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稀勢の里横綱昇進はスポーツ少年が真の力士にメタモルフォーゼした最初で最後の成功物語か

前2件のエントリから少々テーマが脇道にそれるが、新横綱稀勢の里が初日を迎える前日としてはこのタイトルが正道ということでお許しいただきたい。

長文を書くにはエネルギーがいるが、時事性があればガス欠しなくて済むし、また前2件のエントリとも少なからず関連性はある。

武蔵丸以来約13年ぶりの日本人横綱誕生に盛り上がっている昨今。稀勢の里は昭和のニオイのする力士とよく形容されるが、かと言って昭和の力士とイコールでもない。昭和61年生まれで昭和のニオイを出すのはなかなかの難易度だとは思うが、共同幻想としての「昭和」にはいかんなく応えてくれる力士である。

昭和の力士とイコールではないと書いたが、たとえば稀勢の里の昭和っぽくない点を上げるとすれば、稀勢の里がスポーツ少年だったことである。

いや、スポーツ少年なら昭和にもたくさんいただろ、初代貴ノ花も千代の富士もスポーツ少年だろというツッコミが入りそうだが、

ここで言うスポーツ少年とは「スポーツに関して子供自身より親の方が熱心な環境で育った少年」のことだ。

このバックボーンはとても平成らしい。リアル昭和は貧しさゆえの家業の手伝いで基礎体力を養うものである(決めつけ)

稀勢の里の父は、自身がアマチュアボクサーであり、スポーツ経験が豊富にある人物。息子にはなんらかのプロスポーツ選手になってもらいたいと思い、水泳や相撲や野球を経験させた。相撲では、本格的な経験がないにも関わらずわんぱく相撲の全国大会に出場。野球では、常総学院にスカウトされるほどの実力をつけた。

その背景には徹底された食育があった。清涼飲料水は飲ませずに牛乳と麦茶、おやつもジャンクフードは与えずに、ふかし芋だったそうだ。稀勢の里が横綱昇進の際に、両親に対して「丈夫な身体に産んでくれて」ではなく「丈夫な身体に育ててくれ」たことを感謝した。この言葉のチョイスは、筆者にとって口上より印象に残った。

さて、既にお気づきの方もいるかもしれないが、スポーツ少年、食育と言った平成らしいキーワードの中に、相撲、ふかし芋といった昭和っぽい単語が鮮やかに散りばめられている。

平成を生きる寛少年は「ポカリ飲みてぇ」とか「マック食いてぇ」と思ったことは1度や2度ではなかったと想像する。「また芋かよ」とか「どうせ俺は芋だよ」と我が身を嘆いたこともあったのではないか。しかし、ここに「昭和のニオイ」の原点を感じずにはいられない。

稀勢の里は父が40歳の時の子供だ。当時としては年寄り子と言って差し支えないと思う(と、アラフォーの筆者は心を無にして書いている)

周りのスポーツ少年と同じようでありながら、時折「あれ?なんかウチだけ古くないか?」と感じることが度々あったと想像する。その「周りと違う自分」という意識が、中学生にして稽古が特に厳しい部屋とわかりながら、自ら鳴戸部屋の門を叩いた原動力となったと思う。

ちなみに、稀勢の里は中2のとき、自宅から一番近い部屋だから、と隣県松戸市の鳴戸部屋まで自転車で見学しに行ったそうだ。しかし、本当に一番近い部屋は龍ケ崎市内にあるS秀部屋だ。(親方は先代だったけど。それにしてもまあ松戸よりは圧倒的に近い)寛少年はそれなりに相撲を見ていた子供だったから、しっかり「関取がいる」自宅から一番近い部屋という条件でフィルタリングしていたようだ。

さて、タイトルにスポーツ少年が真の力士にメタモルフォーゼなんて大げさに書いたが、ここ最近の関取は、スポーツ少年が髷をつけたスポーツ青年になったという印象の人が多いと感じる。

スポーツ青年だから応援しないということもないが、スポーツ青年であることは、真の力士であることより1つ尊敬できるポイントを欠いている気がする。

話が飛ぶようで申し訳ないが、伝統的な稽古を「ごはん」筋力トレーニングを「ふりかけ」に例えると、昭和のほとんどの力士は、ほぼ「ごはん」だけで強くなっていた。「ふりかけごはん」を食べている力士も、世間に対しては「いつもごはんを食べています」と言っていた。

それが、最近の若い力士はわざわざ「ごはんとふりかけを食べています」と言うようになった。そのうえ「ごはんって味しなくないですか?結局ふりかけが味を決めてるじゃないですか」と言い出しそうな雰囲気すらある。

稀勢の里は「ふりかけごはん」を食べているけど、「ごはんを食べています」と言ってくれる力士だ。こういうところも昭和くさい。

・・・と、本質を回避して遠回りな表現をした。本質とは、スポーツ少年が真の力士になるために何が必要なのかという点だ。これもまた、直接的な表現を避けたい。タイトルに、「最後」かもしれないと入れた部分で察してほしい。

ある関取が、殊勲インタビューで、一昔前の力士風に口数少なく答えているが、それを聞いていても、どうも「ごっこ遊び」にしか感じられない。昔の力士が口数が少なかった「背景」が寝そべっていないと感じる。

稀勢の里にはそれがある。いや、抱えて生きていると言った方がいいのかもしれない。

かつて横綱白鵬から、稀勢の里が横綱になれない理由として「ひよの山かぞえうた」を歌わないことを指摘されたことがあった。当時相撲協会は、数々の不祥事から来るマイナスイメージを払拭すべく、明るく楽しく客に優しい、特に女性と子供に優しい団体になろうとしていた。そして、子供向けPRの一貫として「ひよの山かぞえうた」のPVが制作された。

そこでの稀勢の里のムスッとした態度に注文がついた。白鵬の指摘は、歌を真面目に歌わないということ自体ではなく、力士のトップに立つ人間として、今やるべきこと、次代のためにやるべきことをしていないと言いたかったのだろう。たしかに、白鵬以上に現役横綱でありながら対外に向けて相撲をアピールしてきた力士はいないと思う。

しかし、子供の頃、力士に憧れを持っていたであろう稀勢の里の言い分(何も言ってないが)もわかる。

「こんな歌を歌ったところで誰が相撲を好きになるかよ」
「子供向けにやってる仕事なんて、子供に見透かされるんだよ」
「こんなことするために力士になったワケじゃない」

さあ、いよいよ新横綱。稀勢の里の方法で、稀勢の里のアピールしたい相撲を表現するチャンスがやってきた。稀勢の里は、発言力が増すから横綱になりたいという趣旨のことを話していたことがあるという。

その動機は本物だったということだろう。ひよの山かぞえうたは歌わなかったが、トップの自覚は備わっている。横綱になりたいと言いながら、実のところ尻込みしてきた大関を何人も知っている。30歳を過ぎて、本当に横綱になりたいと思っているだけで、稀な力士だ。

結果はすぐに伴うかもしれないし、その逆かもしれない。状態は良さそうだが、こればっかりは蓋を開けてみなければわからない。

まずは、横綱になりたいと真に願い、それを実現させたことを賞賛したい。そして、15日間無事に務め上げたら、そのことを賞賛したいと思う。

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