見出し画像

年初の挫折

 1月2日は走り初めだ。今年はロングライドを極めるぞとばかりに、年末あたらからYoutubeで、持ち物をチェックしたり、汗冷え対策をしてみたりして、しっかり知識を詰め込んでみた。
 目的地は90キロ先の南延岡、1981年に国鉄に入社して延岡保線区に配属、その時4年間過ごした思い出の詰まった独身寮と、給料をそっくりつぎ込んだ西の丸パチンコを見たかったと言うのが選定理由。さらに、片道ではなく往復して延岡日帰りにチャレンジしてみた。
 6時15分出発、往路は三重、唄げんか大橋経由、単純に考えても昼までに延岡に着かないと、平地の巡航速度を上げて、登りは筋肉に出来るだけ負荷が掛からない感じで走るようにしたつもりだった。
 休憩は唄げんか大橋で10分、北川はゆまで10分、ただ薄曇りの今日は走り始めも寒くて、走ってひと汗かくと冷たくて、さらに走ってひと汗、汗冷えの繰り返し、おかしいなぁ。YouTubeの言う通りの重ね着をしたのに、値段の問題か。11時半くらいにやっと陽がさして来たら、それが暖かいのよ。冷たい風に晒され続けて緊張した身体が解ける。そんなこんなで、南延岡にはちょうど12時に到着、片道約6時間、これなら行ける。
 南延岡の当時の青年寮はそのままの姿で今も青年寮として建っていたのに感慨一入、飲めない焼酎を飲まされ続けた青年寮、チンピラに友達が出来て、私以外ほとんど殴られてしまった青年期、寝坊して上司が部屋まで乗り込んで来た青年寮、飯が不味かった青年寮だったなぁ。お世話になりました。そして線路を渡ったところにある西の丸パチンコ、仕事が終わると組合活動のない日はパチンコ、来る日も来る日もパチンコ、稼いだ給料は皆つぎ込んでいたら、ある日、パチンコ屋の従業員が店を休みにしてハワイ旅行に行きやがった。翌年も翌年も、店員の愛想も良くなるばかり、お陰でパチンコと縁を切ることが出来た。
 続いて、旭化成の匂いに包まれながら腹拵えは、やっぱりおぐらのチキン南蛮、あら美味しくないではないか、ショック。12時30分過ぎに復路攻略に漕ぎ出す。休憩することなく、ゆっくりと進む。いや、既に脚に来てて飛ばせない。おまけにサドルがガタ付き始めて、何度締め直しても固定しない。漕ぐ程にケツが前に落ちていく、100メートルで落ちて引き上げる。ケツが痛み始めた。
 悪いことは続くもので、トンネルで点けていたライトが充電切れ、モバイルバッテリーに繋ごうとすると、持って来たのは携帯用のライトニングケーブルのみ、ライト充電用のmicro USBケーブルを忘れているではないか。延岡から佐伯までコンビニはない。やばいぞと思いながら、宗太郎駅に着く。列車が1日に2、3本しか止まらない秘境駅らしい。記念撮影だけのために寄ってみた。これで宗太郎峠制覇だ。
 次は約8キロ先の重岡、駅間が遠い。恐らく、この状態で装備的にも体力的にも大分までは無理、もっと正直に言えば佐伯までも厳しい。ヒッチハイクもいいけど、こんなジジイは先ず止まってはくれまい。重岡まで頑張って、タクシーで佐伯駅まで運んで貰うか、高いよなぁ。
 待てよ佐伯に友達が居るじゃないか。ダメ元で連絡してみたら、ひとつ返事で引き受けてくれた。佐伯の女神だ。準備してから出る言うので、もう一駅先の直川駅で待ち合わせることに、脚は既に限界、この状態で10キロ先を目指すも、これで最後と思うと、漕げるのが不思議だ。
 無事に直川駅で合流、ここで輪行袋に詰め込んで佐伯駅まで積もる話をしながら送って貰いました。女神がまたいつでもどうぞだって、嬉しすぎるわ。
 待つ時間10分でソニックの車中も人となり鶴崎まで、降りてもライトが点かないから、皆春のヤマダ電気でチビライトを買って、予定通り19時に自宅に帰って来ることが出来た。総走行距離150キロ。まとめとして、真冬のソロのロングライドはしない。寒くて寂しいから。

2021年1月2日

ここで頂く幾ばくかの支援が、アマチュア雑文家になる為のモチベーションになります。