自分がどう思っているのか
私には2人の子どもがいます。
どちらも男の子。
上は10歳、下は4歳。
共働きで主人がシフト制ということもあり、3人の休みが合うということは月に2〜4回程度。
また、主人は早くに出勤したり、遅くに帰宅したりと、子どもが起きている時間に家にいないことが多い仕事です。
なので、平日、土日にかかわらず二人で過ごすことが多かったです。
過食嘔吐を抱えての子育て
子どもの妊娠前、妊娠中、出産後とどの時期にも過食嘔吐が続いていました。
子どもが生まれてから思うように食べられないストレスを感じるようになり、過食嘔吐に拍車がかかっていました。
下の子が生まれるまで、私が休みの日はよく上のことよく二人で出かけていました。
雨の日以外は家にいることはあまりありませんでした。
小さな子どもと二人で外出するということは、食べること、吐くことが自由にできません。
子どもが食べるのを補助して上げる必要があります。
トイレは子ども一人ではできなので一緒に入ります。
一緒に入るので、食べたものをトイレで食べたものを吐くことはできません。
吐くことができないので、外では少量の食べ物や飲み物でやり過ごしていました。
そして外出からの帰宅後の子どものことが落ち着いてからそれまで抑えていた食欲を発散させる。
それでも外出していなければ、過食嘔吐の回数、時間はもっとかかっていたかと思うと、このときはこれで良いと思っていまいした。
このような生活をしていたので、家の中では子どもと関わる時間を「ほとんど」取れていなかったように思います。
コロナ禍での過食嘔吐
上の子がある程度大きくなり、食事の補助も必要なく一人でトイレも行けるようになりました。
そのうち下の子が生まれました。
下の子も同様に、一緒に外出すると食事の補助、トイレに一緒に入ることが必要です。
しかし、下の子が生まれてすぐに世の中はコロナ騒動となったので、外出することがしばらくありませんでした。
外出することがない状態で子どもと家にいる日々。
子どもが常にいるので、外出していなくても食べることに制限はあります。
外出の有無に関わらず、「過食嘔吐」の問題は生活に大きくのしかかっていました。
子どもと家にいるのに過食嘔吐で時間を使い、またそのだるさから思うように体が動かなく、子どもといる貴重な時間を楽しめないでいました。
また自分自身の時間も浪費しているように感じ、毎日をいたたまれない気持ちで過ごしていました。
そんな中、kindleを端末の読み上げ機能を使って本を楽しむ方法を知りました。
ジャンルにこだわらず気になるものを片っ端から楽しんで行きました。
そうしている中、「不食」、「少食」の存在を知ることになりました。
「不食」を知ったことでの価値観の変化
今振り返るとコロナで外出できない状況は不食、少食へと導かれる運命だったことを示していたのかと思います。
長年、食べることで散々悩んでいる状態で、毎日を鬱々過ごしていました。
そういう状況で「不食」に関わる本を読んでいると、「私も不食を目指したら救われるのでは」と思うようになりました。
「不食」になり、食べることを考えなくてすむ。
「不食」になり、時間が増える。
「不食」になり、お金に悩むことがなくなる。
「不食」になり、不健康であることを病むことがなくなる。
そして、何よりも「不食」の方々の著作からは、幸せであることが伝わってきます。
私も幸せに生きたい。
人のために役に立ちたい。
家族に恩返ししたい。
そう思うようになると、心も元気になってきました。
すると、「不食」までいかなくても食べることをコントロールできるようになってきました。
毎日を感謝して過ごせるようになった
マイナス感情がわかなくなった
「今」を大切に考えられるようになった
過去、未来を考えなくなった
食べることをコントロールできるようになってから、このような変化がありました。
そして、何より子どもに対してより「愛おしさ」を感じられるようになりました。
過食嘔吐のときは、家事、子育てをすることへ「なんで私がこんなに大変な思いをしなければならないのか」と思うことがしばしばありました。
子どもが想定外のことをすると怒りがこみ上げてきて、抑えられないことが良くありました。
現在は、子どもを「一人の人間」として尊重し、なにかあっても「今はこういう時期なんだ」、「これは個性なんだ」と受け入れることができるようになりました。
そして、子どもと過ごす時間が今はとても楽しくなりました。
絵本の読み聞かせのとき、私自身も楽しんで読んでいます。
すると、子どもたちも本が大好きになり1週間に1、2回図書館に行き、本を沢山借りてくるようになりました。
工作をしたり、料理をしたり、一緒に何かをする時間も増えました。
気づくと家族の笑顔が増えていました。
本当は悪いことなどなかった
過食嘔吐で苦しんでいる時、子どもに対して申し訳ない気持ちが有馬mした。
もっと時間をかけてあげられれば…といつも思っていました。
しかし、今振り返ると思っていたほど何もしていなかったように思います。
絵本を読んだり、外に連れ出していたり、日々の様子を遠方にいる親に報告できたり…と
関わりが全く無かったらこういったことはできなかったと思います。
要は「自分がどう思っているのか」によるのです。
それならどんな状態であれ「これが今のベストなのだ!」と思って過ごしている方が、いつも幸せでいられます。
子どもとの関わりの大切さに気づいた本
内容としては子育てについてと直接関係はありません。
しかし、社会生活をしていく中での考え方は、小さな社会である「家族」の中でも参考になる部分は多いです。
何に「生きがい」を持てるか。
人によって価値観が様々です。
ただ共通して言えることは「価値のある存在」として自分も周りも感じられるか。
そこに尽きると思います。
苦手な人と嫌いな人は多かれ少なかれいると思います。
しかし、その人達から学べることは多くあり、かけがえのない存在です。
「価値のある存在」なのです。
また、大人は子どもに対して教えることばかりだと思いがちですが、子どもから学ぶことは沢山あります。
そういったことからも子どもももちろん「価値のある存在」なのだと思います。
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