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マーガレット・アトウッド『誓願』鴻巣友希子訳(早川書房)

『誓願』(原題はThe Testaments)という日本語の題名がなじみにくいのが残念だが、文句のつけようがない面白い小説であっという間に読んだ。これもすぐにドラマ化されそうだ。

『侍女の物語』ではギレアデ国の内部に視点があって、読者もその中で状況が俯瞰できず、閉塞感やら不安を感じながら読んだのだが(そのため非常にスリリングだったが)、『誓願』は一転してギレアデを中だけでなく外からも見る視線があり、この国の周辺の国々(特にカナダ)の様子もわかる。ギレアデ国の末期らしくて、腐敗が横行しており、特に男性支配層がひどい。

登場人物は3人で交代で語り手となるのだが、その中でも若いジェイド(ニコール)が元気いっぱいで微笑ましい。女性の中で一番の権力者であるリディア小母も、どうやってギレアデ国に拉致され、鍛えられて今の地位についてかがわかってくる。あとひとりはギレアデで生まれ育った若い娘。ギレアデの女たちは相変わらずの男性支配の社会で、虐げられて苦しむが、前作よりもずっと人間的に描かれているし、彼女らは妥協して従っているものの、けっして洗脳はされていない。彼女らの反抗心と絆がこれからの希望となっている。シスターフッドに期待するのはいかにもアトウッドらしい。(ただ彼女は他の作品を読んでも、ちょっと女性に期待しすぎじゃないかという気もする。あと男女二元論的なのも気になる。)

前作と同様に、全体主義から脱するには言葉が大事。女性が言葉を取り戻すことがこの物語の核にある。言葉は考えること、知性につながるものだ。司令官の妻になるための教育を受けてきたアグネスが、小母になるために文字を覚える始める。小説全体に聖書を始め、いろいろな有名なフレーズのアリュージョンがあるのも楽しい。(たぶんわかる人には楽しいんだと思う。わたしはあんまりわからなかったけど。)

解説にもあったが、首をつる場面が多い。それは彼女の祖先の女性が魔女の疑いをかけられて、首つりの刑になったが死には至らなかったことが背景にあるという。それはたいへんな祖先を持ったものだ。首つりになって死にかけても生き返る女、それがアトウッドの生涯のモチーフなのかもしれない。

最後は前作同様に歴史学の学会の場面で終わる。設定は2197年というのに主催する大学の学長がやっと女性になったと話題になっている。エクスカーションの話が出たり、いまとまったく変わらない様子だ。(いったいこの時代に大学がいまと同じようにやっていけているとは思えないのだが。)そして前作同様に、女たちが命をかけて行動していた話はここではもう完全な過去となり、なごやかな雰囲気の中で研究発表される。現在の彼らの社会とは何のつながりもないように論じられる皮肉な終わり方。だが最後の像の話が紹介されるとき、読者はこれまで体験してきた小説世界をもう一度懐かしく思い出すことになる。



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