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その時、家族の歴史は動いた

 家族の歴史が動く瞬間がある。もちろんプラス方向の動きとマイナス方向の動きがあるわけだが、FBではまだ暫くはプラス方向の出来事を書くことにしよう。かつて私の父とかみさんとの緊張関係がある日を境に、解けた瞬間があった。その時、ああ、我が家の歴史が動いたぞと思った。そんな歴史的な瞬間がまたやって来たのだ。断っておくが、傍からみたら大したことではない。
 土曜日の昼のこと、外から昼飯を買って来た私に、長男が嬉々として、次男が車の免許を取るよと言う。はぁ、何かの間違いやろと言うと、マジ、これから自動車学校の入校式に連れて行くから、昼飯は後でと言って、次男と連れ立って出かけて行ってしまった。ポカンと取り残された。かみさんにそのことを伝えるも、同じく、ええっという表情で固まる。信じられずに、これまでのことを回想する。
 あれは平成22年12月、嫌がる不登校の次男を何とか説得して、長男のぷーたろの同級生と一緒に早朝に運転免許センターの前にある免許ゼミナールに放り込んで、原付の免許を取らせたことを思い出した。あれから10年経つが、原付に乗ることもなく、車の免許も取ってもくれない。
 中一から不登校だった次男を何とか学校に行かせようとあの手この手を使ってみた。同じく不登校のお母さんたちにも相談したりもした。長男は長男で激しい兄弟喧嘩で通わせようともしたがダメだった。行き着いた結論は、その他大勢が選択しない学校に行かないという選択をしたことを由としようという家族の合意だった。
 その後、高校も入学するも除籍となり、そのまま引きこもりになるのかと心配していたところ、NPOでのパソコン教室の講師が性に合ったようだ。ネットで見つけて来た自己診断の場面緘黙症と言って憚らないくせに、パソコン教室で講師をやってる時は声を張り上げているという不思議な状態で働くようになって、その後、会計事務所の在宅ワークからパソコンサポートまでと、ほんの少し外に出て行くようになった。放っておいても変わって行くのかと感心したものだ。
 ただ自動車免許だけは頑として取ってくれない。何度も頃合いをみては自動車免許取得を勧めてみるも、テレビなどから流れて来る悲惨な交通事故報道の影響もあって、事故を起こすことの不安と必要性のないことを理由に踏み出してはくれない。ここ数年は、バスを自在に乗りこなして必要な通勤移動をするし、ミニベロで近所の買い物は済ます。もう私も次男の免許取得は生涯ないものと諦めていた。
 ところが、諦めの悪いのが長男だった。入校式に連れて行った長男に聞けば、この数年も折を見ては説得交渉を試みていたと言う。そしてついに金曜日、突然に次男がパソコン教室が始まる前にワクチンを打つと言って九州電力の接種センターに出かけて行ったその夜、長男がここが頃合いとみて話してみると、それほど渋々でもなく苦節10年、首を縦に振ったと言う。きっと背中を押して欲しかったのだと長男は言う。そ、そうかと、ただただ父親の威厳が落ちない程度に首を縦に何度も振るしかなかった。後は、自動車学校も不登校にならずに卒業して貰うことを祈るばかりだ。

20210823

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