見出し画像

書くこと

 小学校の夏休みあたりだったかな、母親からやれ本を読みなさい、やれ日記を付けなさいと、毎日のように口うるさく言われていて、言われた日だけ、あったことを一言だけ、二言は書けなかったな。小中と読書感想文なんか書かされて、これがまた大嫌い。本文なんて読まないから、目次とあとがきから、あらすじを拾い集めて、良かったとかなんとかベリーショートに感想を書いて、原稿用紙の埋め立て作業完了で苦行の達成感だけを味わって提出。中学校3年あたり、思春期ともなると、片思いの好きな子に下手くそなラブレターを出してみたりもした。高校生になっても書くことはせず、無駄に浪人した2年間も、ギャンブルに明け暮れ中退した大学時代も書くこともなく、就職したあたりから、今日の仕事はつらかったと、時々の出来事や思いを日記に書き始めた。次に社会人大学での読書感想文で何かの間違いで優秀賞を取ったら、学内の広報部の抜擢されて、毎月の広報誌の編集を始める。これが全寮制の3年間の学園生活では、皆の息抜きの一つにもなったみたいで好評を博してしまった。まだワープロの時代、オアシスの親指シフトでがっちゃんがっちゃんと入力していたな。

 転職してからはシャープの書院にお世話になって、転職してこの業界に入ったら、パソコンでの会議資料づくりの繰り返し、一つの会議に思いを込めるように「はじめに」や「まとめ」なんかを書き始める。いつしか会議の内容よりもコラムに思いを込めることに時間をかけ始めて本末転倒の時期もあったような気もする。年次事業報告も失敗事例に長々と思いを込め過ぎては役員に叱られること度々。数年に1度、思い出したように懸賞作文に応募するも落選、書く技術なんて学んでないし、才能も月並みだから当たり前か。それでも何かの縁でご当地版「団地新聞」に毎月自由コラムを3年間、書かせて貰ったのは、とてもいい勉強になった。

 そう、だから読むことも好きだけど、いつからか書くことも楽しくなってしまった。どこかへ出かけたら書く。何かあったら書く。何もしてなくても、ふと思いついたことはメモしておいて、時間のある時に、そのメモを引っ張り出しては、その周辺あたりから書き始めると、もう楽しくて堪らない。書いたら下手くそでも、誰かに読んで貰いたいと、ついついSNSやらなんやらで見せびらかしてしまう。

 世相のぐるりのことなどは、とてもじゃないけど書けないけれど、自分まわりのことなら幾らでも書けるし、まだまだ書きたいことが山のようにある。ただ、ほとぼりがまだ覚めてないことや、時効待ちであったり、文字に置き換えることも憚られるバカ臭いことであったり、深い闇であったりするものもあるから、まあぼちぼち書き続けよう。きっと私はここにいるぞなんて小さく叫びながらも。自己顕示欲だか承認欲求あたりを控えめに満たしたいのかも知れない。だから今日もつらつら、つらつらと駄文を書き散らかそう。

ここで頂く幾ばくかの支援が、アマチュア雑文家になる為のモチベーションになります。