レンアイ漫画家 第11話 最終回レビュー 2人のカタワレと純粋な1人に愛をこめて

ああ・・・レンアイ漫画家、本当に面白かったなあ!!
ゴールデン帯ドラマで、こんなにはまったドラマは久しぶり。私にとっては、推し俳優の鈴木亮平さんが主演というのも尊かったが、期待以上にストーリーやテンポ、キャラクターの立ち方、伏線回収などが素晴らしかった。視聴率があまり取れなかったというのは、3話までは刈部さんの良さがあまり見えなかったからだと思う。しかしトータルで見ると逆にその設定があったから最後の刈部さんに多幸感や萌えを感じるともいえる。真のラブストーリー好き、演技派の俳優のラブストーリーが見たいという玄人のためのドラマだったと思う。

キャラクターたちがみんなコミカルで憎めなくて、愛しさがいっぱい。お話が終わってしまったのは寂しいけれど、大満足の最終回が見られたので、意外とロスという気分ではない。これからも何度も見続けていくドラマだ。エネルギーチャージしたいときには、刈部さんとあいこと一緒に恋をしよう。ドキドキしながら幸せな気持ちで、明日もがんばれるはず。
ああ、だから、円盤化!!ぜひ、よろしくお願いいします!!

(鈴木亮平さんと吉岡里帆さんという2人の俳優さんの素晴らしさは、ここで語り尽くすと途方もなく長くなるので、またいつか改めてまとめてみます。)


最高に感情を揺さぶられた最終話

「漫画は読者の感情を揺さぶる」

刈部さんの漫画のように、私も「レンアイ漫画家」に感情を揺さぶられまくった。その最大が最終話だった。

「自分のことがわかっていたところで、先のことはわからないものだ」

シェークスピアの格言とともに始まる、変貌した刈部さんのかっこよすぎるルーティン。朝ラン、トレーディング、料理男子。異業種交流会なんて「マツコ会議」でしか私には見たことのない世界。「KB」と呼ばれ、人気者としてそんな世界にすんなりと存在する刈部さん。演じる鈴木亮平さんの他俳優にはない魅力、全身のハンサム感と清潔感、紳士感がたっぷり堪能できるスペシャル映像だった。亮平さんがこのドラマにオファーされた理由のひとつが、これか。引きこもりの陰キャなおじさんから、色気たっぷりキラッキラのハンサムパリピおじさんまで、ひとつの体で演じわけるその振り幅。

そんなKBの登場に、レンアイ漫画家はコメディだったと思い出す。先週の悲しい別れはなんだったんだ?っていう、軽いノリ。
バスクチーズケーキ、モッツァレラチーズゲーム。なんでチーズばっかやねんという軽い突っ込みは禁じえないまま。

それにしても、モッツァレラチーズゲームとは。
刈部さんではないが、調べたくなった。さすがに辞書にはのっていないだろうとネット検索したら、ウィキペディアが存在していた。

ふむふむ。モッツァレラチーズゲームとは、ハイテンションゲームの一種らしい。「モッツァレラチーズ」と一人が言いはじめ、次の人が同じ言葉をどんどん回していくというただそれだけのものだが、ルールがあるのでゲームとされる。そのルールとは、必ず前の人よりもテンションを上げて言わなければならないということ。そのジャッジをするのは周囲の人、観客である。噂によると「人格を破壊する闇のゲーム」とも言われているそうだ。自分のテンションなんてある程度決まっているからな。なんて、恐ろしい。KBの「モッツァレラチーズ」はいきなりハイテンションだった。あれを越えるテンションは、やばい。次の人の人格崩壊を心配してしまう。そんなはじけた演出だったが、一番はじけてたのは演じていたご本人では。いつも集まる店の支配人に

「集まってる?・・・今日もまた、騒いじゃうけど(笑)」

とか、異業種交流という名の合コンメンバーに

「入れちゃおっか。ピンクの。いや、いつも入れてるから(笑)」などと、もしかするとアドリブなのかとも思わせるような絶妙な台詞まわしもいい。亮平さんご自身のユーモアセンスがKB姿にはところどころ光っている。動画のナレ撮りにも、面白そうな笑顔が浮かんでしまう。

刈部ブラザーズに関しては、3人ががっつり共演することが本編ではあまりなかったので、その最終回だからこそのスペシャル感はファン感涙だった。

刈部さんがKBになった経緯を、二階堂と早瀬が回想するシーン。あの場面は面白すぎた。二階堂に、右足と左足の出し方から教えてもらう刈部さん。異業種交流会のことを急いで知りたすぎて、早瀬のカクテルを豪快にぶちまける刈部さん。あのカクテルの飛び方は天才。あれは亮平さんというよりも、竜聖涼くんが天才なのかも。


KBとあいこの再会のドキドキ感

そんなKB(刈部さん)が、あいこと久しぶりに対面するシーンは、先週の不条理で悲しい別れもあって本当にドキドキした。コメディから一転、ピリッとはりつめる。

KBに変貌した後の刈部さんの目は、高みに到達した人間の自信からくるものなのかとても色っぽかったけど、違和感もたっぷりあった。何かを悟っているかのような、あきらめているかのような。その刈部さんの目の表情が、路上であいこと口論するシーンで、一瞬に変わった。

あいこが「逃げるんですか!」と感情をぶつけたあとだ。

「逃げてなんかないだろう!」とKBが声を荒げた瞬間、感情的な刈部さんがその目にもどってきた。そのときの真意は、あとでわかる。完璧に見えた刈部さんの怒りの琴線に触れたものが何だったのか。あとで、なんて美しい回収なんだろうと感動する。切実なあいこの表情もいいし、刈部さんのもどかしい怒りの表現もいい。あいこは刈部さんを感情的にさせる唯一無二の存在、ということがよく表現されているシーンだ。


二階堂が最後に決めた

そのあとのドラマの持っていき方は、あげて落す、まるでジェットコースター。レンに書き置きをして出て行く刈部さんは、レンの心に影をおとしたし、先週の悲しい記憶も呼び起こさせた。

でも、ここでかっこよく決めたのが、二階堂だった。心配するレンに「留守にするってことは、帰ってくるってことだろう」と優しく声をかける。レンが安心することで、私たちも安心した。二階堂の「優しさ」に視聴者全員が救われ、最終回にして株が上がったのが嬉しかった。


あいこへの「依頼」

向後さんからあいこへ「依頼したいことがある」と告げられる展開は、第一話のダメ男ホイホイのあいこを思い出す。しかし、海辺にやってきたのは、KBからひきこもりの漫画家の姿に戻った刈部さんだった。

「依頼したのは俺だ」という告白も、最初のテーマの「擬似恋愛」にかえって行く。そう、2人の出会いは、嘘をはじめることから始まった。

「嘘もつき続ければ、真実になる」という刈部さんの言葉とともに。

そのあとのしゃべりすぎる刈部さんは、宝物のように尊かった。ここは松田裕子さんの脚本が光る。しっかりとコメディの主役を通し続ける刈部さんの台詞は最高である。

「一年前、俺は気付いた。あのとき、漫画をかけなくなったのは、まともな幸せを手に入れたからじゃない。・・・俺が、天才だからだ」

ここで、「え??」となる。あいこと一緒に、私らも声が出る。シリアスなシーンになりそうな展開なのに、無意識にユーモラスな刈部さんにハラハラがとまらない。

刈部さんが気付いたこととは、24時間漫画のことを考えてしまうほど自分は天才で、その漫画家のルーティンが確立しているため、レンアイしたことでそのルーティンが崩れ、漫画が描けなくなったということ。天才なのか不器用なのかわからない理論を自信を持って強調する刈部さんと、「はあ」という顔で見ているあいこが面白い。

そんな自らに課したのは、24時間漫画生活のルーティンを変えることだった。しかし、それは並大抵ではなかった。一切漫画を生活に入れぬよう、努力するのは、苦行そのものであったと。それが、朝ラン、筋トレ、トレーディング、パリピな生活であった。刈部さんにとってパリピ生活は、「あいこを忘れるための自暴自棄な行動」でも、「漫画を描けなくなった自分からの逃避」でもなかったのだ。

KBのときの悟った目を思い出す。まるで欲を絶とうとする修行僧。「苦行」がパリピ生活だなんて、刈部さんらしいというか。まるで実際の本人とは真逆の生活なのだから納得だ。まさに天才と不器用は紙一重。刈部さんが自ら苦行を課したのも、自分を建設的に変えるための成長した意思からくる行動であった。自らに課した苦行を、一生懸命に叫びながらがんばる姿は、尊さしかない。ふと漫画のネタを思いついた時のほころんだ表情から違う!…と頭を抱える姿は、いとおしくてたまらない。

私は原作はあえてまだ読んでいないので、どこまで原作どおりなのかはわからないが、刈部さんの純粋で稀有な発想を「天才であるがゆえに」という簡単な台詞に要約してひろげてしまう松田裕子さんの脚本力はすごいと感心してしまう。


ドラマに一貫して出てくる「対等」という言葉

こうして苦行を乗り越え、漫画以外のことを考えられるステージにまで到達し、「現実と虚構の世界のバランスをとる」ことに成功した刈部さんだったが・・・

漫画が描けるようになったかというと、逆に描けなくなってしまった。

ここで、ドラマのテーマのひとつ「対等」という言葉が出てくる。

刈部さんは気が付いた。
漫画を描くことは、刈部さんにとっては唯一の社会と「対等」になる手段だったと。レンアイも、人間との暖かい関係を気付くことも、刈部さんは必要としない。漫画の中でそれを描くだけで十分だったからだ。しかし、漫画以外の生活を手に入れたことで、社会の中で自分の生きる場所を見つけてしまった。そのとき「社会と対等になった」と刈部さんは思えたのだった。

刈部さんはずっと以前、たぶん漫画を描く前から、心のなかでは実は社会や人と対等になりたい、と切望していたのだろう。純や美波に悪気なく裏切られたことも関係しているのだろう。

「もはや漫画を描く意味はないのかもしれない、と思うに至ってしまった」という言葉と刈部さんの表情は印象的だ。

凡人なら「それはそれで、いいではないか」と言うのだろう。社会というのは、絶対で普遍的なものだ。普遍の社会に協調性を見出し、生きるすべを見つけたというのなら、漫画を描く必要性がなくなってもおかしくはない、と。

パリピ生活をする刈部さんは確かにかっこよかった。成功した男の自信、誇りと余裕に満ちているようだった。しかし、そこに本当の心はない。楽しそうには見えても、まるで演じているだけだった。それを、あいこは「着ぐるみですよ!」と言った。社会と対等になり漫画を描く意味が無くなった刈部さんの心に浮かんでいたのは、むなしさだった。

「だが、あの日。君と再会した夜。なぜか、描きたいと思った。しれっと編集者になっている君や、相変わらず酒癖の悪い君や、背中で眠る君や・・・俺に悪態をつく、その憎たらしい顔を見て、なぜか、なぜか、どうしようもなく、漫画が描きたいと思った!!」

あいこと再会して、「逃げてなんかないだろう!」と声を荒げたとき、刈部さんはその着ぐるみを脱ぐことができた。鬼瓦に戻った刈部さんらしい顔が、脳裏に浮かぶ。
刈部さんにとって漫画を描くということは、本当は「対等になる手段」などではない。
感情を表現する喜び、刈部さんの生きている意味なのだ。

漫画を描きたいと思えた。そのインスピレーションは、最初から今もずっとあいこだった。

「・・・あのころ、昔、君が初めて漫画をかかせてくれた、あの・・・!

ああ!違う!だから、俺はしゃべりすぎなんだ、いつも!!」

あいこの前になるとつい、しゃべりすぎてしまう。あいこの前でだけ、自分を許してしまう。甘えて甘えさせる関係になれる、わけもなく。刈部さんの細やかで熱い心を表現する、鈴木亮平さんの演技力が素晴らしすぎるポイントだ。


「銀河天使」最終章への第一話

そしてあいこに差し出した「銀河天使」新章の原稿。

漫画を読むあいこを見つめる刈部さんはもう、漫画だけに全ての人生をささげた男ではない。愛する人との人生も、漫画家としての人生も、全てを調和する新たなステージにたどり着いた真の至高の天才。

「君に依頼したい。俺とレンアイしてくれ。擬似恋愛じゃなくて、ホントの。これからは君とレンアイして、漫画も描いて、そういう人生を生きて行きたい」

あっ・・・すみません。ただ台詞を書き起こしたいだけの衝動です。もう、素晴らしかった。視聴者はずっとこんな言葉をまっていた。そして。

「私もです。私も、独りで生きていけるようにがんばってきました。いつか、刈部さんとレンアイできる日がきたら、漫画のじゃまをしない私でいたかったから」

あいこの言葉が心にぐっときた。
そうだったのか。本当に素敵な人だ。

正直、一年前の突然の別れはひどかった。いくら刈部さんのためとはいえ、あんなりすんなり去ることができるだろうか?刈部さんにずいぶん肩入れしているせいか、あいこはなんでも「自分のせい」が過ぎるなあと、少し憤っていた。でもこの言葉で全部あいこを許せた。あいこがいつも刈部さんに持つ気持が「献身」であることを思い知らされた。芯の強いあいこキャラが、確固としてぶれていなかったことに感動した。やっぱり刈部さんとあいこはカタワレ同士なんだよなあ。

レンがネックレスを大切に保管して、あいこに渡すというエピソードは、王道の展開だったが、とても良いと思った。
二人の思いが通じ合うときに、レンの存在はなくてはならない。それを印象付けてくれたから。3人がいつも一緒。それがいい。

おかげで、刈部さんは今日があいこの誕生日だったと思い出すことができた。刈部さんは漫画のことで夢中ですっかり忘れていて、また「俺は…!」となるのだが、そこは天才の刈部さんが戻ってきてくれたことも示してくれて嬉しい。あいこはきっとそんなこと、これからの人生においても気にも留めない人なのだろうから、それでいいのである。

用意していたきめ台詞が聞きたすぎて「きかせろ!」とかっこよく迫るあいこと、うっ・・・となり、素直に口走る刈部さんという演出もいい。まるで恋愛漫画のヒロインが逆転しているよう。


「たった一人の相方」の意味

「おれは、君のたったひとりの人生の相方でいたい」

これも、うっとりする告白だった。

お互いを「対等」と認め合えるからこそ、「相方」だといえる。相手の役にたつ、インスピレーションを与える、それだけじゃなく、相手のことを想う、相手を支える。手を取り合う。お互いに甘えあえる。

上下も主従も、支配もない。結婚生活というのは、どんどん無意識に力の奪い合いになっていくものだ。でも、このドラマは「対等」「相方」を意識する。そこが素晴らしい点だとおもう。

刈部さんが力強くあいこを抱き上げるのは、あいこへの尊敬でもあると思うし、あいこが刈部さんの頭をぽんぽんすることも、以前の「キュン」の回収と同時に、あいこが刈部さんと対等であるという証でもある気がしている。

そのときに、あいこがなんて言ったのか。もしかして。

「私の人生の相方は、あなたです」

なのかもしれない。あいこと刈部さんのわちゃわちゃで終わるラストシーンはとてもほっこりしてしまう。お決まりの台詞「断固、拒否する!」も出たし。刈部さんとあいこのこれからも想像できる。たまに喧嘩しながらも、対等に仲良くお互いを尊敬しあっていくのだろう。続編が見たくなる終わり方というのは、最高にいいドラマにしか感じない感情だ。

もっとたくさんの人に見て欲しい「レンアイ漫画家」

このドラマをきっかけに鈴木亮平さんのファンになったという人が多いらしい。芸達者で演技派で肉体派。日本を代表する俳優さんとはわかってはいたけれど、はじめて本気で人に恋をするという繊細な表情、しぐさにみんなときめいてしまったから。視聴率が取れなかった冒頭の迫力ある刈部さんから、徐々にあいこに引かれていく美しい過程をゆっくり見て欲しい。

また、私は新たに吉岡里帆さんという女優さんがとても好きになった。これまでのあざといを武器にした演技は、そういうものを彼女から見たい大人の事情があったのだと思った。彼女の感受性は同じ世代の女優さんの群を抜いていると思った。これからの吉岡さんの作品が本当に楽しみだ。

レンアイ漫画家- FODプレミアム (全話配信中)


レンアイ漫画家、本当にありがとう。

令和版美女と野獣。このドラマに出会えて、人はどんなふうにも変われると思った。その原動力が愛で、必要なのは心。このドラマが心の琴線にふれて、すっかり感動できてしまった自分すらもほめたくなるくらい、暖かくいとおしいドラマだった。本当に、出会えてよかったです!

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