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第2回/第一志望不合格からまさかの世界最高峰の大学へ/北向日葵さん

こんにちは!
みんなの進路委員会の谷村です。
今回は、音楽の都であるオーストリアのウィーン国立音楽大学でピアノを学んでいる北さんです。実は私も小学生の頃、ピアノに熱中して後から出てくるピティナ・ピアノコンペティションに出場していたり、のだめカンタービレにはまっていたりした時期があったので、懐かしい気持ちになりながらお話を伺いました。

北 向日葵さん(きた ひまわり)
2000年生まれ。愛知県日進市出身。愛知県立明和高校音楽科-ウィーン国立音楽大学

ーーーどんな子ども時代を過ごされましたか?

私が育った愛知県日進市は、田舎過ぎず都会過ぎず、という地域ですね。バランスが取れているというか。目立つものは何もなくて、強いて言うなら愛知牧場くらいですかね。これといって観光するところはないです(笑)自然が多く残っていながら、名古屋へのアクセスも電車で30分程度と良いため、人口が増えています。私が小学2年生の時には、児童の数が増えたため2校に分かれたくらいです。

子どもの頃は、やんちゃとまでは言わないですが、元気なこどもでした。小学生の時はバスケットボールやテニス、水泳などをやっていました。バスケットボールは、学校の部活だけでなくクラブチームにも入っていて、かなりのめり込んでいましたね。部活の顧問の先生には、「そんなに頑張りすぎて手を怪我されても責任取れないよ」と言われるほどでした。

一方で、母親の勧めで4歳からピアノを始めました。趣味感覚で楽しくピアノを習い始めたのですが、やっているうちに次第に実力がついていき、地元のコンクールとかに出るようになりました。小学3年生の時に、妹と連弾初級A部門でピティナ・ピアノコンペティション(1977年開始。全国で45,000人が参加する日本を代表するピアノのコンクール)に出場し、そこで全国1位になりました。これを機に、全国的なコンクールで賞を取るようになりました。

ーーーその後もスポーツとピアノを両立されたのですか?

いえ、さすがに(笑) 中学生になったときに、スポーツと勉強とピアノを両立するのは難しいと思い、ピアノに専念することにしました。部活は家庭部に入りました。裁縫をする部活ですが、友達とおしゃべりをしているだけというような感じで、ゆるくやっていましたね。

中学2年生の時に、オーストリアで開催された国際コンクールに出場しました。日本でそのコンクールへの派遣オーディションを受けたところ、最優秀賞をいただき、渡航費や参加費などを全額支援していただけることになったのが、出場のきっかけとなりました。日本からは2名選ばれたようです。

私にとって初めての国際コンクールでしたが、日本と海外のコンクールの違いに驚きました。日本の場合、コンクールは厳粛な雰囲気があるため非常に緊張します。しかし、この国際コンクールはアットホームな雰囲気でした。まるでコンサートかのような温かい会場。出演者や審査員、スタッフ、観客たちが、みんなで応援し合う感じがとてもいいなと思いました。

また、初めて同年代の海外の方の演奏を聴いたのですが、演奏している時の雰囲気も日本人と違うと感じました。私はいつもミスをしないように、と意識するあまりに萎縮して守りに入った演奏になってしまいます。ですが、海外の方は本当に堂々としていました。多少のミスは気にせず、自分の演奏をアピールしようという姿勢なのです。演奏を楽しんでさえいました。この経験を通して、自分自身がこれまでいかに狭い世界にいたのかということに気づき、もっと海外に出る機会を増やしたいと思いました。

でも、日本が大好きで離れたくない私にとって、留学のように長期間を海外で過ごすのは無理だと思っていました。セミナーやコンクールなどに参加し、観光も含めた2週間くらいの勉強旅行のような海外経験を積んでいくのが理想でした。

ーーー中学生から本格的にピアノの道を歩むようになった北さんにとって、音楽科がある高校に進学することは自然だったんですね

そうですね。全く迷いはありませんでした。でも、東京の音楽高校で学ぶのか、地元の高校の音楽科に進学するのかという点では少し迷いました。東京の音楽高校は、全国から優秀な学生が集まるため、レベルが高いので。でも、高校生から一人暮らしをする自信が無かったのと、地元に残りながらも学べることはたくさんあると思ったので、早々に地元高校の音楽科へ進学することを決めました。

高校時代は、まさに音楽漬けの毎日を過ごしましたね。ちなみに、私は地元に音楽科のある高校がありましたが、そういう高校はどこにでもあるわけではないので、隣県から通っている同級生もいました。選択副科として、自分の専攻以外の管弦打和楽器や、作曲、外国語(ドイツ語、フランス語、イタリア語)を受ける授業があったのですが、単に「楽そうだから」という理由でドイツ語を選択して2年間勉強していました。これが数年後に役に立つとは当時は思いもしませんでした。

ーーーウィーン国立音楽大学に進学されましたが、はじめから海外大学を目指していたのですか?

いえ、全く考えていませんでした。東京藝術大学が第一志望でした。小さい頃から、この分野での日本一の大学が東京藝術大学と言われて育ってきたので、東京藝術大学に進学することが私の大きな夢でした。ですが、残念ながら不合格となってしまいました。あまりのショックの大きさに、一時期ピアノが弾けなくなってしまいました。滑り止めとして受験した地元の音楽大学からは合格を得ていたものの、東京藝術大学への進学の夢を諦めきれなかったり、気持ちの整理がついていなかったりして入学する気になれなかったので辞退しました。

ある日、今後の進路の報告するために高校の先生のところへ伺いました。その先生は、私が海外のコンクールやセミナーに何度も参加していたことを知っていたからでしょうか。浪人してもう一度東京藝術大学を目指す、という進路の報告をしたところ「海外という選択肢はどうなのか」と提案してくださったのです。今まで全くその可能性を考えたことがなかったので、この一言で初めて留学という選択肢を考えるようになりました。

しかし、本気で留学する気持ちはほとんどありませんでした。短い準備期間で急に受験して合格できる大学なんてあるわけないと思っていましたし。表向きは海外大学の受験ですが、メンタルが弱っていた私の中では、海外旅行ができる口実にもなるし、いいリフレッシュになるから挑戦してみるのも悪くないなと思っていました(笑)

どこの国の大学を受験しようかと考えていた時、幼少期からお世話になっている地元のピアノの先生が、「あなたの演奏はウィーンの街の雰囲気に合っているから、目指すなら世界最高峰のウィーン国立音楽大学にするべき。」と強く勧めてくださったので、ウィーン国立音楽大学への受験を考え始めました。音楽の都ウィーンで、ピアノを学べることは魅力的だと思いますし、初めて出た国際コンクールがオーストリアだったこともあり、ご縁も感じていました。しかし、ウィーン国立音楽大学は世界の音楽大学ランキングTOP10の上位校。世界1位の年もあります。(ちなみに日本の音楽大学は100位にすら入れません。)そこで、まだ合格可能性がありそうな大学の受験も考えました。ロシア国立音楽大学モスクワ音楽院や、同じオーストリアのザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学などです。最終的には、留学願望がそこまで強かったわけでもないので、記念受験としてウィーン国立音楽大学のみ挑戦することにしました。今回は、お試しや様子見という感じで受験して、また翌年に受験してもいいかなとも思いました。

ーーーやはり入学試験は難関だったのでしょうか?

それが意外なのですが、楽典の試験は日本の音楽大学よりも簡単で驚きました。理論の分野については、日本がかなり早期から勉強しているので、大学入試時点では世界水準を上回っているようです。試験は、終わった人からテスト用紙を提出して退室していいというかなりルーズなスタイルで、それも驚きました。

実技試験の内容は日本と大きな違いはありませんが、国際コンクールの時と同じように先生たちの様子が温かく、受験生のいいところを見つけてあげようという姿勢を感じました。ちなみに、その場で上手にピアノを弾くことができる受験生よりも、ポテンシャルがありそうかどうかを重視していると聞いたことがあります。

ーーー試験の手応えはありましたか?

いえいえ、合格した時は本当に信じられなかったです。まさか自分が世界最高峰の音楽大学に合格するとは夢にも思いませんでした。合格した嬉しさ以上に、もともと留学に対してモチベーションが高かったわけではなかったので、これからの留学生活に対する心配や不安の方が大きかったです。本当に合格するなんて自分も含めて誰も思っていませんでした。でも、せっかくもらえたチャンスはご縁だと思い、進学を決意しました。

当然、合格するまでは語学の勉強も真剣にしていませんでした。受験時のやりとりは、全て英語を使っていました。一応、楽典試験の対策として基本的な音楽用語だけドイツ語で分かる状態にはしていましたが、会話は全くできない状態でした。合格してから渡航までの3ヶ月は、地元でドイツ語の個人指導をお願いし、慌てて勉強を始めました。オーストリアに渡航してからは、語学学校に半年間通いました。大学の授業と両立しないといけなかったので大変でした。ウィーン国立音楽大学では、ドイツ語の語学レベルB1の合格証明書を、入学してから1年以内に提出する必要があります。(本来は入学時に提出するのが理想ですが、私は全く勉強していなかったので…)そのため、必死に勉強しました。そのおかげで、無事にドイツ語の試験にも合格でき、日常生活では困ることないドイツ語の力がつきました。ネイティブの方とお話しするのは、今でも緊張しますが…

ーーーちなみに留学は無理だと思っていたとのことですが、ホームシックとかにはなりませんでしたか?

それが全然大丈夫でした(笑)意外と留学に向いているタイプなのかもしれません。ウィーンでは日本食が至る所で手に入り食べることができるので、それもあり大丈夫って感じです。ウィーン国立音楽大学はヨーロッパ・北米・アジア・南米など世界中から集まる留学生たちで構成されています。総合芸術大学なので、ミュージカルや映像学など幅広い分野を学ぶ学生がいます。ちなみに、私の同級生には日本人が全くいません。その後、妹もウィーン国立音楽大学に進学してきたのですが、その年は日本人が多く入学していて、ピアノ専攻だけでも4~5人、他の専攻にも日本人がいます。

ーーーウィーン国立音楽大学での生活はいかがでしょうか?

大学での勉強は、私にとっては高校時代の復習をドイツ語でやっているような感じです。海外大学で勉強する音楽理論を、日本は先んじて音楽高校で勉強しているようです。そのため、日本の音楽大学では進んだ内容の理論を学んでいるのではと思います。もしかしたら、理論教育に関しては日本の方が一歩進んでいるかもしれないです。一方で、去年から音楽史の授業を取っているのですが、ヨーロッパの歴史をベースに授業が展開されていくので、日本では考えることのない視点から学ぶことができます。それ以外にも、世界中から多様なバックグラウンドを持った学生や教授が集まっているので、そういった人たちと関わることによって、日本では学んだり考えたりできないような価値観や視点と出会うことができます。そういった経験は、自分の成長に大きくつながっていると思います。

ーーーこれからどうしていきたいという計画はありますか?

まずは、無事に学士課程を卒業するのが目標です。卒業できたら、せっかくウィーンにいるので大学院まで進学したいなと考えています。最終的には日本に戻り、これまでの経験や学んだことを活かして、ピアノの先生になりたいです。本が好きなので、ドイツ語の知識を使って翻訳の仕事をしてみたり、留学をしようとしている人のサポートをしたりすることもできたらいいなと思います。まだ具体的に決めていることはありませんが、留学した経験が最大に活かせることができたらいいなと考えています。

ーーー最後に中高生に一言いただきたいです!

やってみたら意外とできちゃうこともあると思うので、ぜひいろいろやってみてほしいですね。留学したいと思っている人は、ためらわずに留学に挑戦してみてください。もし新型コロナウイルスの影響ですぐには難しかったとしても、留学に向けての準備を始めるなど、今できることを考えてみてください。ありきたりですが、語学の勉強をしっかりしておくことをお勧めします。必ず留学している時の自分を助けてくれますし、留学生活の質が上がると思います。

また、人生うまくいっていなかったとしても、思いもよらないところで、良い方向に進むこともあると思うので、無駄なことは一つもないと思って前に進んでいってほしいです。

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