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カミノクニハチカヅイタ、セマイモンカラハイリナサイ(1)

―1998年12月6日、クワドザナ・メソジスト教会(ジンバブウェ、ハラレ)説教―

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 日本基督教団関東教区新潟地区からご挨拶申し上げます。

 新潟地区は韓国、アメリカのメソジスト教会とともに、「アフリカ大学」の設立に参与することを通して、ここジンバブウェでの地域作りの喜びを分かち合うことをゆるされ、とてもうれしく思っています。

 私は離島の小さな教会から来ました。日曜日の礼拝出席者数は4人とか5人です。しかし、たとえそこに2人、3人しかいなくても、神様がともにいてくださるということを私たちは信じ、また世界中のキリスト者と一緒に神様を賛美しているのだということを知っています。

 私たちの小さな教会は9月28日に世界教会協議会(2)の設立を祝い、また、エキュメニカルな(3)祈りの輪に連なりながら、エキュメニカルな繋がりの中にある諸教会との連帯のなかで、世界教会協議会・ハラレ大会(4)に向けて祈ってまいりました。

 日本においてエキュメニカルな霊性を生きている人々、また、私の住んでいる小さな島で、正義、平和、被造世界の保全(5)に向けて努力している人々に代わって、私が今日、このところで、皆様と顔と顔とを合わせ、世界的な広がりをもった交わりを、目に見える形で、直接経験している恵みを神様に感謝しています。

 

 私が今住んでいる島の名前は「佐渡」といって、金山で有名なところです。金山は四百年(6)近く金を産出してきました。十年程前に閉鎖されました。金山の坑道の一部は観光用の博物館として利用されています。

 金山の近くに「無宿(7)の墓」というのがあります。国家権力によって「ホームレス」(8)の人々が何千人も(9)金山につれてこられた時代があったのです。

 穴をほるとき問題になるのが、湧き水です。「ホームレス」の人々は、昼も夜も穴のなかで水を汲みだす仕事をさせられたのです。

 労働がとてもきつかったので、労働者たちの寿命は短かったといいます。日本の経済の安定のために日本の社会の底辺で働いた人々のことを、「無宿の墓」は訪問者たちに思い起こさせます。

 

 しかし、この島に住む心ある人々はもう一つの大事なことが忘れられていることに気が付きました。第二次世界大戦の時、日本は近隣の韓国や中国といったアジア諸国を侵略してきました。

 そのとき、日本政府は侵略した国々からたくさんの男女を連行し、奴隷のように働かせました。

 それは日本の大きな恥です(10)。日本の天皇の権威のもとで、日本の公務員によってなされたことを大変すまなく思っている人々は少なくはないのですが、日本政府はアジアの人々に謙虚に謝罪し、誠実に賠償することを躊躇してきました。

 百万人以上の韓国・朝鮮人が日本に連行され、千人以上の人々が佐渡金山に連行されたと言われています(11)。けれどもこの事実に関しては金山の博物館には展示されていません。多くの若者たちが「無宿の墓」を訪れ、日本人労働者に思いを馳せます。しかし、韓国・朝鮮人労働者たちのことについては何も知らないまま島を後にします。

 

 労働組合のリーダー、仏教の僧侶、牧師、その他関心を抱いている人々からなる自発的なグループが6年程前から事実の調査を始めました(11)。

 第二次大戦後、韓国・朝鮮人労働者たちの中には母国に帰った人々もいますし、そのまま日本に住み着いた人々もいます。日本の繁栄は韓国・朝鮮の人々の犠牲の上に成り立っているものでした。それは日本の「破れ」です。この「破れ」を携え、赦しを求めながら、このグループは韓国や日本で、自らの傷を癒しながら生きる元労働者たちを訪ねました。このグループは元労働者たちの物語りを聞き、そして、次にいったい何ができるかを考えました。

 

 「カミノクニハチカヅイタ」 それは日本語で「神の国は近づいた」という意味です。神の国、それはおそらく、神の正義を土台として、人間が神との和解、また他者との和解を生きる場であるにちがいありません(12)。

 すでに述べましたように教会に来るのは4、5人です。島には7万人が住んでいます。この島に教会が立てられて百人以上経ちました。日本で最初の女性牧師、高橋久野は1871年にこの島で生まれ、1933年に按手(13)を受け、その働きを私たちの教会から開始しました(14)。これは私たちの教会の誇りです。しかしながら、私たちの教会は日本基督教団のなかでも最も小さい教会の一つでしょう。そしてさらに、信徒の数はどちらかというと減少を続けています。このような状況のなかで私たちの教会は「神の国は近づいた」というイエス・キリストの言葉を聞くのです。

 韓国・朝鮮と日本の和解に向けての取り組みは、この島の市民社会の中から生まれてきました。これはキリスト者にとっては驚きです。和解に向けてのイニシアチブをとることができるのはキリスト者だけだとキリスト者は考えがちだからです。しかし、私たちの島の小さな教会は、和解に向けての取り組みが、政治的立場、宗教的信条の違いを超えながら教会の外で生まれてきていることを目撃させられています。「神の国は近い」のです。

 和解には、謙虚さが必要であることを私たちは知っています。「セマイモンカラハイリナサイ」という日本語は「狭い門から入りなさい」という意味です。謙虚に生きるというのは人間にとって容易なことではありません。それは狭い門から入るようなものです。謙虚に生きる人々が、韓国・朝鮮と日本の和解に向けて努力している場においては、教会の謙虚さの真価が問われます。

 

 「神の国は近い」のです。今日教会が置かれているのは、多くの人々がキリスト教とは関係なく生き、しかも、その中の少なからぬ人々が、人と人との和解に向けて努力している世界、教会固有の役割が消えつつあるように思える、そのような世界です。

 「神の国は近い」のです。このような世界において、教会はなお、和解それ自体は神様から与えられるものであると理解(15)しています。それは奇跡であり、究極的には神様からの恵みなしには不可能な出来事です。

 「狭い門から入りなさい。」 教会に求められているのは、人々の傷ついた記憶を癒し、すべての人々を和解へと招きながら、世界の傷のただ中で働いておられる神様への誠実さ(16)ではないかと思います。神様に誠実である、ということは、正義、平和、和解に向けて努力を重ねている人々と共に働きながら、傷や痛み、そして、癒しの営みを分かち合うということではないでしょうか(12)。

 「神の国は近い」のです。私たちが隣人から、もし、赦しの言葉を聞くことがあるとするならば、私たちは、私たちの「破れ」を通して、私たちの傷を癒し、人類に一致を与える神様の現実と出会うのではないでしょうか。

 

祈りましょう。

神さま、あなたは私たちが希望を見いだせず、どうしようもないという時、自らの弱さや破れに直面するところで、ご自身を現わしてくださいます。この希望を私たちは喜びます。正義と和解、平和と被造世界の保全に向けて努力を重ねている全ての人々と共に働くことを通して神様に立ち帰るものとなさせてください。十字架の上で、自らの身体を砕きながら、あなたに信頼をおいたイエス・キリストのお名前によって祈ります、アーメン。

 

(1)聖書の言葉に基づいて塩田泉神父によって作曲された讃美歌の歌詞。この日の礼拝の中で日本語で歌われました。

(2)1948年設立。現在、プロテスタントおよび正教の300以上の教会が加盟する世界組織です。

(3)「世界教会の」とか「教会一致の」と訳されます。語源はギリシア語の「オイクメネー」で「世界」を意味しています。エキュメニカル運動の目的としては「教会の一致と人類共同体の刷新」ということが言われてきました。

(4)1998年12月3日~14日にかけて第8回大会がアフリカ、ジンバブウェ(昔の地図ではローデシア。アフリカ人の解放闘争によって1980年、ジンバブウェとして独立を勝ち取る)のハラレでもたれました。今回の大会は世界教会協議会の設立50周年を記念するもので、「神に帰れ、希望に喜べ」のテーマのもと、これまでの歩みの総括、今後の展望、第三世界の負債の免除等について話し合われました(ネルソン・マンデラ大統領も来賓として挨拶を述べました)。大会期間中の日曜日、参加者は分散して地元の教会を訪れ共に礼拝をささげました。この説教はハラレ郊外の、貧しい人々の小さな家々が集まっている黒人中心の地域にある小さな教会(といっても二百人近く集まる)でさせていただいたもので、英語から現地のショナ語に訳されました。

(5)キリスト教では自然は、神の創造の産物であり、その創造の業は現在も継続していると信じているので、一般に言われている「環境保護」のことをキリスト教用語で「被造世界の保全 the integrity of creation 」と言います。

(6)相川金山を開発した大久保長安(ながやす)が金山奉行になった1603年から数えて。

(7)「『無宿』/というのは、戸籍のない人間のことである。」司馬遼太郎『羽州街道、佐渡のみち 街道をゆく10』(東京、朝日新聞社、1983年)222頁。

(8)司馬遼太郎は「無宿」について「こんにち、制度がちがうためにこれに該当する存在がなく、何に似ているのかという連想が、厳密には不可能である」(前掲書、同頁)と述べています。「無宿」を「ホームレス」と翻訳するのは単純すぎるかもしれません。しかし、権力によって都市から「排除」され、単なる労働力として酷使され、人間としての尊厳を大切にされることがなかった点で、現代日本の野宿を余儀なくさせられている労働者たちと通じるものがあります。ロンドンの「ホームレス」、ダッカの「ホームレス」、ハラレの「ホームレス」、東京の「ホームレス」、そして江戸時代の無宿、それぞれの事情の差異を考慮に入れながらも、「無宿」を「ホームレス」と訳すことは、佐渡の郷土史を切り口として、「現代」の日本や世界の「構造的な(つまり心の問題に解消されない)」差別や貧困の問題に接近してゆく可能性を開くのではないでしょうか。

(9)「その数は二千人を超えた」 磯部欣三『佐渡金山』(東京、中央公論社、1992年)60頁。

(10)立教大学・金子啓一は「国家への恥」「天皇への恥」「世間への恥」といった「現状維持型の恥」が「強者・優者(通常中心とされている)が弱者・劣者(周辺に押しやられている)の方が、自分たちよりもむしろ明るく強い生きざまをみせていることに気づいておぼえる恥」へと「意味変容がなされなければならない」と述べておられます。「<恨の神学>への呼応――キリスト教倫理覚え書き」『福音と世界』(東京、新教出版社)1982年10月号。

(11)過去・未来――佐渡と朝鮮をつなぐ会「佐渡金山・朝鮮人強制連行問題の調査活動とこれからの活動」『まなぶ』(東京、労働大学)1996年10月号。

(12)「『和解の大切さ』ということがよく言われます。聖書の中にも度々出てきます。私たちも和解はいいことだと思っています。しかし、相手がだれであれ和解すればいいというのは、決してキリストの教えではありません・・・<中略>・・・和解そのものがイエスの教えなのではなく、痛みを共にする中から見えてくる解決策を求めていくのが本当の意味での和解であり、イエスが命じる和解なのです。」 本田哲郎『続 小さくされた者の側に立つ神』(名古屋、新世社、1992年)18頁。

(13)キリスト教で牧師になってゆく上での最後の段階の儀式とされているもの。女性牧師の按手が積極的な意味を持つことになる理由の一つとして、それが教会や社会の中にある父権的構造を切り崩してゆくための一段階となる、ということがあげられます。

(14)山本菊子編著『豊かな恵みへ――女性教職の歴史』(東京、日本基督教団出版局、1995年)参照。

(15)「人々が『なぜ?』と問うときに、私たちの選択と生き方を『説明』し、聖書に基づいた神学的な裏付けを『確認』することは、欠くことのできない大事なことです。しかし同時に、それはあくまでも『説明』『確認』であり、教えたり、与えたり、ということとは性格が異なります。」 本田哲郎、前掲書、202頁。

(16)黙想と祈りの集い準備会、植松功氏の示唆による。

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