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警察に恨みがあります


私は、ストーカー被害者を経て警察官になりました。
志望動機は、「将来の夢が警察官だった」というのが、勤務をする上で表向き上とてもやりやすかったのでそうしていました(実際もそうだったのですが)。
ですが、本当の志望動機は違います。
私のようなストーカー被害者に寄り添い、きちんと悪を成敗したかったからです。


私は学生時代に、都会のアパートで一人暮らしをしていました。
ベランダはなく、玄関の手前の渡り廊下に洗濯機を設置する間取りでした。
被害はまず、下着を盗まれることから始まりました。
なんだか数が合わないな、と思ってから気づき、洗濯が終わってすぐ取り出しても無くなっていたので、どこかで見られていたのかなと思います。

初めての一人暮らしで不安だったし、気持ち悪かったので交番に相談に行きました。
世間的にも立派な被害者となったから、そのつもりで行ったのに、話をすると「そうなんですね…」で終わったのみ。
アドバイスも何もなかったので、「これは自分で気をつけるしかないですか」と聞くと、「そうですね〜」と、軽く終わりました。
実習生だったのかわかりませんが若い警察官で、かといって周りに3〜4人警察官がいたのに、みんな素知らぬフリ。
まず相談する人を間違えたのもあったし、被害届を出します!という強い意思を出さなかったこともあり、向こうも対応しなかったのでしょうね。
というか、被害届を出すこともわからなかったし、世間知らずな若い女子だとなめられたのでしょう。

その交番は駅前にあり、よく立番をしているようなところでした。
繁華街だから喧嘩や酔っぱらい等が多いのか、人数ばかりいて、余計な仕事をお互いに持たないようにしているような雰囲気がありました。
あそこの交番は不祥事が多くてヤバい、ということを後々に知ったものです。
そんなことは分からなかった当時は、何もやってくれない警察官への憤りと同時に、とても惨めな想いでした。

その後被害はエスカレートし、隣人の郵便受けに私の私物を入れられたり、郵便物を剥がされたり、「あなたを狙っていますよ」というメッセージに変わっていきました。

決定的だったのは、ある日自転車のサドルにカッターナイフが置かれ、見るとタイヤがギタギタに切り刻まれていたこと。
これを見て、あぁもうここに住めないな、と判断し、すぐに引っ越したことで嫌がらせは無くなりました。
自転車のタイヤを切り刻まれたことで器物損壊の被害者を出せたかもしれませんが、この時の私の中に、警察官に頼ろうという気は皆無でした。


…こんな経験を経て、私は警察官となりました。
大人になるにつれ、不合理なことに直面する機会は増えていくものですが、私にとってはこれが入口だったかなと思います。

このような出来事があったことは、採用試験時に伝えることはありませんでした。
相手方のことを考え、伝えたところで有利になることではないと判断したからです。
だけど、胸の中にずっとありながら勤務してきました。
自分を成長させてもらうことに必要な経験だったのだと、今では思えます。


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