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ガラクタ

 子供時分の昭和30年から40年代、野駆け山駆け、学校帰りの道端や広場、路地でと、まああらゆるところが遊び場だった。団塊の世代の父親たちの人生の本流の脇で、ちょこまかと垣間見ていた景色には、完成品と呼ばれるような到達して形を成したものがまだ少なかった頃だった。朽ちかけそうなあばら家と建設中の構造物、打ち捨てられた部品と建設資材にスクラップたちが至る所に雑に積まれ、緩い管理の中でそこここに放置されていた。

 探検と称して団地の奥の林野に分け入ると石切り場があり、大小様々な石と切り崩される途中の崖、大きな水たまりにはフナでもメダカでもカエルでも、ミズカマキリにゲンゴロウからタガメまで、何でも捕れた。道端の水たまりで赤土を捏ねると、すぐに投げ合える泥団子が出来る。学校帰りには磁石を紐で引っ張っぱると砂鉄が集まる。あちこちで拾い集めた釘と一緒に近くの鉄工所に持ち込むと、ちょっとした小遣い稼ぎも出来た。

 空地にはやっぱり昭和ならではで土管が積まれていたり、海砂の山があったり。土管は遊具となり、海砂を浚っては綺麗な貝殻を発見する遊びもやった。道路はまだ未舗装が殆どだった。雨上がりにはあちこちに水たまりが出来て、ズックのままケンケンパとわざと水たまりをめがけて飛び込んで遊んでもいた。

 道々の匂いの記憶もある。泥水に油や錆びた鉄が混じって、蒸気機関車から吐き出された煤煙を塗した匂い。田畑に散在していた肥溜めの匂い。ばた屋のリヤカーが引き連れて来る残飯の匂い。あの当時、臭いと逃げ回ってはいたけど、今のように異臭なんて言って、身の回りから遠ざけることはなかった。いつもいろんな匂いに囲まれていた。

 匂いと言えば、近くに鉄道病院があって、敷地内の隅っこにゴミの集積場があった。当時は医療系廃棄物なんて括りはあったのだろうか。薬の瓶から注射器に注射針まで、渦高く廃棄されていて、そこも宝探しの遊び場と化してした。目的は綺麗な注射器だ。消毒液と薬品の混ざった異臭の中に素手を突っ込んでお気に入りの注射器を探して持ち帰っては、ままごと遊びや水鉄砲の道具としていた。今考えると恐ろしい話だ。

 とにかく室内で遊ぶような玩具やゲームは年に1度、買って貰えるかどうかの時代だったから、身の回りのあらゆる未整理状態の物が遊び道具になり、ワンダーランドと化す、そんな時代で育ったのだ。だからなのか、私は限りなくエントロピーの高い状態にある物が好きで、郷愁すら感じてしまう。そうすると、不思議なものでエントロピーの高い方から私のとこに、やあと声を掛けて来るようになってしまう。まずは身近なところで言えば、台所やら倉庫がそうだ。生活が回っていれば、定期的に自動的にどこかに乱雑さが吹き溜まってしまう。乱雑になれば片づける整理する。さらに、知人の引越しゴミを片付ける。誰かのゴミ屋敷を片付ける。粗大ごみを分解して、使える部品を選り分けて、不要部分を最小化して捨てる。なんとも楽しい作業であり遊びなのだ。

 団塊の世代とその周辺の人、私も含めてだけど、来し方に染み付いて離れない習慣、癖のようなもとでも言うのだろうか、平たく言えば物を捨てられない、物を大切にするある意味素晴らしいスピリットがある。私の片付けボランティアの経験から言うと、何年も袖を通してないであろう衣類たち、販促のタオル、アメニティの石鹸や髭剃り、夥しい数のボールペン、鉛筆などの文房具類や紐、包装紙、紙袋、ライターに乾電池、何故かメガネ、未開封なのにカラカラになった紙おしぼり、木やプラ、針金のハンガー、台所に行けば漬け過ぎの数々の漬物瓶、賞味期限切れの調味料たち、庭に行けば園芸屋さんかと思うほどの植木鉢、瓦、レンガ、不燃物になる一歩手前の鍋や食器類、現役を終えて行き先が分からない家電製品とか消火器など、とにかく、いつか何かの役に立つかも知れないからを合言葉に取り置きされて溜まっているのだ。

 最近はYoutubeでも、里山古民家の片付け再生動画や、ゴミ屋敷やっつけ動画を好んで観ることが増えた。実に面白いし、勉強になる。乱雑に置かれた物を、一定のカテゴリーに仕分ける作業の繰り返しの映像をただボーっと眺める。聞き流すだけで身に着く英語学習のようなもので、観るだけでなるほどなとノウハウが身に付いて行くのがいい。

 そうそう、そうやってガラクタたちと格闘していると、どこからともなく聴こえてくるのは、玉置浩二の「ジャンクランド」だったら格好いいのかな。以上、ただガラクタが好きだという、それだけの長話にお付き合い頂いて、ありがとう。20220403

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