泣きながらこれを書いている
私は祖父母が大好きだ。
私がおじいさま、おばあさまと愛を込めて呼ぶ祖父母。
特に父方の祖父母とは幼少期同居していたし、今でも近くに住んでいる。
頻繁に行き来するし、母にとって義実家にあたるが関係は特上。
今回は祖父について書く。
祖父がどんな人物かというと、一言で言い表すのはとてもじゃないけれどできない。
彼を構成する要素は、
・優しい
・博識である
・紳士
・時に厳しい
・様々な才能に長けている
・プライドが高い
・ヘビースモーカー
他にもまだあるが、これらが私の祖父を説明する際に欠かせない要素である。
私はおじいさまが好きだ。
大好きだ。
小学生時代(今でもたまにあるけれど)家鍵を忘れると学校帰りに決まって私は祖父母の家に行っていた。
祖父母の家には仕事関係の客人が訪れることが多く、来訪者と鉢合わせることもしばしばあった。
ある日、私が家の鍵を忘れて、母が仕事から帰るまでおじいさまの家で時間をつぶそうと訪れた時も来訪者がいた。
その客人は出された座布団には座らず、正座をして神妙な面持ちをしていた。
仕事のことで何かあったらしく、おじいさまがその客人に怒っている最中だったのだ。
祖父は仕事人だったので、仕事関係の客人には私には見せない厳しい顔を見せていたのだということを私はそのときはじめて目の当たりにした。
偶然にもおばあさまはいなかった。
私はまずいタイミングに訪れてしまったと少しだけ後悔した。
これなら近くの公園で友達を探したほうがましだったかもしれないと。
しかし、彼は私を邪険にすることなく、いつも訪れた時におばあさまが私にしてくれるみたいに、桃のジュースとお菓子を私に出してくれたのだ。
怒り顔のまま。
当時小学生だった私には当然わかるはずのないビジネスのやり取りが洋間で行われているのを見ながら、ダイニングテーブルで桃のジュースとお菓子をいただいた。
私はそれがなんだか、とっても、すごく嬉しかったのだ。
祖父の私への愛が嬉しかったのだ。
そんな祖父はもう歩けない。
ご飯もたくさん食べられない。
帰り際にする私たちの恒例行事のハイタッチもできない、
面白い冗談も言ってくれない。
前みたいにたくさん笑ってくれない。
褒めてくれない。
おじいさまはもともと患っている病気が悪化したことと老衰が原因で今入院している。
これ以上祖父にもっとご飯が食べられるようにしたり、直接体に栄養を送ることは延命行為なのだそうだ。
私は祖父の生命が薄まっていくのをまさに今も感じている。
母が私に、「おじいさまを元気にしようと私たちが何かすることがおじいさまにとっては辛いことになってしまうかもしれない」と言った。
そんなの祖父に聞かなくちゃわからないけれど、そんなこと聞けないし聞きたくもない。
私はその話をしているとき、“私はずっとずっとおじいさまと一緒にいたい”と大泣きした。
でも私がこれを言っていいのかわからなかった。
祖父の命は祖父のもので、私が一緒にいたいからという理由で祖父の進路を変えてしまってよいのかわからなかった。
でも、ずっと一緒にいたい。
お正月には祖母が作った豪勢な食事をみんなで囲みたいし、誰かの誕生日にはいつも行くレストランでお祝いしたいし、そこで祖父の「一口食べるか?」の声で祖父のステーキを私と妹で平らげてしまいたいし、祖父が運転する乱暴な運転の車で夜のドライブに連れて行ってもらいたいし、私の描いた絵を褒めてもらいたいし、学校の話を聞いてもらいたいし、もっと甘やかされたいし、私が死ぬまで一緒にいたい。
もっとずっと永遠に一緒にいたい。
おじいさまが大好きだから。
どこにも行ってほしくない。
あの家の真っ白なソファの真ん中に座っていてほしい。
私の好きな映画がテレビで放送されたらまた録画しておいてほしい。
元気なおじいさまに会いたいというのがわがままなら、元気じゃなくてもいいからずっと側にいてほしい。
勢いでここまで書いてしまったが、こんな風に書くと私が一番祖父との未来を信じられていないような気がしてしまう書き振りに思える。
いま入院している祖父とはコロナの影響もあって面会ができない。
おじいさまはスマホを持っているが、使い方をよくわかっていないので連絡も取れない。
私自身かなり混乱しながら(大号泣しながら)自分の感情の行き場がなく書いているので支離滅裂な文章になってしまっているだろう。
今この状況でこのページに終わりを見出すことができないので、終わり方がわからない。
まだ終わらせるべきではないのかもしれないとも思う。
ここでは「続く・・・」とさせておこう。
ご関心ありがとうございました。
写真はたぶん、おじいさまと一緒にした最後の食事のたぶん前菜か何か。たぶん。
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