を共にし、人生を共にするというのは、そんなに簡単ではない。
でもそんな泥臭い日々の中にも遠距離の時はできなかった、毎日の「ただいま」と「おかえり」があったり、「南奈の作るご飯はいつも美味しいね」が聞けたり、そんな小さい幸せの積み重ねでできています。

【余談】

自分の意思に基づいて決定したものに対する責任感は幼少期からの父親の教えが大きい。
小学校時代の習い事も、中学受験も、すべてにおいて「自分がやると決めたことには自分で責任を持て。」と言われてきた。
(そして、お金は無限にあるものではないけれど、やりたいと思うこと対して必要な資金はできる限り出せるよう努力する。と言ってくれていた。)
「その代わり、もし自分やりたいことがなく、自分の進みたい道が分からない場合はすべて提示するからそれに沿って生きたらいい。行くべき大学も会社も提示するから。」と。もう10年以上前の言葉なので細かい部分は曖昧だがこんなニュアンスだったと思う。

【さらに余談】
私は3人兄弟の長女だが、結局いまのところ3人とも自分で自分の道を決めて、良くも悪くも三者三様に全く違う人生を歩んでいる。

ごく当たり前のことに感じるが、これを叩き込んでくれた父親には感謝している。


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