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closing down

 降りしきる雪が窓を叩いた。外は豪雪だ。
古びたホテルのロビーは静まり返っていて、今夜は全室空き部屋のまま明日を迎えるだろう。フロントに立ちながら、数冊の週刊誌を順番に眺めている。
芸能人の熱愛スクープ、最新詐欺手口、某ホテル支配人が謎の不審死、、、違う、これも違う、とページをめくる。あの記者の名刺を受け取っておけばよかった、と首を垂れた。

死人に会える、なんて噂が口伝えに伝わってオカルト界隈では有名になりつつあったらしい。週刊誌の記者まで泊りにくる始末、まあその記者は懐疑的な様子だったが。こんなホテルの支配人をしていながら、私もあの記者と同じ気持ちではあったが、帰り際に深く頭を下げられ身に覚えのないサービスに感謝されたり、何の汚れかも分からない廊下の染みを半日かけて落としたりすることもあると、他のホテルとは違うと思わざる負えなかった。創業当時から謎のホテルだったわけではない、ある部屋にある男を泊めた、それがきっときっかけだろう。


 ホテルを開業して数か月の頃、まだ客足も増えない真夜中に雨宿りをさせてくれとロビーに入ってきた男がいた。今日と同じで閑古鳥が鳴いてロビーはがらんとしていた。
「部屋で休んでいってください」と声をかけると、男は金を持っていないと答えた。雨は朝まで止まないだろう、男の着ているモスグリーンのくたびれたコートは雨染みで濃い色になっていて、ボリュームしかない髭と長く伸びた髪が繋がって、みすぼらしく、その辺りの道に居たらホームレスと認識するような身なりの男だった。「では使用人用の部屋はどうですか?」と食い下がる。どうせ明日も宿泊の予約は無いし、弾丸で来るような客も今まで一人もいなかった。唯一の従業員は料理人の一人だけで彼も今日は出勤していない、使用人用の部屋というのもまだ客室用に見繕っていない、半分物置状態であるだけのことだ。男が私の目をじっと見て「ありがとう」と答えた。

「助かった」と男は暖炉の前に椅子に座り、スープの入ったマグを両手で包み込んでいた。「おくつろぎください」と言って部屋を出ようとすると、男が尋ねてきた。
「会いたい人はいるか?」
ええっと、、と答えあぐねていると男は、ほう、と私の全身を上から下まで見つめ眉間の皺が濃くなる。
「そうか、会えなかったのか」
居心地の悪さをおぼえる私に男はそう呟いた。

 翌日、昨晩の様子とは打って変わって髪を束ね髭を整えた男がロビーに現れた。「コーヒーをお出ししましょうか?」と尋ねると男は頷きソファに腰を落とした。
「あの部屋の窓にはカーテンを付けちゃだめだ、必ず毎朝生まれたての陽の光を入れなければ。そうしたら晩には死んだ者にもう一度会える。」
コーヒーを啜った口がそう言った。


 週刊誌を見下ろすために伸びきった首の皮に冷気を感じた。振り向くと、「会いたい人はいるか?」ともう見慣れた髭面だ。「合わせる顔がないので。」と男に答えた。男はあの日からこのホテルによく来るようになり、よく同じ質問をした。男が泊まった部屋を言われたとおりにしておくと、あの部屋に客が泊まるようになった。そして男の言葉の意味をだんだんと知るようになった。しかし私の答えは言葉は変われど変わらなかった。
「私には感謝をする相手はいない」
そう言ったのは泣きはらした瞼をした花嫁が宿泊した翌日だ。
「私には責めることもできない」
そう言ったのは廊下の染みを落とし終わった午後だった。
ロビーに飾った絵を撫でながら「私には会いたくないだろう」と言った時もあった気がする。
あの男に、今夜あの部屋に小さなお客様が来るけど扉は開けてやらないでくれ、と頼まれた時にその理由を尋ねると「今夜は灯りが無いからね」と答えて消えた。あの記者が泊まった日だった。

 週刊誌をまとめて雑にゴミ袋に入れた。「良かったですね、書かれてないみたいですよ。あの記者の会いたい人を部屋に入れなかったおかげですかね?」と尋ねると、「君もあの部屋に泊まるといいよ」と言い、いや、と即座に首を振る私に「大丈夫だから」と男はたたみかけた。

 カーテンのない窓から見える雪だけが明るかった。部屋の明かりは点けない。窓のそばの椅子でくつろぎ部屋を見渡す。多少暗闇に目が慣れても人影くらいしか認識できないだろう。部屋のドアが開く音がした、「来ないでくれ」と目を伏せると「大丈夫だから」とさっきと同じセリフが返ってきた。「この時間は希望がなければ灯りが無いんだよ、祈りは煌々としている、そして朝陽は無常だ」と、コーヒーを手渡しながら男は言った。雪の降る音が聴こえそうな静寂が続いた。

「電話をもらったんだ、旧友から。彼が病気で亡くなる数日前だった。ホテルを開業しようか相談をしていたんだ。彼はホテルマンとして勤めていた頃の同僚だったから。彼は最後まで病気のこと言わなかった。私も最近どうだ?なんてわざわざ聞かなかった」
私は一息で静寂を切った。男の吐く息の音がした。
「私が聞くべきだった。彼の闘病生活と訃報を人伝に聞いた時もせめて御家族に連絡を、せめて墓に手を合わせに行くべきだった、今からでも。でも行けていない、、、ずっと彼が話さなかった理由を考えている。」
乾いた口に水分を流した。男は何も言わなかったし、何も言わないだろうと思っていた。この男には出会った時からすべてを見透かされている気がする。傾けたコップが空になっていたことに気付いて、
「もういいでしょう?下で温かい飲み物を飲みましょう、ほら」と立ち上がった。

ロビーに戻りながら、「同じ人に何度も会うことはできるんですか?」と尋ねた。「できる、でも重ねるごとに朝陽が毒となって最後は目覚めない」と男が冷たく微笑んだ。滅多に笑うことのない男の微笑みは私をフリーズさせて「冗談だよ」とまた微笑んだ。頭の中にはさっき読んだ週刊誌の見出しがこびりついて離れてくれない。「それに君は大丈夫だから」そう言って男は私の前を歩いて行った。



それは不思議なホテルの一室の物語
カーテンが付いていない東向きの窓
ツインルームだが一人でしか泊まれない
あの世に渡った大切な人と
一夜限りの再会ができるスイートルーム

彼は誰時のスイートルームで貴方に二度目のお別れを  
プロローグ




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