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受け入れがたいものを受け入れるって。。。

長男を育てるのが本当に大変で大変で。。。

今はもう笑い話になっているから

本人にも言って笑ってるようなことなんだけど

その当時は

「なんで私のところに来たのかな」

「なんでもっとおおらかなお母さんを選ばなかったのかな」

「私には無理なのに!」

と、悲観的かつ投げやりかつ絶望感満載で

でも何とかしたくて、息子を愛したくて、

子育ての勉強会や

その道の「先生方」に

会う人会う人に

「受け入れがたいものを受け入れるって、

一体、どうすればいいんですか?」と

その答えが、喉から手が出るほど欲しくて

答えのない問いを抱えてさまよっていた。


危ないときも静止がきかず

やめなさいと言えば言うほどテンションが上がり

周りの友達からは大ブーイングの嵐

それでもやめられない


あの頃の彼は「なんだったんだろう」

そうにしか表現できない「何か」を抱えて

どうしたらいいのか、持て余していたのかなあ。

今になってもよくわからないけど


中学生の頃

毎年恒例の、私の親族が一堂に集まった日、

たくさんの年下のいとこたちから

少し離れた場所で

穏やかな笑顔で彼らを見守っている息子の姿を見たとき

私は本当に心の底から驚き、感動したのを

いまだに鮮明に思い出すことができる。


一年前までの彼は

年が10ほども下の幼い子たちと一緒になって

いや、彼が騒ぎの発端をいつも作っていたのに

その時の彼は

小さい子を愛情をもって見守る「大人の目線」だった。

すごく優しい顔をして穏やかな目をしていた。


何かが、彼の中から抜けたんだ、そんな気がしたのを覚えている。


それからは

彼の周りで誰かが「やめて!やめてよ!」と言う声を

聞くことはなくなった。

いつも、やめてと言われれば言われるほど

ハイパーになって余計にやってしまう人だったのに。


こんな日が来るんだ。。。


そう思ったことも覚えている。

彼はこのまま一体どうなってしまうのか?

私は不安と焦りと怒りと、、、そんな思いに駆られていたのに。

そしてそんな彼を愛せていないと自分を責めていた私がいた。


それ以来

10歳年下のいとこの男の子が

息子のことが大好きで仕方なくて

いつも息子の膝の上に座るようになった。


息子は、その子が「こうしたい」

「こうしてほしい」と言うのを

いつも辛抱強く、にこにこと見守っていた。


私は息子がそんな変化を遂げる何年か前に

のたうち回った挙句

「受け入れる」ってこういうことだ、ということが

腑に落ちた。

もう精も根も尽き果てたとき

どうしろって言うのよ~!!って天に向かって吠えてた?時、(笑)

その時固く握っていた掌を緩めたとき

「ああ、、、そういうこと。。。」と落ちたんだ。


理屈じゃない。

とことん苦しみ抜いて、

考えあぐねて

悩んで戦って

そして精も根も尽き果てた挙句の境地


わかったよ。

君はそのままでいいよ。

どうにかしようと思うのをやめるね。

疲れちゃった。

なんとかなるやろ。。。


そう思った、その事こそが

「受け入れる」と言うことだったんだな。


今にして思えばってことだけど。

そして

ずっと息子を愛してあげなくちゃ

愛が足りないのかも、と思っていた自分におしえてあげたいな、

私はずっとずっと、息子を愛してた。

ちゃんと愛情を持っていた。

だからこそ苦しかったんだよと。


今一人暮らしの息子と

先日ご飯を食べに行ったら

ずーっとおしゃべりしてた。

職場のこと、よく会いに行ってくれる祖母のこと、

車のこと、、、

「食べたら?」と途中で言うと

ニコッと笑ってごはんを一口かきこんで

またしゃべりだした。


とんかつ屋さんだったんだけど

キャベツください!ってお店の人呼んで

「キャベツ大盛りで!」

「このくらいでよろしいですか?」

「もっと」

「このくらいでよろしいですか?」

「もう少し」

で、皿の上にすごいキャベツの山。。。

フツウ、恥ずかしくなる。

私は笑ってしまって

「そんなに食べるん?」と聞くと

「普段野菜不足かなと思って」と。。。

毎日きっちり自炊しているのだけど

どうしても生野菜はあまり食べないらしく。


こんなに盛ってもらったら恥ずかしいかな?

変かな?って

思わない、気も付かない息子

そうやって生きてるんだな、って思いました。



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