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第4回/マレーシア進学を決めたのは高3の2月!?/中野真泉さん

こんにちは!
みんなの進路委員会の谷村です。
#地方出身の私の海外進学ストーリーの第四弾です。
今回は、高校3年生の途中まで国内進学予定だったところから、マレーシアの大学に進学した中野さんのストーリーです。

中野真泉さん(なかのまなみ)
1999年生まれ。愛媛県松山市出身。松山東高-サンウェイ大(マレーシア)。

ーーー中野さんの子ども時代について教えてください。

家は歩いて3秒で海。学校は山の裾野にあり、田んぼの側を歩いて登校するような田舎で生まれ育ちました。小さい頃はとても内向的で、カルタをしたときに気づいているにも関わらずじっと見つめているだけだったという保育園時代のエピソードがあります(笑)
そんなところは小学校に入ってからも変わりませんでしたが、自分が好きなことに対しては一生懸命取り組むタイプでした。保育園の年長のときに新体操を始めたのですが、それは学外のクラブでしたからとても忙しかったのを覚えています。内気ではありますが、我が道を行く性質はその頃から既にあったのかもしれません。

新体操をする中野さん


ーー内向的だったんですね。いまの中野さんからは想像がつきません。そこからどんなきっかけで海外に目が向いたのでしょうか?

小学校5年生のときに新体操の試合でマレーシア遠征をしたんですね。所属していたチームのコーチがマレーシアのコーチとつながりがあったことからマレーシアの試合に出ることになったんです。その時にマレーシア選手の家庭に2週間程度ホームステイすることになりました。私がお世話になったのは日常会話は中国語を使う中華系の姉妹の家で、お互いにほとんど英語は話せませんでした。そのため共通言語はなかったのですが、漢字を並べたりジェスチャーなどを使ってコミュニケーションを取ることができたんです。そのことがすごく嬉しくて、この経験が海外に目を向けるきっかけになったと思います。

はじめてのホームステイ先で

中学生になると、積極的に海外の方と交流できるような機会を見つけて参加するようになりました。愛媛県に国際交流センターというところがあって、そこでは様々な国際交流のイベントが行われており、それにある程度参加すると、松山市が提携している姉妹都市(ドイツのフライブルク、アメリカのサクラメントなど)に交流事業として行くプログラムに派遣される制度がありました。資格を得た上で選考され、2年生の夏にドイツ、オーストリアに行くことができました。このときもホームステイをさせてもらいました。

ドイツでのホームステイ

ーーーちなみに学校生活はどんな感じだったんですか?

勉強はしっかりしていました。部活は卓球部。松山市の大会で優勝するほどのチームでしたからかなりの練習量でした。卓球部のメンバーは皆勉強も頑張るタイプが多く、特にダブルスでペアを組んでいた友人がトップクラスの実力者だったので卓球はもちろん勉強でも負けたくない!と良きライバルになっていました。そもそも完璧主義の気質でしたが、更に過度になっていったように思います。
そもそも完璧主義者になるきっかけは別のところにありました。それは浅田真央さんの存在です。私は3歳の頃から筋金入りの浅田真央さんファンでした。彼女を見て育ったことが自分自身の人格形成に大きな影響を及ぼしています。小さい頃はただ演技を見て素敵だなと思っていましたが、彼女を追い続ける中でその人柄に惚れ込みました。真央さんといえばトリプルアクセルが代名詞ですが、バンクーバーオリンピックの前年にはトリプルアクセルを3回入れるという構成がなかなかうまくいかない時期があったのです。どの大会でもうまくいかず、周囲からトリプルアクセルなしでも勝てるのだから回避した方が良いのではないのかと言われた際、真央さんは「トリプルアクセル無しで優勝しても嬉しくない」と言い切りました。それを聞いて「常に自分が思う最高を目指したい」ということだと感じ、私もそこを目指したいと強く思うようになりました。それが私が小学校4年生の時です。それ以来、自分が何か迷ったり不安になったりした時は真央さんの演技を見たり、真央さんの言葉を思い出して自分の原動力としています。

浅田真央選手のショーで

ーーー高校ではアメリカに1年間留学されましたが、どんな経緯だったのでしょうか?

それまで海外の方と関わる機会を経験してきた中で、短期間のプログラムではただの旅行と変わらないし、どうしてもお客さん扱いになってしまう。やはりそこで生活し、もっと深く現地の方々と関わりたいと思うようになりました。
しかし、中学時代まではなんとかバランスを保てていたことも高校に進学すると求められることのレベルが高く、なかなか完璧でいることは難しくなります。自分の理想と現実のギャップに苦しくなってしまい、一時期は学校に行けなくなってしまいました。その時期に母の海外体験(若い頃バックパッカーで放浪した話など)を聞いたり、CAさんや商社勤めの母の友人の話などを聞くうちに広い世界への憧れが募ってきました。母からはきちんとした団体を通して行くならOKだと言われ、そのモチベーションと友人たちの支えもあり、2学期からは学校に戻ることができました。
そして高校2年生の時に、IFというアメリカ国務省主催の団体が行っている交換留学プログラムを通して1年間アメリカへ留学することができました。指定された州に派遣され、ホームステイをし、現地の公立高校に通います。その地域に日本文化を伝えるという目的もありあえて日本人がいないところに派遣されるのです。私が行ったのはオクラホマ州ボイシーシティという町でした。ものすごく田舎で、少し郊外に出るとまっすぐに地平線が見えているような地域でした。
最初の1週間はめちゃくちゃ心細くて毎日泣いてばかりいました(笑)事前研修のときに、携帯電話を持っているとどうしても連絡をとってしまって余計にホームシックになると言われたのですが、それを真に受けて本当に通信手段は何も持って行かなかったんです。想像以上に寂しく、数日後に我慢できずに大号泣してしまったのですが、そのときにホストマザーが「私たちがここではあなたの家族だよ、大丈夫だよ」としっかり抱きしめてくれました。それで何か憑き物が落ちたように安堵し、ここは私の居場所なんだと思えました。その後は頭を切り替え、とにかく自分から積極的に関わっていこう!声をかけてもらったことは全部チャレンジしよう!と決心し、とても楽しく過ごすことができました。
これまで完璧主義から脱することができなかった私でしたが、アメリカではそんなことを言っている場合ではありませんでした。もう全てにおいて助けを求めざるを得ない。だんだん「まあ、いっか」と思えるようになりました。前向きになって何でもとりあえず「Yes」。わけもわからず飛び込んで行ったら自分が最も苦手とする「マラソン」だったり、ドリブルもまともにできない私が本場バスケの国でチームに入ることになったり。やったこともないスポーツを何種類もやり、コーラスをし、教会にも行き、さまざまな家庭と交流し、本当にたくさんの経験をしました。アメリカは自己主張が大切な国なので「はっきり言う」こともできるようになりました。アメリカ留学前後では大きく人格が変わり、帰国した後に再会した先生や友人たちに「本当にまな?」と驚かれたことは言うまでもありません(笑)

アメリカ留学中に

ーーー人生における貴重な体験になったんでしょうね。そこから海外進学へとつながったんでしょうか?

このアメリカ留学で海外で暮らしてみたいという自分の気持ちはある程度満足したんです。だから最初は普通に国内での大学進学を考えていました。
そんなある日、高校で海外進学向けの奨学金の案内チラシを偶然見てしまったんです。その瞬間にアメリカ留学をした時の日々が思い出され、とにかく海外進学をしたくてたまらなくなってしまいました。またこれが感性だけで突っ走っていて単純極まりない(笑)実に高校3年生の5月のことです。それからいろいろと情報収集を始めました。夏休みに海外進学を目指す高校生を支援するNPOのイベントに参加したのですが、そこでメンターとして集まってくださった海外大に進学している先輩方はしっかりと目的意識があり、自分のやりたいことが見えていて、とても輝いていました。私もこんな風になりたい!と、更に海外進学への意欲がわきました。しかし、当初はやりたいことが明確にあるわけではなかったのでアメリカのリベラルアーツ・カレッジを進学先として考えていました。
その後、もっと実践的な英語を身に付けるべく、知人から紹介された英語のプログラムを受講しました。そのプログラムでは国籍も年代も違ったメンバーが集まり、先生が用意した記事をもとに自由にディスカッションをします。ある時「ムーブメント」が記事のテーマに取り上げられたのですが、日本では学生が起こすムーブメントはあまりないことに気がつきました。アメリカでは選挙権をまだ持っていないような学生たちまでが大統領選挙について議論していたのに。しかもそれが始まるのが音楽の授業中だった、ということもありました。本当に衝撃的でした。奇しくも帰国した頃に衆議院選挙があったのですが、ちょうど18歳選挙権が導入され、学生も政治参加できる機会を得られたのにもかかわらず、私の学校では政治は全く話題に上りませんでした。ほとんどの生徒が全く関心を示さなかったのです。日本には主権者教育が大きく欠けていると感じ、世界で日本だけが取り残されているのではないかと焦りに似た気持ちを持つようになりました。
そんな状況を目の当たりにし、ますます日本の教育に対する嫌悪感が高まっていきました。自分の中で日本が嫌だから脱出するかのように海外に出たいという思いと、私がいま感じている課題は日本にいてこそ取り組めるのではないかという点で悩むようになったのです。そんなとき、ネパール人の知人から言われました。「日本はあなたの国なのだから、誰かが変えてくれるのを待つのではなく、あなた自身がやるべきだよ」と。ハッとしました。自分が日本の教育を変えればいいんだ!そう思いました。
しかしこれに気づいた時はすでにセンター試験直前。では日本の大学の教育学部に進学したいのか?今から方向転換するのは到底間に合わない状況でもありましたが、実際に自分は教員になりたいわけではない。やりたいのは仕組みを変えることだと思い、海外の大学でそれに近づけるような場を見つけようと思いました。でもそれはどこで?そんな時に前述の英語でディスカッションをするサービスを提供している団体の代表の方とお会いする機会がありました。そして「進学先がアメリカである必要があるのか」と問われたんです。アメリカ以外に視点が向いていませんでしたが、具体的に行きたい大学があったわけではないのでそう考えるとアメリカである必要はなかったのです。話を聞いてみると、マレーシアにはアメリカ、オーストラリア、イギリスなどに本校がある、いわゆる「マレーシア校」があり、質のいい教育を受けることができる。しかも生活費は安く治安もいい。高度経済成長期の日本のような感じで活気があって住みやすく、費用対効果を考えるととてもお勧めであるとのことでした。俄然興味がわき、その翌月にさっそくマレーシアの大学を見学しに現地に飛びました。それが高校3年生の2月のことです。そのとき見学した中にサンウェイ大学があり、結局そこに進学することになりました。

ーーーサンウェイ大学のどのようなところに惹かれて進学を決めたんですか?

サンウェイ大学の柔軟性の高さですね。学校見学は個別対応でとても丁寧にして頂きました。サンウェイが英語のレベルの基準にしているのはIELTSで、私はTOEFLしか受けていなかったので相談したところ、それなら今から大学がやっている英語試験を受けてみるかと。一瞬迷いましたが腹を括りそのまま受けたところめでたくクリア!その後はとんとん拍子に事が進み、言われるままに必要な書類の提出をして入試に合格しました。機を逃さず臨機応変に対応する、さすが財閥資本の大学だと感心しました。
また、ビジネス思考に徹している点も魅力的でした。ビジネスは生き物で時代を反映している。常にその視点で全てのカリキュラムを組んでいくので、その年度にならないとどんな分野に重点を置くかわからない。そんな話を聞いていると「ここで学びたい!」とワクワクしてくる気持ちを押さえられなくなってきました。
そして国自体の活気ですね。マレーシアという国自体が勢いを持っていて、どんどん発展していることがリアルに感じられます。サンウェイはその経済発展の中心にいるサンウェイ財閥が経営している大学です。大学以外にも不動産業や遊園地、商業施設や病院に至るまで多角経営しています。大学がある一体は「サンウェイ王国」と呼びたくなるほど系列の施設がひしめいていて、その雰囲気にも惹きつけられました。

ーーーいまサンウェイ大学ではどのようなことを学んでいるのですか?

ビジネスマネジメントを専攻しています。ビジネスの基本は人。まず人を育成することが大切です。会社のビジョンを実現するためにはしっかりと実現する人の教育は欠かせません。また個人だけではなく、チームで成果を出せることも必要で、それも優秀なリーダーがいてこそできること。とにかく人材を育てることが大切で、それはいわゆる「教育」に通じる部分が多く、直結しているわけではなくとも学ぶことには大いに意味があると日々感じているところです。
サンウェイ大学では、身近にリアルなビジネスがあります。3年生になるとインターンシップがあり、大学が提携している企業で1学期間ずっと仕事をしながら学びます。財閥ならではの強味でさまざまな分野の企業に出向くことができるようです。机の上の勉強だけでなく、実際に生の現場で学ぶという大学の考え方が表れたプログラムなのです。また、ビジネス領域における世界のエキスパートの講演をいつでも聞ける環境が整っています。さらに起業したい人が相談できるラボもあります。授業は常にリアルなビジネスを例に使って学んでいます。コロナ渦においては、このコロナ渦だからこそ対応しなければならない企業のマネジメントを題材にするなど、時代に即応した学びが用意されています。

ーーー学生団体でも活動されていらっしゃいますよね?

情報過多のこの時代において正しい判断力と幅広いものの見方を身につけ、それぞれが安心してたくさん新しいことに挑戦する、そこで出会った人と成長し合う、そんな空間を作りたくて「のびのば」という学生団体を設立し、代表を務めています。いろいろな学部に通っている大学生(教育学・生物学・芸術学など)が集まって、それぞれの得意分野を生かして教育カリキュラムをつくり、サービスの提供をしています。実際に何度も小学生を対象にプログラムを作りオンラインや実地で開催し活動しました。

ーーー今年から休学されると伺いましたが、これからどんなことをしようとしているのですか?

私の海外進学の経験談について話す機会があった時に、そこに参加していたある教員の方と教育についての考えで意気投合しました。そのご縁で、鳥取県のある学童で小学生を対象にした「探究学習」を行うインターンシップに取り組むことになりました。その探究学習自体を設計し、運用する仕事です。新しい取り組みとのことでとてもワクワクしています。
いまは日本の教育の在り方を変えたいという強い思いがあります。子どもたちが自分の考える力を伸ばして、自分がやりたいことを見つけられるような教育とは。どんな風に取り組めはよいのか。自分のようにわくわくしながら進んでいく人を増やしたい、そんな子どもをサポートする人になりたいと思っています。

ーーー最後に地方の中高生に向けて一言いただきたいです。

情報の面では地方といえども今は自分からどんどん取りにいける時代です。地理的なハンディはなかなかシビアですが悲観的にならず、扉をこじ開けていく。自分のわくわくする気持ちに素直になってとにかく挑戦してほしいです。素直に勝る天才なしです。直感力を大事にフットワーク軽く(フッ軽)行きましょう!

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