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写真展「border」徹底ガイドvol.6 /北海道というborder 国後を巡って

◼️#11 Kunashiri island 2007

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湖のほとりの小さな丘。秋の日差しの中、手をつなぐ父と娘。遠くには海が見えている。

タイトルを見てわかるように、この写真を撮影した場所は「国後島」。ロシアの人々は「Кунашир(=クナシル)」と呼ぶが、いずれにせよこの島の名前はアイヌ語に由来する。まさに日本とロシアがborderを巡って対立し、戦後75年が過ぎてもロシアによる実効支配が続いている北方領土の一つだ。

全長120キロ、幅24キロの国後島は、沖縄本島よりも一回り大きな島である。写真にの背後に映る湖は東佛湖(とうふつこ)と呼ばれ、明治期から缶詰工場を中心にして反映し、村には沢山の日本人が住んでいた。昭和6年(1931年)には大西洋無着陸横断飛行で知られるチャールズ・リンドバーグ夫妻がこの湖に不時着、一夜を過ごしたこともあった。

第二次世界大戦末期、ソ連の対日参戦により、北方四島はソ連軍によって占拠された。その後すぐにソ連軍人の家族が住むようになり、日本人とソ連人の奇妙な共同生活を経て1948年には日本人が島を追われ、今に至っている。現地の人に聞いたところ、スターリンは日本人の痕跡を全て消すため「ブルドーザーを使って墓石も海に沈めさせた」そうだ。(わずかな墓石は今も東佛湖畔などに残っている。)

生々しい現代史と政治の舞台でもあるこのborderの島。水と空気と太陽は、当時と変わらず輝いていた。

◼️#12 A View of Kunashiri, Hokkaido 2019

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北海道、中標津空港からレンタカーで走ること4時間あまり。野付半島の先端部までくると、カーナビには国後島の姿がはっきりと見えてくる。記念写真スポットを伝える看板によると、島まではわずか16kmとある。目の前に見えているのは日本人が越えることのできないborder。日本の地図では遥か択捉島の先に引かれている日露の境界線は、ロシアの地図によればこの場所に引かれている。

「地図上に一本の線が引かれることで、人間の運命はどう変わるのか」

それは決して遠い世界の話ではなく、日本人にとってもまた極めて身近な話なのだ。目の前のborderの向こうは、プーチン大統領が統治するロシアの支配下。話される言葉も、食べているものも、見ているものもまるで違う。
「北方領土問題」という言葉では伝えきれない何かが、そこにあるように感じた。

◼️#13 Salmon, Kunashiri island 2007

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秋になると、国後島にも、知床半島にも、それぞれの川を旅立ったサケたちが長い旅を終えて帰ってくる。全身の皮が剥け、ヒレをボロボロにしながらも必死で上流へ向かっていく。
国後島を故郷だと思うのは、その島に生まれたものであれば人も魚も変わらない。国後出身の日本人が帰島を果たせないまま高齢化していく一方、サケだけが力を振り絞って、故郷へ戻っていき、子孫を残して息絶える。
生きることと土地との関係性とは。

◼️#14 Kitchen, Kunashiri island 2007

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国後島を訪れた時、不意に訪れることになった人の家。午後の斜光を浴びて美しく輝く、洗い物。生活感溢れるこの台所と北海道の台所はどう違うのだろうか?

そこに在ったのは、モスクワから最も遠い島で暮らすロシア人の生活。

◼️#15 Kunashiri island 2007

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当時3歳だったリェーリャ。美しい金髪に青い瞳。父親は軍人としてこの島に駐留したが、その美しさが気に入って移住することを決めたという。母親はサハリンの大学に留学中とのこと。

数十キロ離れた海の向こうでは、日本の3歳児がアンパンマンを見ながら保育園に通っているだろう。リェーリャは父親の仕事に付き添って、大はしゃぎをしたり、突然泣き出したりしながら過ごしていた。彼女にとっての世界は、この島が全て。日本で会った沢山の国後島出身者と同じように、彼女にとっての故郷は国後島なのだ。北方領土返還と彼女の故郷。borderの問題は、現在進行形でこの日本に存在する。

◼️#16 Nemuro, Hokkaido 2019

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再び視点を日本に戻してみる。第二次世界大戦終結間近、スターリンは米大統領トルーマンに対し、北海道の東半分も求めたという。釧路から留萌を結ぶborder lineを引き、その北東部分をソ連領にしようとしていたというのだ。
すでに冷戦時代が始まろうとしていたことを踏まえ、トルーマンはスターリンのこの訴えに応じなかった。歴史にifは禁じ手だが、もしアメリカが日本降伏にソ連の手を(本格的に)借りねばならない状況であったのなら、スターリンのこの望みは叶えられていたのかもしれない。

雪深い土地で、海岸沿いに建つコンビニエンスストアは神々しい美しさを放つ。わずか数十キロの距離にある国後島。この土地がロシアに占拠されていたら、一体どんな風景になっていたのだろうかと想像してみる。


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