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「逃亡者」著・中村文則 ―平和ではない世界を訴え続ける作家

戦争が起こる今だからこそ

2022年が明けて、まさか世界がこのような情勢になるとは想像していなかった。ロシアとウクライナのことなど誰も予想していない2022年1月4日、青木理さんのポッドキャストのラジオに、作家の中村文則さんがゲスト出演された。その時中村さんは、「世界はどんどん悪い方向へ行く」「日本と一番近い社会はロシアだと感じている」と言っていたのが印象的だった。ロシアと日本共通して言えるのが、何か大きな力のあるものに依存したい、守ってもらいたいという「マゾヒズム」が内包されている国民性だ、と語っていた。

日本の戦争の歴史を見ると、お国のために、天皇陛下のために、身をささげるという犠牲になった人々は、そのような内面になるようにある種洗脳させられていたという悲しい事実は忘れてはいけない。
「逃亡者」は、戦争やキリシタン迫害などの悲しい史実にも基づくある登場人物のフィクションだ。今、私たちの隣国が起こす戦争について考えるという意味でも、ぜひ読んでほしい小説だと思う。

中村文則さんの代表作といえば、初期作品では、文壇に鮮烈な印象を残したデビュー作「銃」、芥川賞を受賞した「土の中の子供」がある。ノワール色を前面に押し出してきた中期以降では、世界に中村ノワール純文学を知らしめた「掏摸」、宗教にすがる人間と悪をテロリズムを絡めて描ききった「教団X」などとても多彩だ。

「逃亡者」は「掏摸」をさらに進化させた壮大な物語

「逃亡者」は、緊迫感と疾走感、スリリングな展開という特徴からは「掏摸」に近いかもしれない。冒頭もいきなりクライマックスかというシーンからはじまる。いきなり池に突き落とされて恍惚の中、中村ノワール池に没入してしまう。

「逃亡者」と「掏摸」との異なる点をあえてあげると、「掏摸」は、スリ師の主人公が世界を動かす謎の組織に巻き込まれ、命をかけた逃亡劇をする。主人公とその中枢にいる木崎との関係性は「旧約聖書」をモチーフにしており、登場人物の内面まで深く抉る、エンターテイメント性の高い純文学だ。

「逃亡者」は、主人公山峰がある戦時下のトランペットを手にしたことからはじまるのだが、そこには深いいきさつが語られる。そしてなぜか命を狙われる。狙う組織はひとつとは限らず、山峰は数珠繋ぎのように出来事に翻弄されていく。逃亡をしてゆくなかで、江戸時代、第2次世界大戦、そして現代までの歴史が語られ、トランペットを手にすることになった彼女の恋人との出会いまでもが、まるで決められていたかのように合致していく。山峰と恋人アインの周辺の登場人物、またトランペット自身の内面や、関わる人の歴史までもがそれぞれに複雑に絡み合う。過去、現在、そして未来も彷彿とされる壮大な物語だ。

「公正世界仮説」をテーマにした物語

中村文則は、人間が最も忘れてはいけない、しかし最も忘れてしまいたいものを忘れるのではなく、また、歴史の遺物にするのではなく、人間が現代を生きていくためにしっかりと見据えろ、と言うメッセージをこの小説に込めているのではないかと思う。

日本人は、昨今、ロシアとウクライナの戦争を目の当たりにするまで、世界は平和だとずっと思い込んで来たのではないだろうか。100年前に起こった戦争の当事者にもかかわらず。戦争とは、歴史で習う出来事の一つにすぎず、まるで物語のようにも思える。
中村文則は、そのような平和ボケした世界(特に日本人)にずっと警鐘を鳴らしてきた。この小説でも、「公正世界仮説」という思想をテーマにしている。

「公正世界仮説」とは、人々は基本的に、この世界は公正で、安全であってほしいと願うという心理学用語だ。

理不尽に、危険が存在する社会ではない方がいい。正義は勝ち、努力は報われ、悪をすればスッキリ罰せられる社会の方がいい。広く広がる物語は、ほぼこの「公正世界仮説」に沿うよう作られている。
しかし「公正世界仮説」が行きすぎると、弱者批判に転じて、その被害者に落ち度を疑う。社会や世界の問題を改善するのではなく、個人が改善されるべきと言う考え方に陥る。 (「逃亡者」より抜粋)

公正世界仮説の物語とは、つまり、「ハッピーエンドで、がんばった人がその分報われ、がんばらなかった人、悪いことをした人がしっかりと罰をうける」系のお話。つまり、近頃ちまたに溢れるほとんどの物語を指す。

物語に、自分の思想を実は決められてはいないだろうか?この世は完全で、その完全な世界に順応できない私たちが悪い、失敗作だと考えてはいないだろうか。そのような失敗した人間の方が悪いのだろうか。そんな、今まで考えたことのないことに気が付かされた。

中村文則の根底にあるもの


中村文則は、フィクションである小説の中でも、例えば殺人をおかした人間を、悪者と簡単には糾弾しない。そこに至るまでの、その人生のあるがままの物語、深層の内面をただ語らせる。刃物で切り裂くように、拳や武器で、殴って皮膚を破裂させるように、はたまた、銃で全身の血を吹き出させるように。

中村文則の作風の根底にあるもののひとつに、小説家としてデビューする前に心を撃たれたという、アンドレ・ジッドの「背徳者」の序文がある。

「わたしはこの書を以て訴状とも弁疏ともしようとは思わなかったのである」
「要するに、わたしは何物をも証明しようと思わなかった。わたしの意はよく描くことと、おのれの描いたものをはっきりさせることに在る」
(「背徳者」より抜粋)

中村文則は、ただそこに書かれてある人間の、その人自身も恐ろしくて閉ざしてしまうほどの内面を、恐れることなくえぐってわたしたち読者に提示してくれる。読者は、他人の内面に触れふことで人間や、社会を理解する。

中村文則の作品を読むと、しばらく登場人物の内面に心が持っていかれて、離れられない。そして、ふと本を閉じて目をあげ、世界を見回すと、彼らの人生を無駄にしない生き方を、自分であるなら、どう生きるかを考えることが、自分の生きる渇望になる。自分は世界の一人ではなく、自分が、自分という名の世界であると強く思える。

「逃亡者」は、多様な物語である。そして登場人物のどの物語も、全て公正世界仮説に合致しない。主人公山峰とその恋人アインの悲恋の物語でもある。トランペットの演奏家鈴木の数奇な人生と婚約者の愛の物語でもある。
あるいは見方を変えると、戦争の時代、望んで人間という愚かな生き物に利用されたトランペットの物語なのかもしれない。

山峰とアインとの出会いを繋げるものは、二人の先祖の歴史の中にある。世界で二つしかない核被爆都市、長崎だ。長崎は、政府や幕府によりキリシタンが残虐されてきた暗い歴史をもつ。過去に何度も残虐され、根絶やしにされても、人々が信仰を捨てなかった美しい祈りの街に、核爆弾が落とされたという、その世界の矛盾。その中の男女の物語を、過去も未来も、悲劇も惨劇もありのままに書くことで、読者に「どう考える」と強く投げ掛ける。

現在、世界で最も重要な出来事が、ロシアとウクライナの戦争である。戦争の裏にあるもの、なぜこのような破壊と暴力が世界からなくならないのか。それについては、中村文則がまるで、預言書のように述べてきた。侵略、洗脳、拷問、強姦、破壊、無差別殺戮……。第ニ次世界大戦時、侵略する側であった日本が、本当は何をしてきたか。敵地に放り込まれた日本兵がどのように発狂していったかも、トランペット奏者鈴木の人生を知ることで考えさせられる。現在、実際に、同じ殺戮を隣の国が起こしている。
中村文則の文学は、今だからこそ広く読まれるべきだ。

中村文則は、特に「教団X」からは物理学や量子力学を作品のモチーフにしている。命とは、人間とは地球を構成する同じ粒子からできている。
「逃亡者」の中にも、最新の物理学に対する記述がある。
「この世界の本質は、3次元ではなく、すべて2次元のホログラムのようなものだと。すべては、遥か遠く離れた2次元の面に、コード化されている」
(「逃亡者」より抜粋)
破壊や暴力、戦争が繰り返し行われるこの世界において、すべての出来事はこのコードで記されている。だとすれば、運命とは何か。私たちは、どこへ向かおうとしているのか。

物語の登場人物たちも、歴史を越えて運命的に出会う。彼らを出会わせる力は何か。それが神の力であるとは、この小説を読んでは決して言えないし、言ってはならないと思う。しかし、惹かれあった二人のそれぞれのコードが、世界で唯一合致した、引き寄せあって整合しあった、という意味では、矛盾のような奇跡も感じるし、そこは小説ならではの醍醐味だなと思う。

「愛」とはなにものかと思う。それのもつエネルギーの大きさと、温かさは、どこから来るんだろう。汲み上げても汲み上げても、枯れることのない泉のような抱擁の熱は。神とは何かと訪ねられたら、彼らに生まれた「愛」そのものが「神」であるのだと思いたい。

人は、ハッピーエンドに夢を見て、希望を見いだす。特に近年、資本主義が作り上げたこの世界は、幸福のために、世界がある。そこに、不幸を彷彿とさせる異物があれば排除する。見ないようにする。不幸な人間たちは、そのものに原因があると見なす。そのものたちごと、排除する。そのような考え方がはびこる世界がどうなるか。さあ、考える時が、今、来ているのでは、と思わせる小説だ。

以下、中村文則さんオタクの率直な(愚劣なネタバレ)感想

本当に壮大すぎ。中村文学の真骨頂って、まさにこのこと。
まじで読み終えてから数日ずっと胸が震えてる。
まじで読んでください。
山峰とアインがめちゃ好きすぎる。私は、あなたたちの恋に出会えて本当に幸せでした。ありがとう。とても、愛おしく、狂おしく、苦しいです。もし、私に恋人がいたら、今夜は手を離したくない。アインの可愛らしさは、私の目標・・・私のこれからの生きる糧。

主人公の山峰は、文則さんご本人に非常に近いですね(あっ、それはイメージ的なかっこいい方の)。「教団X」がヒットしてから幅広い読者が増えて、それで、文則さん自身も政治発言も増えてきたりして、逆に賛成を受けたり揶揄されたり、アンチも増えたりもしてる(そもそも、オチが分かりやすい公正世界仮説的な物語が、三度の飯より大好きな草食読者には、何やねんこれ。ってなるのが中村文学なのである)。
そういう、著書についての大変だったんだろうな~的な経験を、山峰もしてきてる。その鬱屈とした文則さん自身の思いとか不満、暗さは主人公の山峰に投影されている。過去のエッセイを見てても、文則さん自身のルーツが山峰に重なることが多いし。長崎にルーツがある、幼少期幸せではなかった、などなど。あー、めちゃつらい。抱きしめていいですか。

アインというキャラクターは、これまでの中村文則作品にあまりないイメージだ。知的でエロくて超可愛く、あまり陰のない純粋な女の子。まるでアニメキャラみたいだなーという、これ世界中好きでしょ?ってキャラ設定にしたというところは、あえて狙っているのではと思う。つまり、公正世界仮説的なものを打破するというか。

「掏摸」の木崎的なキャラクターが出てくるのも、ファンには嬉しい。ラストの主人公と「B」の対峙シーンは、やばい。どうしても無理といってもここだけは読んでって感じ(そこかい)。なんかね、悪と正義の対峙シーンはある意味セックスだっていうけれど、まあ、山峰は正義でもなんでもないけれど、ある意味この人たちの対峙もセックスですよ。ほんと、ここは映画で見たい。「B」ってもしかして、木崎?と最初は思ったくらい。どうやら、国家的な、政治的な人物の側近的な、人物のようだが。なんてやばい人物なのかしら。ほんと怖すぎ。

でた、小説家のN氏。ここでは、非常にシリアスなキャラで物語の締めを演出。私は、ここ見るまで、山峰と文則さんを勝手に一体化(てか文則さん私の中でどんだけイケメン)してたので、ここでN氏が出てきて、「は?」ってなりました。え、N氏って、あのクマがひどくてコンドーム出てくるエロエロ作家の方ですよね。と一瞬だけ思いましたが、戻しました。そして、N氏と編集さんが最終的に、唯一というか唯二で山峰とアインの物語を救ってくれる形となって、ありがとう、と思いました。
山峰の人生もどうなってるかという余韻の残る劇中もあるし、秀逸でした。

これって、海外翻訳まだですか?早く翻訳されたらいいのにね。海外のファンにも早く読んでもらいたいですね。日本の戦争文学という意味でも、評判になると思う。
それから、次に中村作品を映画化するなら「逃亡者」がいいな。
4人の男女の悲恋を軸にしつつ、実は社会派バチバチの熱々の、斬新な映画になりそう。日本アカデミー賞に作品がノミネートされるのが目に浮かぶ。
(ほくほく)しかし、監督がどうするか。テーマ的にも日本人に作ってもらいたいが。そういうエンタメ性という意味でも、「逃亡者」は最も見やすい最近の中村文学ではなかろうか。
「教団X」を引き合いに出すと、もちろん中村文学の傑作なのだが、響く人には人生観を変えるほどの衝撃なのに、斬新で難しすぎるのでわからない馬鹿には全くわからず、わからない輩が騒ぐという問題が起こった。結果、逆に駄作扱いされてしまったのは、非常に不幸であった。テーマのみならず、「わかりやすさ」についても、「これまでの作品を越え」てくるところが、文則さんのストイックに極めてくるところ。ほんとに好きです。


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