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これからの時代はshareではなく。。。

今、今、今この瞬間を
味わって、味わって、を積み重ねること。

それは「足るを知る」生き方。

オットがよく言う。
「足るを知るがいちばん大事」

私は欲張りだった。
イソップの犬みたいに、自分の分の骨をくわえているくせに、池に映った自分の骨も欲しいと鳴いて、骨を落っことす。。。

もう、「もっと、もっと」の時代は終わった。
十分にあるから、安心して、みんなで分け合おう、そんな時代。

分け合うって、英語で「share」と言うのだと思っていたら
share(シェア)の正しい意味は、「切って分ける」と言う意味。

一つのものを切り分ける(share)というより、「持ち寄り」が気分。

持ちよりは、potluck(ポットラック)と言うそう。

持ってるものを持ち寄って分かち合う。

それが当たり前になれば
ないものねだりをしなくてよくなる。

自分にないものは、誰かが持ってる。
だから、誰かが持っているものを分けてもらうことができる。
私が持っているものを誰かが必要としてくれる。

たくさん持っている人も、持っているだけでは誰も喜ばないから、
たくさん差し出してくれる。

素敵な世界🌎

シュタイナー学校の1年生の子供たちが足し算を習う時
指で計算するのに、10本の指では足りなくなったら
隣の友達の指を借りて計算していた

「あと3本指貸して」

なんてかわいらしい❤

その学校での何か集まりやお祝いでは、常にpotluck
18年間の学校生活で何度あっただろう。
週末のクラス単位の小さな持ち寄りもあれば、
12年生の卒業式の謝恩会は下級生たちの保護者からのpotluckが素晴らしくて
飲み物から食べ物まで、本当に心のこもったものが並べられていた。

私は作るのが苦手なので、いつもオットが何かを持ち寄ってくれていた。
私は果物専門(笑)皮をむいて切って持って行くか、
時にはポットに温かい飲み物をいそいそと作る。

皆が喜びそうなものを持って行くのも幸せ。
誰かが作ってくれたものをいただくのも幸せ。

学校では食べることだけではなく、いろんな特技を持った保護者が
ワーキンググループや自主活動グループで腕を振るっていた。
みんなボランティアだけど、喜んで力量発揮されていました。

これからの世の中は、shareというより、potlukcの流れではないかと
ひそかに思っている。

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差し出し合って分かち合えたら、
すべてがあることになる。。。。すばらしいなあ。

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