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写真展「border」徹底ガイドvol.2 /ステートメントについて

◼️展示テーマ解説

私の写真のテーマは「border」である。これまでに「border | korea」という作品を作って写真集を出したり個展を開いたりしてきたが、それ以外のborderにも関心を寄せ、世界各地で撮影を続けてきた。音声ガイドを目指すこのnote、ようやく会場へ…。

 「新進作家展」の受付で作品リストを受け取り、岩根愛さんの壮大な作品「あたらしい川」を体感したら(それだけでも十分な鑑賞体験ですが)、次の部屋に向かう。そこに展開しているのが私の展示「border」(と赤鹿麻耶さんの作品)である。
菱田雄介 | border
というタイトルの下には、作家による作品解説がある。

写真展01

この写真では内容を読むことはできないので、ここで改めて書くこととする。

地図上に引かれた一本の線は、人間の運命をどう変えるのか。

 人類が文化を手にした時、まず必要としたものは地図だった。地図は自らの生きる領域を明確にし、進むべき場所を指し示した。人は、文字よりも前に地図を発明したのだ。自然の地形によって決められていたはずの境界(=border)は、
文明の発展とともになんども書き換えられることとなった。
人類の歴史は、borderの引き直しの繰り返しでもあった。
 いずれにせよそこで生きる人々の生活などはお構い無しに、ある日誰かがborderを引く。

今、私たちが常識だと思っている物事は全てこのborderの内側にしか存在しない。言語、宗教、価値観。ひとたびborderを越えると、多数派だと思っていたものが少数派となり、当たり前だと思っていたものが非常識とされる世界が待っている。
 同じ歴史を共有してきた民族であっても、ひとたびborderが引かれれば、お互いの価値観は遠ざかっていく。borderのどちら側に生きるかは偶然にすぎない。朝鮮半島に引かれた38度線というborderは、疲れ切った二人の大佐が雑誌付録の地図を眺めながら提案したアイデアの一つに過ぎなかった。しかし一度地図上に線が引かれてしまえば、両者は全く異なった存在となっていく。borderを引くことによって何が失われ、何が失われなかったのか。カザフスタンで食卓に並ぶキムチの中に、一つの答えがあるのかもしれない。

 ここまでが前半。大テーマである「border」について書いている。次に書いているのは、私がなぜ写真を撮るのか、について。

「現在進行形で動く世界史を捉えたい」と考え、写真を撮るようになった。実際の現場に立つと、報道陣のカメラが集中するその傍には、ごく当たり前の日常を過ごす人々の営みがある。その何気ない生活もまた歴史だと気づき、私はそちらにカメラを向けた。そうして積み重なった写真が今回展示されている<border>である。

 今回の展示では、動画も大きな役割を担っている。なぜ動画を展示するのか。そこで撮られたものの意味とは何か?

写真が生まれた頃、人も風景も長時間カメラの前に立つすることを強いられた。今も見ることができる100年前の写真は、数十秒から数分間の時間の積み重ねである。今、4000分の1や8000秒の1でシャッターを切った時、過去の写真と同じような時間を切り取ることができるだろうか?
《30seconds》は、そうした問いかけから生まれた。カメラの前に立った被写体の細かな動き、まばたきや髪の毛の揺れ、息遣いも含めて記録したい。時の積み重ねが生み出した新たなポートレートだと考えている。

最後に、今年の春に撮影した作品について。

新型コロナの流行は、世界の孤立主義をより深めようとしている。21世紀はborderの時代となるだろう。地図上に引かれた一本の線の持つ意味を、これからも捉え続けていきたい。

 今、ここに書いた文章が現時点での「完成版」となる。会場のパネルに書かれている文章は一部で重複表現があり、一生懸命読んでくれている皆さんにはちょっと申し訳ない気持ちでいるのだが…。

 vol.2まで来て、まだ写真は1枚も紹介できていない。長くなってしまったので今回はここまで。次回からは写真についてのガイドを(いよいよ)していきたいと思う。



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