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無償の愛は「自己中」と相対して成り立つ

子どもに対する無償の愛は、子どもが自己中だからこそ成り立つんだなぁと最近思います。

私はもともと、人間というのは誰しもが、なんらかの利害を感じて関係を持つものだと思っています。

友人だと関係性の深さにもよるところですが、例えば趣味の合う友人ならば、語らうことが楽しいとか、一緒に出かけやすいとか、最新情報が常に入ってきやすいとか、色々とありますよね。

恋人も、人によっては孤独じゃない安心感や他者に認められる欲求だったり、相手のステータス(ルックスや社会的地位など)だったり。

頭の中で利害を考えて打算的に動いているというより、「居心地の良さ」の裏側には「自分にとっての都合の良さ」が必ずある、という意味です。

その中で唯一、利害を一切考えずに愛情を注げるのが「家族」とくに「子ども」だと私は感じるのです。

例えば、男女間のトラブルに思いきり巻き込まれた事があります。

要は私と付き合っていた人が、その事を隠して他の女性に手を出していて、その人から「私、浮気相手でした」という連絡を受けた事があります。

私が知らなかった彼の性癖まで書かれていて「うわー」となりましたけど。笑

自分にとって都合の悪いことが生まれた時、怒りや怨みが生じる時点で、好きなのは相手でなく自分なのだと私は思います。

それが悪いというわけでは決してない(悪いのは彼の方だ)し、当たり前の反応だと思います。
ただ、無償の愛が恋愛関係で生じづらいと思う理由がコレです。

裏切られたら悲しい。
ときめきや期待を踏み躙られて、自分を粗雑に扱われることは辛い。
そういうのが女側の感覚。

男側は意外とそこまで深刻に考えていなくて、なんとなくその場その場の感覚で都合よく立ち回った結果の爆発かもしれない。

そうやつて、相手の行動に振り回されたり、傷つくことが人間関係では往々にして起こります。
そして傷つけられた側は恨んだり憎んだりしながら縁を断ちます。

時々、怒りおさまらず爆弾を落としたりね。


よく愛の反対は憎しみというけれど、憎しみから起こす行動は愛の向け先がそもそも「自分」だから起こる衝動。

選んだのも信じたのも自分の責任だから、本当に相手を愛するなら相手の幸せを願うしかないと思うし、恨むより幸せを願える方が私なんかは幾分か先が明るい気がします。

大なり小なり、男女間のトラブルはこういうものだから、無償の愛や純愛は成立しにくいと思います(長く連れ添った関係や、お互いの理解が深いなら成り立つ場合もあるけど)

で、子どもはそういうことがないんです。


裏切られた!とこちらが思うような期待を最初からしない存在です。
他者を思い測る力はなく、食う寝るの欲の塊で生まれてくるので純度100%の自己中です。

こちらが忙しくても、体力がボロボロになっても、常に守り育てることが最優先の存在。

親の思い通りに行くことはほとんどない。

特に0〜2歳の子育ては修行のような時間です。

でも、だからこそ「無償の愛」がここにあることに気づけるのです。

「私に」何かをしてほしいなんて子どもには思わない。
ただ元気に笑って、すくすく育ってくれたらそれで幸せ。
本当に何にもいらないんですよね。無条件に大切で愛しいから。
逆になんか見返り求めてたら怖いですしね?将来稼いで介護してくれよーとか思いながら子育てとかはちょっとイヤですよね。

自分にとって「都合の良くない」状況もひっくるめてまるっとそのまま愛せるのが、無償の愛。

他者への愛情もこれだけ純粋に真っ直ぐにもてたら良いのですが、そこまでいけたら菩薩の域なんじゃないかと思ったりです。笑

そして

愛される事と同じくらい、愛する事が幸せ

というのが子育ての中で得た気づきです。

育児から学ぶものって本当に多いし、大きいです。

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