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いとこのともちゃんへ

 土の色、風の音、藁の匂い、半世紀も前なのか、時間に晒されてボロ雑巾のようになってしまった記憶、浚ってみようか。
大分から車で野を越え山を越えして約7時間、熊本の三角港に着く。フェリーへの乗込みを待つ間に、港に並べられた沢山の水槽、中には有明海で獲れた魚介類が泳ぐ。車ごと飲み込む大きなフェリーで海を渡る。デッキからは海に浮かぶ天草の島々が近づいては遠ざかる。島原が近づいて来る。ここまででも十分に楽しい。さらに外港に着いて、フェリーの大きなハッチから車ごと飛び出す。細い田舎道を曲がりくねると、懐かしい風景が近づいて来る。
 さて、深江に着くと、まるで外国に来たのかと思うくらいにきつい方言で歓迎されて、指が曲がった爺ちゃんと、顔が皺だらけのばあちゃんが優しくしてくれて、ふさえおばちゃんがいろんな匂いがしみ込んだ割烹着で世話をやいてくれて、藤和おじさんの曲がった指を引っ張るとオナラガ出る仕組みに腹を抱えて笑って、最初はぎこちなく両親の影に隠れていた従妹たちが、あっという間に仲良しになって、連れ立って遊ぶ。夏の友なんて持って来たのも忘れて飛び回って、花火を見て、精霊流しを見て、海にマテガイを採りに行って、スイカを食べて、前のせっちゃんの店で素うどんを食べて、夜になると蚊帳が張られて、緑色の荒い素材の手触り、珍しくてはしゃいで、冬はとにかく固いせんべい布団が敷き詰められ、そこでの雑魚寝が楽しくて、ちょっとした8時だよ全員集合状態だ。昼間は畳屋の作業場や畳と藁だらけの倉庫やら、土間に奥戸に羽釜にポンプ。離れのぽっとん便所に五右衛門風呂、つきみ姉ちゃんのセーラー服が眩しくて、とし坊が森昌子が好きで、初めて会ったともちゃんはまだ赤ん坊で、コロコロして目がぱっちりの美人ちゃんだった。それはそれは可愛ゆくて、いつも年上の従兄たちの後ろの方で、恥ずかしそうに皆の遊びを眺めていて、さらにその後ろには、はしゃぐ私らを誠おじさんがいつも笑顔で目を細めて眺めていた。
 私もともちゃんも物心がつく前から、盆正月は必ずと言っていいくらい、父親たちの里帰りに連れられて深江に帰ってたわけで、子供心の記憶には、いつもニコニコと遠慮がちに笑うともちゃんの姿だけが朧げに残っている。時をかける少女が時を超えるというのは、きっとこういうことなんだ。半世紀ぶりに会ったともちゃんは、あの頃の面影を残して、笑顔がそのままで優しさもそのままだった。あれから会うこともなく離れた土地で過ごしたお互いの半生は、伝え合う必要もないくらいに、よう頑張ったねと、心の声が聞こえるように、解けて行くものがあったよ。だからと言って、向き合って話したところで、それほど共通の話題があるわけでもなく、言葉は途切れて行く。それでも、どこかで通じているともちゃんがそこに居てくれる。なんだかいつまでも始まることのない老いらくの片想いって感じだわ。語り尽くせない思いはあるはずだけど、記憶が風化していて、このくらいが限界みたいだよ。この前のツーショットんぼ写メは私も永久保存にしとくよ。でも時々は更新しようか。共に白髪の生えるまで、これからも一緒に年を取って行こうな。ともちゃんへ(叔父さんの一周忌に寄せて)
2019年7月3日

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