英雄は永遠に滅びない ~宝塚宙組『シャーロック・ホームズ ~サー・アーサー・コナン・ドイルの著したキャラクターに拠る~』を観て

先日6月26日に幕を上げた、宝塚宙組公演『シャーロック・ホームズ ~サー・アーサー・コナン・ドイルの著したキャラクターに拠る~』を観てきました。

これまでの宝塚観劇回数は、ちょうど片手の指で足りるほど。宙組初心者の感想です。キャストに詳しくないため、他人が見たご贔屓さんの演技の感想を求めている方には、ちょっと物足りないかもしれません。
宝塚のこと、用語などに関して、また作中台詞に関して、間違いや覚え違いがあると思います。
また、この演目を観に行こうと思い立った理由が、シャーロック・ホームズ・シリーズのパスティーシュ作品にありますので、その作品の話も大いにいたします。
横道に逸れながらの、長文感想にはなりますが、どうぞ寛大なお心を以て読んでいただけますと幸いです。


★ストーリー展開や、キャラの素性、物語の結末などに関する【ネタバレ】も含みます。
★しかし、最初の方にはワンクッションとして、別の話題や舞台全体の感想しか述べません。
★ネタバレに入るときは、【ここからネタバレを含みます】と前置きしてから入ります。しかし、公式あらすじ以上の何の情報も入れずにご覧になりたいという方は、「そろそろ危なそうだ」と思った時点でどうぞ避けていただいて、観劇後にご覧いただけたらと思います。

よろしくお願いいたします。
(※7/27 ル・サンクを手に入れたので、明らかな覚え違いの部分をちょっぴり修正しました)


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まず、私がこの宙組ホームズを観に行こうと思った理由は、他でもない、私を普段から知っている方ならご存知であろう『憂国のモリアーティ』というマンガだった。
ご存知ない方も、タイトルからしてお察しかと思う。あのモリアーティ教授が主人公の物語だ。
私はこの『憂国のモリアーティ』の大ファンで、モリアーティ教授およびその周辺の人物に、マンガのキャラクターを通してとはいえ、ひとかたならぬ思い入れがある。
そんな私なので、この宙組ホームズ、主な配役を見たときから、「これは絶対気になる」と思い続けてきた。
何せ、モリアーティ教授を筆頭に、フォン・ヘルダー、ジェームズ・モリアーティ大佐、フレッド・ポーロック、セバスチャン・モラン大佐が配役に名を連ねているのだ。

彼らはいずれも、『憂国のモリアーティ』(以下「憂モリ」と略す)で実に魅力的に描かれているキャラクター達だ。彼らの活躍を知りたくて、原典(シャーロック・ホームズ・シリーズのこと)も読んだ。
一体彼らは、別の物語の中で、しかも宝塚で、どんな描かれ方をするのだろう。
そんな好奇心が私を動かした。

おそらく、憂モリファンで私と同じことを考えている人は、百人やそこらできかないと思う。
憂モリで生き生きと活躍している彼らが、別の物語ではどんな顔を見せてくれるのか。別物だと分かっているが、分かった上で興味がある。そう思っている人は多いだろう。
でも、観に行こうという決心がつかず、誰か憂モリファンが観に行った感想を読んでから決めようかな……と思ってここに辿り着いた人もいると思う。
また、普段2.5次元は観に行くが、宝塚は行ったことがなくて、独自の文化やルールがありそうなイメージもあるしちょっと敷居が高い……と様子をうかがっている人もいると思う。
そんな方々に、観に行った憂モリファンの私から一言。

気になるなら、これは絶対観た方がいいやつです。

憂モリ原作の知識があれば、ストーリーやキャラクター、世界観の理解にほぼ問題はない。
普段の観劇のマナー(前のめりにならない、上演中は会話禁止、幕間でも劇場内では極力喋らない(これは現在のコロナ状況下のルールですね)、携帯電話はオフかマナーモード、などなど)を守れていれば、大抵どこに行っても通用する。
トップさん登場時の拍手のタイミングなど、独特の文化に戸惑うかもしれないが、周りに合わせてやればいいし、極論、やらなくても怒られはしない。マナーを守ってニコニコと楽しく観劇できていればそれでいい。
ぜひ宝塚ホームズを観てください。ご存知、宝塚は専用劇場に生オケ演奏。贅沢なアンサンブルや豪華な衣装にセット、後半のレビューも含めて、極上のエンタメです。


さて、最初から話が逸れたが、この宙組ホームズ、本当に細かいところまで凝っていて、憂モリファンとして以前に一人のホームズファンとして、そして一人の観客として、大満足の舞台だった。

あらすじにもある通り、世界一有名な名探偵シャーロック・ホームズ、ホームズの宿敵にして犯罪界のナポレオンと呼ばれるモリアーティ教授、そしてホームズを出し抜いた「あの女」と呼ばれる特別な女性アイリーン・アドラー。この三人を軸に、物語は展開していく。

ストーリーには原典のエピソードのいくつかと、ホームズと同時代の有名な事件が絡んでくるのだが、原典の細かいエピソードの拾い方がとても丁寧で行き届いている。
シャーロキアンがニヤッとできる、「ホームズのパスティーシュあるある」がしっかり詰め込まれているし、まさかそんな設定まで盛り込んでくるなんて、という芸の細かさのひとつひとつに目を瞠った。

脇を固めるキャラクター達も個性豊か。そして宝塚なので、当然のように、みな美しく格好いい。
私が個人的に気に入ったのは、瑠風輝さん演じるフレッド・ポーロックと、天彩峰里さん演じるメアリー・モースタンだ。特にメアリー。アイリーンがこの作品のヒロインであるのは疑いようのない事実だが、メアリーもワトスンの隣で、ぶっちぎりのヒロイン力を発揮していた。とても好感度の高い、かわいらしく優しく知的なメアリーであったように思う。

そしてモリアーティ教授とくれば、ライヘンバッハの滝でのホームズとの決闘がクライマックスに来ると相場が決まっている。
一体どういう経緯で物語が滝に向かい、どのような滝を経て、どんな結末に至るのか。
これは詳細を先に知ってしまっては、きっとつまらないだろう。
怒涛の展開の一部始終を、ぜひその目で確かめてほしい。


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【ここから先は、展開、結末などのネタバレを含みます】
何も知らずに観たい方は、どうぞ避けてください。
最後のシーンのネタバレにまで触れています。
何も知らずに観て諸々に驚きたい方は、観るまで読まないことをおすすめします。

まずホームズに関しては、宝塚らしい完璧なまでのダンディズムを持ちながら、謎を追い求め、退屈を嫌い、気難しいところのある、ひとつの理想形とも呼べるホームズであったように思う。
変装の達人である、という設定を登場から生かしてくるのが実に心憎い。
よたよたと歩く日雇い労働者の姿。しかし、ただのアンサンブルにしてはスポットを浴びているし目立ちすぎる……と思ったところでハッとさせられる。
そうだ、この人物はきっとホームズに違いない。
観客がそう確信したところで、舞台が回転し、221Bのセットがせり上がってきて、日雇い労働者はワトスンとレストレード警部の前で変装を解き、見目麗しい真風ホームズとしての姿を現す。このケレン味がたまらない。

ときに、真風ホームズの変装術の巧みさに感慨を覚えつつ、この「せり上がる221B」にも私はいたく感激した。
「221Bがせり上がってくる」というだけで、秘密基地みたいで純粋に楽しくて手放しで喜んでしまったのだが(無論、せり上がるのは場面転換上の都合であって、221Bにそういう設定があるわけではない)、こんな豪華な舞台装置を見られるのは宝塚規模の舞台ならではだと思うし、それより何より221Bのセットがこうも細かく作り込まれているとは! という点に目を奪われた。
あの部屋を見た瞬間、部屋のあらゆるところをオペラグラスで眺め回した。
帽子掛けには、ホームズといえばお馴染みの鹿撃ち帽が掛かっている(ただ、私が見逃しただけかもしれないが、真風ホームズが劇中でこれを被った場面をおそらく見ていない気がする。でも原典では鹿撃ち帽を被っているという描写はなく挿絵などによって定型化したイメージなので、敢えて避けたのかもしれない。それに裏地がすみれ色の丈の長いマントを翻しながら霧の町を駆け回る真風ホームズは、シンプルにスマートで雄々しく麗しく、思わず恋してしまうようなホームズだった。作中の女王がホームズのファンだというのも頷ける)。
室内をさらに眺めると、壁に何やらポツポツ穴が。これを観測した時点で、私は「やった! “VR”がちゃんとある!」と大喜びしてしまった。その後、退屈に倦んだホームズが壁に向かって銃を乱射するシーンも入り、“VR”がくっきりと光って浮かび上がる仕掛けになっていて、もう心の中で大喝采だった。ちなみにこの弾痕で“VR(=ヴィクトリア女王の意味)”の字を壁に穿つのは、原典の『マスグレーヴ家の儀式』で出てくるエピソードである。
また、ホームズが暖炉の上の手紙束をナイフでぐさぐさと刺すシーンがあった。これも“VR”と同じく『マスグレーヴ家の儀式』に出てくる描写に由来する。
さらに部屋の隅には、化学実験に使う道具が机いっぱいに並べられている。
こういった、「特に説明がされないがホームズファンにはお馴染みのアレ」が舞台の各所に細かく散りばめられ、見ていてワクワクさせられた。宝探しのようだった。
また、ホームズの知識の偏りに関して(植物学や地質学には詳しいが、文学などはさっぱり)などにもさらっと言及され、これが間違いなく、あの原典を元に形作られたホームズであることをうかがわせてくれたし、ワトスンとの「事実を事実として書けばいいんだろ」「真実を真実としてだ」という会話は、『ぶな屋敷』でのやり取りを思わせた。
多分、「これぞホームズ」という数々のお約束の中で、劇中で見られなかったものとなると、ヴァイオリンを弾く姿くらいではなかろうか。しかしこれすら劇中でこそやっていないが、公演パンフの最初のページでたっぷり見開きを使ってやっているのだ。
驚くほどに隙がなく、手厚い。

手厚さといえば、モリアーティ教授の執務室の絵画にも、映った瞬間歓喜した。
作中でもホームズが言っていた通り、これらはジャン・バティスト・グルーズの絵である。
この元ネタは原典の『恐怖の谷』だ。『恐怖の谷』でホームズは、モリアーティ教授の書斎にグルーズの絵があることに言及する(その絵とは「若い女が両手で頭を支えて、横目でこっちを見ている絵」だという。また同作中では「こひつじにまたがる少女」というグルーズの絵についても触れられている)。
壁にずらりと並んだグルーズの絵画。それらは原典の描写通りのものでありながら、原典で描かれた以上に多くの絵を並べることで、宝塚ホームズにおけるモリアーティ教授の「支配することに執着する」キャラクターを示す小道具となった。
この原典に則った上でキャラクターを広げていく手法を、モリアーティのファンとして、私はとても嬉しく思った。
さらに二項定理の論文のことまで、台詞にさらっと盛り込んでくる(これは原典の『最後の事件』に出てくる)。
あの執務室の場面は、とても丁寧に原典を読み込んで、細かいところまで余さず拾い上げてくださったのだなと感じさせられるシーンだった。

さて、ホームズは上記の通り格好良く、しかし正統派のホームズらしさも忘れない、いかにもヒーローであるのだが、対するモリアーティ教授はどうであろう。
芹香モリアーティは、終始まるで少年のような印象を観客に与える。表情や、ときには言葉遣いまで、少年っぽさを醸し出す。
しかし彼は少年のように無邪気でありながら、無垢ではない。ふとした瞬間におそろしく冷たい表情になり、人の本性は悪と闘争である、と説く。
こういうキャラは一般的に、罪悪感や慈悲が欠如したいわゆる「サイコパス」っぽく描かれがちかと思うが、芹香モリアーティは一味違う、軽快でありながら深みのある、独特のモリアーティ像を作り出していたように思う。
この「独特の深み」について、一体何がそう見せているのだろうと思ったが、観劇後に公演パンフの芹香さんのインタビューを読んで、私は深く納得した。
芹香さんはモリアーティ教授を、「精神年齢が幼い存在で、実際の年齢は青年かもしくはお爺さんかもしれない。どのようにも演じられる」という旨のことを述べている。
ああ、そうかと思った。
私たちが見たのはきっと、モリアーティ教授の「魂の姿」なのだ。
――教授の兄であるモリアーティ大佐の外見年齢などからしても、おそらく今回のモリアーティ教授は我々が見た通りの麗しい青年の姿をしているのだろう。しかし、演じ手が「どのようにも演じられる」と思いながらキャラクターを作り上げていったからこそ得られたのであろう、ただの無邪気な子供にも、老猾な犯罪者にも、また完璧な英国紳士にも見える佇まい。その姿には、出てくるたびに目を惹きつけられた。

ホームズ、モリアーティと来て、もう一人の主軸であるアイリーンは、かつてモリアーティ教授に救われ、愛した過去を持ちながら、その恐ろしさに気付き逃げ出してきたという役どころ。しかし、ただ逃げ回るだけではなく、自分に手を出させないために敢えて目立つ形で姿を現すという賢いしたたかさは、まさに原典のアイリーン・アドラーの立ち回りを思わせた。
ホームズを頼りたいけれど素直に頼れないという葛藤。この世のどこにも居場所がないと苦しむ姿はどこか現代的なテーマも感じさせ、共感できる部分を持つヒロイン像を作り上げていたように思う。
アイリーンがホームズにとって「あの女」と呼ぶほどの特別な女性である一方、宝塚ホームズにはかつて恋人がいたことが作中で明かされる。そしてアイリーンはかつてモリアーティ教授の恋人であった。この辺りの感情のはっきりしきらない三角関係が、じれったいというか、もどかしいというか、素直な「愛している」なんて言葉にできない微妙な情がもつれあっていて、こういう名状しがたい人間模様が大好きな私は、この三人の関係がとてもツボだった。

そして私が開演前から大注目していたモリアーティの部下たちも、宝塚が味付けするとこうなるのか! という個性を放っていて、じつに魅力的だった。
まずは兄のジェームズ・モリアーティ陸軍大佐。原典では『最後の事件』で一文だけ出てくる存在だが、宝塚ホームズでは弟であるモリアーティ教授と共に、張り巡らせた犯罪の糸の限りなく中心に位置する男だ。しかし、ときに弟に振り回され気味のような部分も垣間見えてクスッとさせられる。
クライマックスの見せ場であるフェンシングのシーンでは、剣術が巧みなホームズと対等に渡り合うモリアーティ教授が見られたが、彼に剣術を教えたのが他でもないモリアーティ大佐だったというのだから、もう本当にキャラの配置や役割付けに関して「お見事!」という他ない。
またモリアーティ大佐を出したことで、モリアーティ教授のホームズに対する素の感情がちらっと垣間見える「僕たちは似た者同士なんだな」という台詞が引き出された。モリアーティ教授のキャラクター造形に欠かせない(しかもライヘンバッハの滝まで見届けた)、とても重要な役どころだった。

次にフォン・ヘルダー。彼は原典で「ドイツの盲目機械技師」とされている。盲目、というのをどう表現するだろうと観劇前は思っていたが、なるほど眼帯で来たか! と思った。ちょっと、いや、かなりカッコいい。こんなに地下武器工場が似合う男は他にいない。
戦争を引き起こそうとするモリアーティ教授がヘルダーに「お前の才能(=開発した武器)が世界中を恐怖に叩き落とす」と言っていたが、ヘルダーの存在を頼りに戦争計画まで立ててしまうモリアーティは、もしかして結構斬新なのでは? と他のパスティーシュ作品に詳しくないながらに思った。

フレッド・ポーロックに関しては、まったく「やられた!」としか言えない。まずビジュアルがめちゃくちゃに好みなのだ。眼鏡といい、ちょっと襟足長めの髪型といい、エレガント。それに彼のニッカーボッカーの裾が周りの人より少しふわっと膨らみを持っていて可愛いと思ったのは、きっと私の目の錯覚じゃないだろう。
ポーロックは原典の『恐怖の谷』で登場する。モリアーティの一味であり、「策略に富む男」とも「重要なものにくっついている鎖の、そこからほんの少し離れただけのところを占める環の一つだ。この鎖の中で唯一の弱点だといえる」ともホームズに言われている。暗号文の手紙でホームズに連絡を寄越した男であり、モリアーティ一味でありながら、ごくたまに犯罪を未然に防ぐ情報をホームズに流す。
原典のその描写から、「世界中の暗号に通じている知恵者」「ホームズがモリアーティ側に送り込んだスパイ」というポーロック像を作り出すだけでも十分すごいのだが、それでもまだ納得できる範疇。
宝塚ホームズのすごいところは、ポーロックを「マイクロフトが弟に捜査のために貸し出した国家公務員」としたところだ。
「実はホームズの手先だったポーロック」までなら、広い世界を探せばもしかして他にもいるかもしれないが、「国家公務員のポーロック」はおそらく新しい。
スパイらしい大胆不敵さを時々表情に宿らせる、魅力的なポーロックだった。ホームズの手元に戻ってきたときだけ律儀に眼鏡を外してみせる仕草もいちいち「好き!」となってしまう。
キャラクターもビジュアルも、今回予想外なほどにダントツで好きになってしまったのはポーロックだ。観る前までは芹香モリアーティ推しになるはずだったのに、瑠風ポーロックに落とされたのは嬉しい誤算であった。

そしてセバスチャン・モラン大佐。彼は原典の『空き家の冒険』でホームズの命を狙う、モリアーティの残党として登場する。
彼に関しては、若くてイケメンになった以外、比較的原典に拠ったキャラクターであったように思った。猛獣狩りの異名を持ち、少し血の気が多く喧嘩っ早そうなところがあり、モリアーティ教授に付き従うキャラクターだ。
シャツの胸に歯車の意匠が付いているビジュアルも格好良く、あれはもしや彼が持つ空気銃のパーツをイメージしたものであろうか、などと色々妄想して楽しませてもらった。いつか殿堂に展示があれば、あの衣装を観に行きたいとちょっと思っている。

ちなみに触れ損ねているが、ワトスンも非常にワトスン力が高い。ホームズのよき理解者であり、相棒であり、記録者としての姿を余すところなく見せてくれた。
メアリーとの間に見せる、恋人同士の幸せそうな睦まじさは、次々犯罪の巻き起こるストーリーの中での癒しであった。
あと、マイクロフトがメアリーと初対面で次々と経歴を言い当てる推察力や、全然武闘派でないところも、まさに原典のマイクロフトで推せる! と思った。


キャラクターに関しては、ここで挙げきれないほどに、レストレード警部やハドスン夫人、ウィギンズ、街角の市民から女王まで、原典へのリスペクトに溢れた作り込みが成されており、一人一人の完成度が素晴らしかったのだが、ストーリーもまた、原典の取り入れ方が非常に巧みだった。

大筋で下敷きになったと思われる原典は、私が気付いた限りでは、『ブルースパーティントン設計書』と『最後の事件』であろう。
盗まれた潜水艦の設計図を取り戻すよう、女王がマイクロフトを通してホームズに依頼するというストーリーは原典の『ブルースパーティントン設計書』から(ただし潜水艦の名前は「ドレッド・ノート」となっていた。私はミリタリー方面に詳しくないのだが、おそらく見る人が見れば、年代的に絶妙でおお! と思うチョイスなのだろうと思う)。
そして、スイスのマイリンゲンに向かい、ライヘンバッハの滝でホームズとモリアーティ教授が対決するというストーリーは『最後の事件』から。
また最後にマイクロフトが語った「この部屋はこのままにしておいてほしい」という台詞や、ホームズの「ヨーロッパを回ろう」は原典の『空き家の冒険』の展開を踏まえたものだろう(原典ではヨーロッパではなくチベットに行っているが)。
それらの原典エピソードに、ホームズの時代と同時代に起こった「切り裂きジャック」事件を絡めながら物語は展開していく。
そのストーリーを貫くキーワードは「鎖」だ。

切り裂きジャック事件の実行犯にモリアーティ教授が指示を出す手段として。
またモリアーティから逃れられないアイリーンを縛る過去の因縁が具現化した形として。
そしてライヘンバッハの滝の対決に際しての重要な小道具として。
鎖は作中で常に、重要なキーワードであり続けた。

ホームズにはいつだって、真実を手繰り寄せるための、常人には見えぬ何か特別なものが見えている。
それを宝塚ホームズでは「鎖」と表現した。
(これはもしかすると、先にポーロックのことを述べるときにも引用した「重要なものにくっついている鎖の、そこからほんの少し離れただけのところを占める環の一つ」という原典の表現に由来するのではないかと勝手に思っている)
ロンドンの市民たちや、物語に連なる登場人物たちが、長い長い一本の鎖を手に取って舞台いっぱいに連なっているシーンは、この複雑に繋がり伸びた鎖をそれでも地道に手繰り寄せ、ホームズは必ず真実を解き明かしてくれる、という力強い希望が感じられ、作中でも屈指の印象に残るシーンになっていた。

また、印象に残るシーンというなら、間違いなくクライマックスの、ライヘンバッハの滝であろう。
ホームズとモリアーティ教授の斬りあいから始まり(しかも仕込み杖!)、鎖がまさかの大活躍を見せて、二人は約束された結末――滝壺へと落ちていく。
この滝の表現、あの広い舞台のいっぱいに滝の流れ落ちる映像を投影しているのだから、迫力があるなんて言葉では、到底言い表せるものではない。
モリアーティ教授が出てくるホームズものにおいて、「滝をどう見せるか」は常に演出家の悩みであり、また腕の見せどころでもあると思うのだが、宝塚ホームズの「滝」は、色々な「滝」を見慣れた方でもきっと迫力に圧倒されるに違いない。素晴らしい「滝」の演出だった。

「滝」でホームズは死を迎えた。
しかし墓地のシーンで、葬儀の参列者を見送る墓守に、私たちは既視感を覚える。
アンサンブルにしては目立ちすぎる、やけにスポットを浴びたこの男は……。間違いない、ホームズだ。冒頭のシーンを思い出し、そう確信させてくれる。
かつてホームズであった男は、ワトスンはじめ仲間達に生きていることを明かすことなく、アイリーン・アドラーと共にヴィクトリア駅から旅に出る。
少し切なくほろ苦く、しかし幸せを予感させる爽やかな幕切れだ。

ときに、最初に配役を見たとき、モリアーティ教授の部下たちの名前がずらりと勢ぞろいしているので興味を持ったと言ったが、実は上で挙げていないがこのシーンに出る「駅員」という役に対しても、もしかして、と思うところがあった。
というのも、原典の『恐怖の谷』で、モリアーティ教授の弟はイングランド西部のどこかで駅長をしている、という描写があるのである。
もしや話のどこかでこの「弟」が出てくるのではないだろうか? と配役を見たとき私は思わず妄想した。
――結果、駅員とは本当の駅員であったわけだが、最後の場面でホームズとアイリーンが汽車に乗り込んだ後、こちらを向いてクッと帽子のひさしを上げたその駅員の顔は……。観劇した方はご存知だろう。
最後の最後にドキッとさせられる、あまりにも見事な結末だった。

この結末をどう捉えるべきか、観劇後、色々と考えた。
原典の「駅長をやっている弟」である線も、1パーセントくらいは考えていいかもしれないが、普通に考えてまずないだろう。もしモリアーティ教授にそっくりな駅長の弟がいたとしても、最後に見せたあの少年のようないたずらっぽい笑みは、間違いなく芹香モリアーティのものであった。それにパンフにだって、あの場面に出ていたのはモリアーティ教授なのだと書いてある。(※9/23 文末に追記あり)
きっとあれは間違いなく、モリアーティ教授だ。
滝から落ちて生き延びたのか。
ホームズの手から逃れたのか。
それともホームズが生かしたのか。
はたまた、いっそ亡霊か?

ライヘンバッハの滝でモリアーティ教授は、人の本性は悪だ、闘争だ、とホームズに言う。「人がいる限り悪は生まれ続ける。モリアーティは蘇る」のだ、と。
それはきっとある意味で、一つの真実に違いない。
しかしホームズはそれに対して「すべてのモリアーティ(悪)の前にホームズが立ちはだかってやる」と宣言する。「人間は愛する者のために命を懸けられる」と高らかに唱える。

永遠に不滅のホームズ。それは現代においてもシャーロック・ホームズ・シリーズが愛され続けていることをメタ的に示した台詞であるようにすら聞こえる。そして、「罪と戦うことを諦めない」という叫びは、宝塚のホームズがヒーローとして人々に与える希望でもある。
この世から悪が無くならないならば、悪という概念そのもののようなモリアーティ教授も、きっとこの世から永遠にいなくならないのだろう。
しかし同時に、悪を忌み打ち倒そうとするヒーローもまた、きっとこの世からいなくならない。ヒーローを待ち望む者がそこにいる限り。
ホームズは私たちの前に現れ続ける、永遠の英雄なのだ。

宝塚のシャーロック・ホームズは、原典へのリスペクトと愛に満ちた、忠実にして大胆なホームズであったと思う。
何度も同じことを繰り返して恐縮だが、気になっている方はぜひご覧いただきたい。


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ホームズ以外の感想も言っておくと、第107期生口上があるのを知らずに行ったので、最初から感動させられてしまった。
宝塚ファン以外の方に説明しておくと、3月に宝塚音楽学校を卒業して入団したばかりの新団員の皆さまが、タカラジェンヌの正装「紋付に緑の袴」でずらりと並び、初舞台を踏むにあたっての決意のご挨拶をくださるという恒例イベントがあるのだ。
初々しくも晴れやかな素晴らしい光景なので、宝塚未経験で行こうか迷っている憂モリファンは、口上を見られるという意味でもこれはいい機会だと思うのでぜひ(ただし東京ではやらず、宝塚大劇場のみのようなのでご注意を!)

後半のレビューでは、舞台がロンドンから、一転パリの街へ。
宙組初心者の私は、情けないことに、レビューになるとどなたがどなたか顔の判別がほぼつかないのだが(席が後方だったせいもある、と言い訳したい)、スイーツに彩られたレビューは楽しく明るく華やかで、目まぐるしく場面が切り替わる夢を見ているようだった。
しかも甘いだけではなく、途中で妖しく官能的な光景が繰り広げられるシーンもある。
緩急が付いていて、飽きる隙など微塵も与えてくれない、圧倒される55分間だった。

そして、宝塚に行ったことがないから……と二の足を踏んでいる人に、ぜひこの作品をきっかけに宝塚を観てほしい理由がもう一つある。
というのも、俗物的な言い方になってしまうが、宝塚とは、羨んでしまうほどに「金のかかった舞台」なのである。

ピカピカとライトが点滅する大階段を、一糸乱れぬ足並みで降りながら展開するレビューは、まさに宝塚の名物であり唯一無二。大階段そのものだけで見る価値があるほどだ。
早替えして出てくる衣装の一つ一つは、溜め息が出るほどに煌びやかである。トップに近いほど装飾も多くなり、遠目からでもキラキラとライトを眩しく反射して、本当に美しい。
徹底的にトップを魅せる構造で、アンサンブルの多さは他の舞台作品の比ではない。当然物理的な迫力は段違いとなる。華やかな衣装で舞台の端から端までを埋め尽くしたダンサーによるラインダンスも圧巻だ。
それがこの値段で提供できて、しかも宝塚・東京合わせて二ヶ月以上公演している。これはすごいことだ。
せっかく日本で生活しているのだ。ぜひ一度、生で経験してもらいたい世界だと思う。

そういえば非常にお恥ずかしいことなのだが、私は毎回、レビュー最後のパレードで、二番手さんが羽根を背負って出てきた瞬間、お顔も確認せずに羽根だけで判断して「トップさんが来た!」と勘違いしてしまう癖がある。
だって、音楽がいよいよ盛り上がるタイミングだし、あれほどすごい羽根を背負って出てくるのだ。もうこれがトップさんに違いないと、素人目は誤認してしまう。
だが、その直後によりすごい羽根を背負ってトップさんが出てくるので、「ああ……私は今回も間違えた……」と反省する。
今回も当然のようにしっかり間違えた。初心者なのでどうか許してもらいたい。今回でお顔をちゃんと覚えたので、多分次からは間違えない。
あの羽根も、他ではまず見られないし、あの羽根を最後に見ると謎の充足感に包まれるので、ぜひ未経験の方は体験してほしい。あの羽根の謎の魅力は、理屈じゃないのだ。


舞台以外の部分では、宝塚の「入場認証システム」が素晴らしく良かった。
これは、いわば「QRコードによるチケットレス入場」なのだが、
・一緒にチケットを取った二人連れの場合、一人分ずつ表示させて二回読ませるのではなく「二人用QRコード」を表示できるようになっていて、一回の読み込みで二人がスムーズに通れるようになっている。
・公演日当日にならないとQRコードが発行されない(違う公演日のコードを間違えて提示するハプニングによるロスタイムを作らない)
・宝塚友の会会員証を持っている人は、会員証のコードで通れる。
・紙の入場証も入場時に発行される。
特にこの「紙の入場証」が、個人的にちょっと嬉しかった。
チケットレスだと「その日その時間に観劇した」という記録が物理で何も残らないが、入場証が手元に残るのは、やはり何となく嬉しいものだ。席番も印字してくれている。

これだけのシステムが構築できているのは、専用劇場の強み、そして宝塚のホスピタリティがなせるわざであろう。
しかし部分的には他の劇場でも今後導入していけないものだろうか、と観劇クラスタの一人として思った。


これだけ長々と感想を書いてしまうくらい、本当に面白い舞台だった。
まだ公演は宝塚大劇場で一ヶ月、東京宝塚劇場でも一ヶ月続く。
宝塚が満を持して描き出した、不滅の名探偵シャーロック・ホームズの物語を、一人でも多くの方にぜひご覧いただきたい。

チケットはまだ手に入る。公式で推奨されているチケトレでのリセールもある。
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2021/sherlockholmes/ticket_takarazuka.html

宝塚友の会会員でない、私と同じような初心者は、とりあえず「Takarazuka iD」の登録(無料)だけして購入するのが便利かと思う。

(7/1追記:東京宝塚劇場公演のチケットは、まだ一般発売されていないです。宝塚友の会の先行が現在受付中。
宝塚友の会会員のお知り合いに先行申込みを頼むか、一般発売、もしくはチケトレでのリセールをチェックするのが手軽かと思います。
ちなみに私は大劇場のチケットを、公演二日前に思い立って取りました。平日なら直前でもわりと取れたりします。
あと、公演パンフはおすすめです。1000円(税込み)という安さ。
場面ごとの出演者と配役が全部載っているので、どなたがどの場面に出ているのかチェックしたいときに便利です)


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最後に、感想に便乗した、完全な宣伝になってしまうのですが。

ここまで読んでくださった宝塚ファンの方の中には、そろそろ『憂国のモリアーティ』がちょっと気になりはじめた方もいらっしゃるかと思います。
原作マンガは現在も連載中(集英社の月刊誌ジャンプSQにて)。コミックスは14巻まで出ています。
公式サイトで試し読みもできます。
芹香モリアーティ(ファンの方は「キキアーティ」と呼ぶんですね。可愛い)の虜になった方、そしてモリアーティの部下たちに心奪われた方は、お読みいただくと楽しいかと思います。もちろんホームズも、運命の好敵手として出てきます。
義賊的性格を持ちつつ、犯罪によって階級社会を変革しようとするモリアーティ教授(容姿端麗な若き天才数学者にして犯罪の天才)が見られます。
宝塚ホームズとまた違った解釈のモリアーティの物語を、ぜひ。
(6月30日時点で、3巻まで無料公開中。公開中の話に、兄のモリアーティ大佐、モラン大佐、ポーロック、またホームズやワトソン、マイクロフトも出てきます。マイクロフトが超かっこよくて私は大好きです)
→7/5時点で、1巻のみ公開に変わっていました。
ホームズ、ワトソン、マイクロフトは2巻からになりますが、兄大佐、モラン、ポーロックは1巻に出てきます!
ちなみにヘルダーは4巻からの登場です。

ジャンププラス『憂国のモリアーティ』第一話リンク
https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156645718146


さらに公演パンフで、ホームズ研究家としてご高名な北原尚彦先生がご紹介くださっているように、『憂国のモリアーティ』のミュージカル版には、雪組出身の大湖せしるさんがアイリーン・アドラー役で出演なさっています。
これは憂モリの重大なネタバレになるので詳しいことは伏せますが、憂モリのアイリーンはちょっと特殊で、せしるさんはその経歴を十二分すぎるほどに活かしきったアイリーンを演じておられます。
せしるさんは第2弾の『ミュージカル憂国のモリアーティ 大英帝国の醜聞』からのご出演。

「ミュージカル憂国のモリアーティOp.2 大英帝国の醜聞」公式サイト
https://www.marv.jp/special/moriarty/moriarty-2/

憂モリには「舞台版(ストレートプレイのもの)」と「ミュージカル版」がありますが、せしるさんが出ているのは「ミュージカル版」です。「モリミュ」という略称で呼ばれています。
この8月、東京はステラボール(5日~15日)、大阪はサンケイホールブリーゼ(19日~22日)で、ミュージカル版第3弾が上演予定です。
歌唱レベルがとても高く、ヴァイオリンとピアノの生演奏で進行していく、力の入った2.5次元ミュージカルです。
話は奇しくも、「切り裂きジャック編」がメイン。今回の宝塚と、ちょっと共通するところもあります。
第3弾のチケットは現在先行抽選販売中(7月17日からは一般発売と共にチケトレのリセールも始まります)。
興味を持たれた宝塚ファンの方は、普段とちょっと目先を変えて、お気軽に足を運んでみていただけたらと思います。
近い日程でストレートプレイ版もあります(こちらも今回は切り裂きジャックの話になります)ので、チケットを取る際には「日程」や「出演者」などでご確認いただくようご注意ください。

「ミュージカル憂国のモリアーティOp.3」(今夏上演予定)公式サイト
https://www.marv.jp/special/moriarty/index.html
このキャスト紹介のページには、上記の「憂モリのアイリーンに関するネタバレ」が含まれるので、展開に驚きたい方はまず原作をご覧になるか、過去のミュージカル版をご覧ください……と言いたいところですが、残念ながら、ミュージカル版を配信などで購入できる場が6月30日現在なく、第1弾、2弾をご覧になるにはBlu-ray/DVDしかありません。
第一弾Blu-ray(せしるさん出演なし)


第二弾Blu-ray(せしるさんご出演)

ですが、もし日テレプラスをご覧になれる方でしたら、きたる7月26日21時より、せしるさんが登場する「モリミュ」第2弾の放送があります。
https://www.nitteleplus.com/program/moriarty-st_m_op2/

しつこい宣伝になりましたが、せっかくの機会ですので、憂モリに興味を持ってくださる方が一人でも増えれば嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました!
宝塚のホームズが、全日程無事に駆け抜けられますように!


(文中の原典引用部分はすべて新潮文庫版のコナン・ドイル著/延原謙訳のシャーロック・ホームズ・シリーズ『シャーロック・ホームズの冒険』『シャーロック・ホームズの帰還』『シャーロック・ホームズの思い出』『恐怖の谷』を参照しました)


※【9/23追記】
9/20の北原尚彦先生による「シャーロッキアンが語る宙組ホームズ」を拝聴して、ふと思いついたことがあったので追記します。
ラストの「駅長」に関してのことです。
聞き逃した方は、アーカイブを公開してくださっているのでそちらをどうぞ。

さて、私は上記の感想の通り、「最後に出てくる駅長はモリアーティ教授」説を唱えている。
しかし、「シャーロッキアンが語る宙組ホームズ」配信内でも語られた通り、ル・サンクを読む限りはどちらとも取れる書き方をされており、あれが教授なのか弟なのかは、観客の(そして演じられるご本人である芹香さんの)解釈に委ねられるところである。

だがそれでも、私は「あれは教授本人だ」と思いたい気持ちが依然強く、その気持ちの出どころはどこなのだろうと考えていたところ、先ほどふと思い至った。
私は「シャーロック・ホームズさん。こんばんは」をモリアーティ教授がやった可能性を見たいのだ。

この「こんばんは」という台詞は、アイリーン・アドラーが出てくる『ボヘミアの醜聞』のエピソードの有名な台詞で、ホームズを出し抜いたアイリーンが逃亡する前夜、大胆にも男装してホームズの前に現れ「Good night, Mr.Sherlock Holmes」と声を掛け去って行くシーンで使われる。
あのホームズが、目の前に現れたターゲットを「聞き覚えのある声だ」と思いながらもみすみす逃してしまった、アイリーンのしたたかさと変装の見事さを示すシーンだ。
ホームズはその場では、自分に声を掛けてきた青年がアイリーンだと気付かず、翌日、アイリーンからの手紙で真相を知ることになる。

宝塚版でも、あのホームズが、あれほど近くにいたモリアーティ教授を見逃すはずはない、と思いたい。
しかし、どうだろう。変装の達人であるホームズと、よりにもよってホームズを変装で騙しおおせたアイリーンを前にして、モリアーティ教授が変装を以て二人を欺いてみせたのだとしたら。
そして、汽車に乗り込んだホームズたちの元にモリアーティ教授からの手紙が届き、「先ほどの駅長の男は……!」と気付く展開が来る可能性を、モリアーティ贔屓の私は見てみたいと思ってしまうのである。


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