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わんぱく相撲全国大会の3つの功績が大きすぎて震える。そして割を食う相撲未経験入門者

前回のエントリ(未経験者でも頑張り次第で横綱に昇進できます!ってのが誇大広告でない世界のはずなのだが・・・)で、相撲は未経験で入門しても頂点に立てる競技だが、最近未経験者には逆風が強まっていることを書いた。

未経験者に逆風が吹いているということは、つまり相撲経験が十分にある者の入門が増えているとざっくり言って差し支えない。

この傾向は21世紀に入って顕著に表れているが、その契機を探っていくと、30年以上前に始まったある大会の影響が大きいことがわかった。多くの人が名前を聞いたことくらいはあるであろう「わんぱく相撲全国大会」である。

わんぱく相撲全国大会第1回が開催されたのは両国国技館落成と同じ1985年のこと。わんぱく相撲の歴史については公式HPに詳細が載っている。横綱貴乃花が少年時代、わんぱく横綱として土俵入りしている映像を見た方も多いと思うが、それはわんぱく相撲全国大会の前身に当たる「わんぱく相撲東京場所」の時のものである。

わんぱく相撲の特徴的なところは、青年会議所が主催していることと、1981年からは日本相撲協会も協力していること。現在、全国大会では相撲協会も主催として名を連ねている。通常、相撲協会がアマチュアの大会を主催することはない。しかし、小学生の全国大会についてはアマチュアを統括する日本相撲連盟に先駆けて主催している歴史がある。ちなみに、日本相撲連盟も1988年から小学生向けの全国大会、全日本小学生相撲優勝大会を行っている。

わんぱく相撲全国大会は、日本相撲協会主催というだけあって、出場者には大会前に相撲部屋に宿泊して、プロの力士と寝食を共にできるというオプションがついている。宿泊先で縁ができた部屋に入門を決める力士も少なくない。

わんぱく相撲全国大会の功績を3つ挙げるとすれば、その1つは有望な少年を相撲部屋に招き入れるシステムを構築したこと。もちろん、それだけで入門者が増えるほど甘くはないが、親方や関係者が地方に足を運ぶだけでなく、地方から両国界隈に迎え入れるスカウト筋を作れたことは大きい。

2つ目の功績は、全国大会化により、競技レベルの上昇に貢献していること。競技レベルがどのように向上しているかを言葉で説明することは難しいが、大会規模が大きく、華々しくなれば、それだけその頂点を目指すためのトレーニングは質量が問われることとなるのは当然の理である。

ちなみに、他の少年スポーツの全国大会化についても調べてみたが、70年代後半~80年代前半が多かった。競技人口の少ない相撲が85年に全国大会化されたことは、流れとしては早くも遅くもないと言える。この全国大会化、文部省の施策が何かしらあったのだろうと推測できるが、主に昭和50年代に集中しているのは、単純に全国大会が開催できるだけの交通インフラが整ってきたということだろう。

さて、少し脱線したが、3つ目の功績は、少子化の波に完全に負ける前に大会が組織化されていたこと。その展開には先見の明があったと言っても過言ではない。若貴ブームが起きてから、ノリで始めた大会だったら、もう終わっていたかもしれない。根底にしっかりしたコンセプトとノウハウがあった。

秋場所に優勝した豪栄道はわんぱく横綱経験者。しかし、中学の頃は相撲に集中していない時期もあったという。そのような思春期を過ごす相撲経験者は多い。稽古はキツイ、尻出して恥ずかしい、デブはかっこ悪い等の理由で、相撲から離れ、それ以外の何かでも輝けるのではないか?と自分探しをする。

そういう時期を経た後、結局相撲に居場所を求めて角界入りする人が最近増えてきたように思う。女にモテたいという意識がまだ無自覚であるうちに、まわしを締めて土俵に上がり、相撲の本質的な魅力に触れた経験があることはとても大きい。その機会を、この少子化の時代に提供し続けてきたのだ。

わんぱく相撲全国大会が仮に1985年に開かれていなくても、各地で相撲大会は開かれているし、今活躍している力士も結局入門していたかもしれない。しかし、全体的に「手遅れ」になっていた可能性は高い。日本人力士は情けないという言葉をよく聞くが、むしろ、ギリギリセーフなところでよく頑張ってくれていると言いたい。

さて、わんぱく相撲全国大会を絶賛したところで、小学生の相撲のレベルが上がっているということは、入門者の初期パラメータは経験者と未経験者で大きく差が開くことに直結する。次回は、相撲経験者に吹く追い風と未経験者に吹く向かい風の実情について書きたい


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