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雨と呼吸とハンカチ【シロクマ文芸部】

『雨を聴く』
そんなタイトルの絵の前で私は立ち止まった。
一人で来る、空いている美術館は良い。
好きなように、好きな絵の前で、好きなだけ立ち止まっていることが出来る。

その絵は何かが具体的に描いてあるのではなく、虹のようなうっすらと消えそうな色が、重なる雲や光のように、滲むように描かれていた。
(雨といったら青やグレーって気がするのに。)
私は心の中でつぶやいて、その不思議な絵をじっと見ていた。私の目の中がその絵の色でいっぱいになる。水がいっぱいになった池のような気がする。目を閉じると涙のように色が溢れてしまう。
そう思うのに私は目を閉じてみた。
やわらかい色は溢れなかった。
まぶたでそっと閉じ込められた色が、私の内側に霧のように広がっていく。
(雨の音がする)
そう、どこかから霧雨の降る音がした。
霧雨は降るときに音なんかしない。聞いたこともない。
でも今、霧雨の降る音が聞こえる。
みえないほど細かくなった水と光と空気が触れ合う音。
静かなその音が身体じゅうに染み込んでくる。
呼吸が楽になる。
(そうか、最近少し呼吸が浅くていつも苦しかったのは、霧雨の成分が足りなかったんだな)
私はポケットから真っ白いハンカチを取り出してひろげ、顔に当てる。
ふぅ……
出来るだけ細く長く息を吐く。
吐き終えてハンカチを顔から外して見てみる。
やっぱり。
そこには目の前の絵と同じ色が、かすかに映っている。
ほのかな虹色。

(ありがとう)
私は絵にお礼をいうと、ハンカチを丁寧に折り畳んでポケットにしまい、
その絵の前から去った。

(了)

* 小牧幸助さんの企画に参加します


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