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第3回/人と違うことがしたくて、香川高専初の海外進学へ/山本聖也さん

こんにちは!
みんなの進路委員会の谷村です。
今回は、私の小・中学校時代の同級生である山本さんのストーリーです。

山本聖也さん(やまもとせいや)
1994年生まれ。香川県高松市出身。国立香川高等専門学校情報工学科(詫間キャンパス)-カリフォルニア州立大学ノースリッジ校-日系IT企業(ゲームプログラマー)

ーーー山本さんの子ども時代について教えてください。

香川県の県庁所在地である高松市の中心部で生まれ育ちました。いわゆる地方都市で、中途半端に街といった感じでしょうか。カラオケやゲームセンター、ショッピングセンターといった子どもの遊び場もそれなりにある便利なところです。

幼少期は、けっこう騒がしい方だったと思います。ですが、小学5~6年生くらいから、学級委員を務めたり、自由研究の内容を文化センターで発表するなど人前に出ることが増えて、それ以来意識が高いこどもだったと思います。他の人がやっていないことをやってみたいという気持ちもありました。デジタル技術者検定という資格を取得したり、研究発表などを行ったりしました。

ーーー高専に進学された背景を教えてください。

小さい頃からゲームやパソコンに興味がありました。理系科目も好きで、そんな中親から高専という選択肢があることを紹介されました。香川県内だと、高専は高松市内と県西部の三豊市詫間の2カ所でした。情報系が学べるのは詫間のみでしたが、わざわざ寮に入ってまで進学しようとは思っていませんでした。ですが、小学校からの友人が詫間への進学を決意したという話を聞いて、それなら自分も行ってみようと思い、詫間キャンパスへ進学しました。

ーーーどんな高専生活を過ごしましたか?

最初は寮に入っていたのですが、体調を崩してしまい、祖母の家が比較的キャンパスに近かったのでそこから通うことになりました。2年生から本格的に情報工学について学び始めました。ちなみに高専は5年間通います。部活は普通の高校生のようにあります。自分はもともと陸上部にいましたが、途中から情報総合研究会という前述の友人が作った部活に入りました。毎年、総合文化祭という四国の高専が集まって展示などをする会があり、そこで作ったゲームなどを展示するのが活動の中心でした。
4年生から自然言語処理の研究室に入り、推理小説のテキストデータをAIに読ませて犯人を推理させる研究をやっていました。最終的には、30%程度の正答率までいきました。言語処理の基本的なことを網羅できて面白かったです。学会も国内外参加することができました。

ーーーその後、海外進学されますが、高専生の中では一般的ではない進路ですよね?

そうですね。最初に海外進学を考えたのは2年生の時でした。高専の卒業生は基本的には卒業後に就職するか、大学3年生に編入します。ですが、ここでも持ち前のちょっとみんなと違うことがしたいという考えがありました。当時、自分の成績がクラスの中ではそこそこ良かったので調子に乗っていたんだと思います(笑)そこで、海外に行きたいなと薄ら思い始めました。英語の資格試験を受け始めたのですが、一緒に受けた友人よりもたまたまいい点を取ってしまったので余計に調子に乗りました(笑)

ちなみに、母校から海外進学した人は過去に1人もいませんでした。そのため、進路指導相談の時に、海外に行きたいことを伝えた時も、サポートできるノウハウがないという話でした。ですが、挑戦することはいいことだと応援してくれました。親も、自分が海外進学に興味を持っていることは気づいていましたが、日本の大学に編入した上で交換留学とか、大学院で海外に行くのかなと思っていたみたいです。そのため、学部で海外進学するという話をしたときには驚かれました。ですが、特に反対されることもありませんでした。

英語もそこまで苦手意識がありませんでした。1回目のTOEFLでは出願に必要な合格点が取れずショックを受けましたが、そこから頑張って勉強して2回目で合格点を取ることができました。その後はSATの勉強や必要な書類を整えるなど順調に進めていきました。

進学先は、情報工学分野の実績を重視しました。カリフォルニアの大学群がよさそうだとわかり、自分の英語などの実力も加味して最終的な出願先を2校に決めました。両方合格したのですが、片方の学校は単位互換ができないことがわかり、そこでカリフォルニア州立大学ノースリッジ校への進学を決めました。ちなみに、香川県が行っている奨学金をいただくこともできました。

ーーーカリフォルニア州立大学ノースリッジ校でのキャンパスライフはいかがでしたか?

海外の大学って課題がめちゃくちゃ多いとか、入るのは大変だけど出るのが大変という話を聞いていたので身構えていましたが、思ったほど勉強ばかりにならずゆったりと過ごせたと思います。勉強したいことが勉強できましたね。実際にゲームを作ったりアプリを開発したりと、手を動かす授業が多かったです。また、グループワークがとても多く、当初は英語での会話力に不安はありました。授業は分かるけど友達とは話せないという状況が最初はありましたが、話さざるを得ない状態になったことで話せるようになり、その過程で友達もできました。専門系の授業はとても身になりました。また、自主制作でゲームを作る活動をしていました。作ったゲームをオンラインのサイトに投稿していました。

ちなみに留学中は、現地の日本人家族が運営しているゲストハウスを借りて暮らしていました。「びびなび」という世界中の地域に暮らす日本人によるコミュニティサイトがあり、そこで部屋の貸し借りや物の売り買い、イベント参加者を募るなどの様々な交流が行われているのですが、私もそこで住む場所を見つけました。

ーーーいまの会社とはどのような出会いだったんですか?

3年生の夏に一時帰国して就職活動をしていました。ゲーム業界志望だったので、受けられそうな会社をひたすら受けていた中でいまの会社に巡り会いました。ゲーム業界でかつ自分がその会社のゲームをかなり遊んだことがあり、海外展開もしているという点に惹かれました。第一志望の会社に入ることができて良かったです。ちなみに海外進学をしたチャレンジ精神や人と違うことをしようとするところが就職活動では評価されていたようです。

ーーーいまはどんな仕事をしているんですか?また将来の展望はありますか?

現在社会人4年目になりました。ゲームのプログラマーとして働いています。キャラクターとか背景とかはデザイナーの方が、BGMとかはサウンドの人が作ります。そういった素材や、プランナーが考えたゲーム企画に基づき、実際のゲームを構築する役割です。

最近は、ゲームそのものを作るのではなく、ゲーム開発を効率化することを仕事として取り組んでいます。まずは、いかに効率的にゲーム開発を行うことができる仕組みを作ることで、より面白いゲームがすぐにたくさん世の中に出せるようにしていきたいと思います。

ーーー最後に、地方の高校生に一言お願いします。

留学と聞くと難しそうで絵空事のような感じがするかもしれませんが、そのような気持ちは自分もありました。でも、実際に準備を始めると日本のどこの大学に進学するかを考えるのとそこまで大差ない印象です。あまり身構えずにまずは行動してみるといいと思います。

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