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秋の放物線

10月に参加する100キロウォークの練習、夕食後の今夜も10キロのウォーキング、連続10日を目指して、着替えたり携帯を持ったりと準備中、出で立ちはTシャツにハーフパンツをはいて紐を結び、小さなランニングバッグに携帯やらペットボトルを入れて、さあ歩き出そうかと立ち上がると、あれれ急な尿意が押し寄せて来るではないか。そう言えば最近と言うか、還暦を過ぎたあたりからオシッコの回数が増えたような気もしないでは、などと思いめぐらせていたら、やばい我慢が、いや、おしっこがそこまで来ている。トイレに駆け込む。ハーフパンツを下ろそうとするも、紐で縛っていて下りない。漏れる。どうしょうと考える間もなく、ハーフパンツの左足側の裾のところから手を突っ込んで、そのまま左太ももから小さな倅をつまみ出して、しばし放尿の解放感に浸る。間に合った。人心地ついて、倅を戻そうとした、その刹那に、何とも懐かしい景色が走馬灯のように蘇るではないか。
秋の夕暮れ、ススキの上を赤とんぼが舞う。その前に並んでつるつるのポコチンを出して、腰をこれでもかと突き出して連れしょんする悪ガキたち。「あした何して遊ぶ」と誰かが言うと、声だけの返事でいいのに、わざわざ身体ごとこっちを向いて、「そやなぁ、なにしょうか」と悪戯顔が笑う。当然、前に向いてた放物線も横に居る奴に向きを変えて、ひざ下あたりにかかる。「うわー、やったなぁ」と、かけられた方も向きを変えて応戦、こうなると巻き込まれまいと、悪戯な放物線から遠ざかろうとするけど、何といっても10数秒かそこいらの出来事、止めることも出来ずに、放物線を蛇行させながら移動する者、止まってないのに、しまい込んで手も半ズボンも濡らしてしまう者、阿鼻叫喚の大騒ぎ、楽しかったなぁ。
あの当時は、子供も大人もどこでも立ちしょんが許されていた昭和40年代あたり、子供らもその作法は様々で、右利きの奴は左から出すのだけど、これをやると安いパンツは片側だけが伸びてお袋に叱られてたなぁ。正統派はちゃんとジッパーを下ろして出す。他にも半ずぼんをずり下げて出す、この最後のケースは必要最小限に下げる奴と年少組は膝下までドンと下げてケツ丸出しの奴まで、いくつかバリエーションがあったことを、手なんて洗ったこともなかったこと、橋の上やら、校舎の屋上から、きれいな放物線を競った、あの古き良き時代を思い出して、一人ニヤつきながら、夜の街にガオーと歩き出す61の夜なのでありました。

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