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37歳の今の外見が、私は一番好き。

今年37歳ですが、27歳の頃より今の自分の外見が好きです。
肌のはりとか、若さの持つ美しさは昔あったと思うけど、今思うとそれしかウリがなかったとも思う。


ファッションも髪型もメイクも、今は「私はこれ!」が揺るがなくあるから、ずっと積み重ねてきた私だけの美しさに自信がある。

「美しいかどうか」なんて個人の主観だから、そう思わない人がいても気にならない。もちろん綺麗と言われれば嬉しいけれど、どっちにしろ人の評価はどうでもいい。


昔は「自分がどう在りたいか」より、とにかく不特定多数に「綺麗と言われたい」「可愛いと褒められたい」が根底にあったと思う。
今思うとめちゃくちゃ幼くて恥ずかしい思考だけど、当時は赤文字系全盛期で「モテれば最強」の時代でもあった。


実際、高校卒業まで体育会系女子を極めすぎて「クラスで1番モテない女」の称号を持っていた私が、卒業後のあれこれ(これはシンデレラプランニングの創業に至るエピソードでたまに語っていますが)で180度「見た目」が変わり、結果的にモテ期を経験したから、一時的に調子にのった。

私って磨けば光るタイプだったんだな。同窓会とかめちゃざわついて気持ちいいな、とか。笑


突然、エレベーターで別の階に行ってしまったような、環境の変化を経験した。

色んな出逢いを得て、結果的に東京の綺麗な世界から、あまり綺麗じゃない世界まで色々と見聞きするようにもなった。


びっくりするような富裕層も、こんな美味しいものが存在するなんてと泣ける名店も、都市伝説じゃなく実在していた事を知ったし、

「見た目でこんなに扱いが変わるなんて...!!」という扱いの分かりやすさも経験して
過去の自分がいかに女性としての見せ方や接し方を軽くみてきたかも反省した。

恋愛でも社交の場でも、「女に生まれたから女性である」というより、「自覚して女性として振る舞うから、そう扱われる」が正しいと思う。

読モにサロモ、ど素人なのに広告のモデルまでやらせてもらって出来た縁から港区女子も知り合った。
彼女たちの生き様、女の特権をフルに活用していく姿もまざまざと見せつけられて、びっくりしたけれど、
それと同時に薄ら怖さも感じたのが20代半ば〜後半でした。

自分では稼げない人間が、若くて女というだけで本来であれば無縁な高級店に連れて行ってもらえる環境。

払う側からすれば大した事もないけれど
払われる側はどうなのだろうか。

女の特権と甘えれば良いのだろうけれど、その結果として「その年齢の平均的な金銭感覚」や「自分という存在への認識(社会的な価値、謙虚さ、モラル)」が揺らぐように思えて、お金で取り戻せないものを失っていく末路が怖いな、と。

その生活を自分の力で維持できたり、甘えて怠けない自信があるなら出来ることなのかもしれないけれど、少なくとも私は、20代半ばで甘やかされることは自分のためにならないと思っていました。

そもそも、好きでない人に振る尻尾がないから、贅沢が目的の食事に興味もなく「美味しくても、楽しくなかったら意味なくないか」と本気で思ったし、「普通の男の人と付き合ってすき家に行けない女になるとか嫌すぎる」と思って

「若いうちはレストラン偏差値を高くしない方が幸福度は高くいられる」という結論に至りました。

結果的に、泥臭い方、泥臭い方へと進んで地道にコツコツで今なのですが

振り返れば、この「女の特権をあえて行使させない」ことで守れた常識やプライドがあったし、きっと楽なほうに甘えたらここまで続けて来られなかったから、やはり私にとっての最善がこの生き方だったと思っています。

そして、不特定多数に「可愛い」「綺麗」と言われることに大した価値がないことに気づいて、ようやく本質的な「私の目指したい美しさは何だろう」にたどり着きました。

女の特権を有効に扱おうと思えない私が「綺麗になりたい」と思うのは他ならぬ自分のため。

突然のモテ期が与えたのは、女の特権を見聞きする経験以外にもう一つ、頑張って自分を磨き綺麗になることは自信と勇気を自分にもたらすということでした。

見た目が変わると自信が持てる、これは起業のスタート地点のとき、私が実感し、価値があると思ったこと。

でも表面的な、不特定多数のモテを求める自分磨きは私には合わなかった。

その結果、「どんな姿を目指すのか、何を美しいと感じるのか」知りたいと悩んだとき、出逢えたのが「88診断」でした。

正確にはその頃は「88診断」という名前もなく、その土台となる考え方だったのですが、、その辺りの話はまたおいおい書けたらいいかなと思います。

とにかく私の原体験としては、昔は自分磨きをめちゃくちゃストイックにやってたし、綺麗になる事をとにかく目的にしてました。
結果的に得てきたこと、経験したことで「私のなりたかった綺麗ってモテるためじゃなかった」と結論が出てから、本質的な「私らしい美しさ」を目指すようになったのです。

じゃ、この「私らしい美しさ」とは何だったのか。


次回に書き綴りたいと思います

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