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一日一食ヴィーガンの心の変化

現在、一日一食昼のみに食べるヴィーガン生活を送っています。

前回は一日一食ヴィーガンでの体の変化を書きました。

今回は、心の変化について書こうと思います。

自分を認める気持ち

以前

過食嘔吐を抱えていたときは、いつも自己嫌悪を感じていました。

「どうしてこんなことしてしまうんだろう」
「なんて身勝手なことをしているんだろう」
「こんなことしている自分は価値のない人間だ」

こんなことを毎日思って過ごしていました。

現在

少食だと、食べ物や資源を「必要な分だけ」消費するようになります。

そのような生活を来ることで、「自然と繋がっている」という感覚を感じるようになりました。

すると「自分」のあり方を判断する必要がないのだな、と思うようになってきました。

そこでやっと自分を許すことができ、受け入れられるようになっていきました。

気持ちの安定

以前

以前はものごとを全くプラス思考で考えられていませんでした。

不安、ストレス、プレッシャーなどのマイナスな感情が、感情のほとんどを占めていました。

目の前に起きていることをマイナスに捉えてしまい、いつも疲弊し、絶望を感じることもありました。

現在

眼の前に起きていることを基本的には比較、判断をしなくなりました。

沢山食べていた時は感情の起伏が激しくなっていました。

少食になり、食欲を満たしたいという強い感情がなくなりました。
また、沢山の食べたものを消化するときに使われる莫大なエネルギー消費がなくなり、体の負担が少なくなりました。

すると心がニュートラルな状態に保てるようになってきました。

心がニュートラルになると、起きることに心があまり動かなくなりました。

感謝

以前

いつも不平不満を言っていました。

家族、仕事など自分の置かれている環境や、他人の言動などに反応し、マイナスなことばかり見ていました。

そのような状態で「ありがとう」と言っても、心が全くこもっていません。
それでも「ありがとう」と言えば、「感謝している」と思っていました。

現在

「ありがとう」は大事な言葉です。
何に対してもありがたく感じた時は「ありがとう」ということは変わらず大切です。

しかし、それ以上に必要なこと。
それは、感謝する対象に対して「心からありがたい」と思えているか。

不平不満を言っているうちは、心から「感謝」していません。
人のせいにしたり、無責任だったり、そのような状態では「感謝」しているとは言いません。

少食になり、自分にも周りにも負担を最小限にする生活をするようにると、全てが「当たり前ではない」ということに気づきました。

すると全てに愛おしさを感じ、全てに「ありがとう」と思うようになりました。

以前

「自分を誰もわかってくれない。」
「誰も助けてくれない。」
「周りは嫌なことばかり。」

このように求めてばかりいました。

自分の不幸を言い分に「こんなに苦しんでいるのだから、与えられてもいいじゃない」と思っていました。

現在

先程も書きました少食になると「当たり前ではない」ことに気づきます。

自分が求めているものが手に入るのは「当たり前ではない」ということに気づきました。

「当たり前ではない」のだから、全ては愛おしい存在であり、
「全ては愛」で成り立っていることに気づきます。

「愛」は全てを受け入れます。
「愛」は変わらずあります。
そして、「愛」は「感謝」です。

私たちは食べたもので作られる

心も体も、取り入れるもので作られれます。

一部の方を抜かして、人は食べることで心も体も作られています。

現代の豊かな生活の中では、「あることが当たり前」になってしまっています。

私達の祖先は「ないことが普通」でした。
食べ物は獲物が現れた時だけに手にいれることができます。
食べたい時に食べることはできませんでした。

それを表すように、血糖値を上げるホルモンは「コルチゾール」、「アドレナリン」など多数ありますが、血糖値を下げるホルモンは「インスリン」と一つだけです。

このようにホルモン一つとってもわかるように、いつでも食べられるということはとても恵まれていることです。

恵まれていることに感謝すること。
それが心を豊かにすることにつながります。

食を見直すきっかけを与えてくれる本

関西で鍼灸院をされている森美智代さん。
一日一杯の青汁で過ごしていらっしゃいます。
森さんは難病にかかった後、断食、玄米菜食などを行いその難病が治癒されました。
食べ物に感謝し、食べ物の命をいただくこと。
その大切さを教えてくれます。

今日も全てにありがとう。

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