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今さら仕事か家庭か、台風10号の後先

 台風前日、難病の患者さんのご自宅に次男と一緒に養生テープを届ける。この家で初めての雨戸閉め、家の周囲の飛散対策、台風情報の確認を何度も何度も。
 そして台風当日、朝から夫婦喧嘩勃発。原因は水の確保、かみさんから3日も前から水を確保するように言われていたのにしてない上に、昨日からどこも売り切れ状態、無いものはしょうがない。その後、どこでも司令塔として、派遣体制の確認、ヘルパー派遣が出来ない会社のカバー体制づくりなど、あれやこれや。零細事業所だけど利用者さんヘルパー合わせると約80名の所帯は、平時もガチャガチャとして常に何か起きているのに、非常時ともなれば、それはもうなかなかの右往左往ぶりだ。何と言ってもへっぽこ管理者の私が、答えを持たないことや、何かにつけて現場主義の臨機応変を由とするものだから、フォローしてくれるスーパーサ責3名が居てくれるお蔭で回っているようなもの。今回もそう、この場を借りて、現場のサ責さん、ヘルパーの皆さん、ありがとうね。
 余談ながら、そんなバタバタを横で見ていて、かみさんが「我が家にも障害者が居るのよ」と、2年に1回くらいの決まり文句を投げて来る。まあ2年に1回だから、これが16回目か。最初の5回は平に謝り、言い訳をたくさん言ってみた。次の5回は言われなくても分かっていることを、いくつもの事例を出して理路整然と伝えた。さらに次の5回は、ごにょごにょと言わなくても分かっているだろうと、時間が冷却し忘却に追いやってくれるのを待った。そして、今日だ。言ってみれば、会社と家庭とどっちが大事かみたいな、答えなんてどちらでも結果は一緒で、結局、その後の行動が答えを出してるわけだから仕方がない。だから今日の気分で会社が大事だと言ってやった。早く時間が解決してくれますように。怖い怖い。
 その後も利用者さん宅に養生テープを届けたり、自家用車を持たないヘルパーを利用者さん宅まで送迎して帰宅して、昼はかみさんが大量に買い置きしてあるカップ麺を食べる。昼過ぎに我が家と同じで家族に障害者が居るお隣さんと避難場所と避難のタイミングについて打ち合わせをする。結論として、水が出始めたら避難場所の中学校まで行って、駐車場の車の中で台風が過ぎるのを待つということになった。お隣さんは子供さんのてんかん発作で皆が驚くから、我が家はかみさんがトイレを使えないからというのが理由だ。
 日曜日から月曜日に曜日が変わった。昨日15:30に警戒レベル4が出て以降、雨風が少し強く断続的になった程度で、雨音風音を気にしながら晩御飯も作って風呂も入って、洗濯機も回して、普段と変わらない生活、違ったのは外の様子と天気予報を確認したり、いつでも避難できるようにと子供らと交替で寝たり起きたり、合間にFuluでB級映画を観たり本を読だりしながら、台風が通過するのを待ったこと。
 朝になり雨戸を開けて、青空を見上げる。台風の翌日は必ず、枕草子の「野分のまたの日」という言葉を思い浮かべる。高校の古文で習ったのかな。野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。台風の翌日はしみじみとした趣があって面白いという意味らしい。1000年も前に清少納言が思ったのかと思うと、いとおかしだわ。
 それで、午後から利用者さんとこに様子伺いをして、遅い出勤、事務所廻りに被害がないことを確認、デスクワークを少しして、早目に帰宅して、家の周りの雑草取り、ゴミ袋45ℓを2つばかり、かみさん入浴介助、いや、かみさんとお風呂、どんなに喧嘩しても、悲しいかなトイレとお風呂は一緒だ。いやいやトイレ介助と入浴介助はするのだ。右利きだから右手9割に左手1割を添えて、かみさんの腰に右手を回して、抱え上げて左に振り回すように、車椅子から便座、車椅子からシャワーチェアへと移乗すると、必ず、逆向きの動作で移し替える。その繰り返しが、左腕と右腰に徐々に負担が蓄積されて来ている今日この頃だ。65までは難なくやれそうだけど、その先もやっていけるだろうか。鍛え続けるしかないか。明日は自転車で通勤しようっと。

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