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ドジョウの鳴き声

月に2回くらい行く馴染みの弁当屋(花高松のマー君弁当)、ここがやたらに旨くて、やたらに広い待合スペースがある。夕食時にもなると、店で働く老夫婦の孫たちが保育園あたりから帰って来るのか、子供たちの遊び場となり、お迎えに来るお母さんたちと、弁当の出来上がりを待つ客で賑わいを見せる。そんな見慣れた待合スペースに、その日は見慣れない水槽がぽつりと置かれていた。近づいてみると、元気なドジョウがたくさん泳いでいる。このドジョウ、どこかで買って来たんですかと聞くと、日頃口数の少ない強面の店主が、苦笑いしながら話してくれたいい話がこうだ。

厨房の中、弁当づくりの手を休めることなく、いやいや、魚釣りが好きでね。釣具屋で泳がせ釣り用のエサにドジョウを買ってみたのよ。川と海の境目あたりで、さあでかいのを釣るぞと意気込んで、釣り針にエサのドジョウを引っ掛けようとしたら、ドジョウの奴が身をよじってキューキューと鳴くのよ。針は痛いから止めてくれ、キューって鳴いてるようで、その鳴き声を聞いたら、もう可哀想になってしまって、もうその日は泳がせ釣りは止めて、早々に引き上げて、さあ、こいつらどうしたものかと、とりあえず水槽に入れたってわけですよ。あらら、こいつらが命拾いしたドジョウですか。お前たち良かったなぁ。すると店主が、ただね、ここで買うとこれから先は店を閉めてる間、室温が上がり過ぎて、煮えてしまうと思うと、それもまた可哀想でねと悲しそうに言う。なんだか昔の人情話に出て来そうなエピソードにやられてしまう。

そうですか、この8匹のドジョウ、良かったら我が家で引き取りましょうか。既に3匹いて仲間を探してたところなのですよと言うと、そんなことなら、いつでもどうぞと、養子縁組の話はまとまったところで、注文した弁当が出来上がる。調理場にいつも一緒に居る奥さんから出来上がりの弁当を受け取り、店を後にする。帰り道は気持ちが踊ると言うか、ほかほかとした心地良さが次の日まで続いたんだよね。

そして翌々日の今日、子供みたいにバケツとすくいあみを持って、マー君弁当に行く。和風ハンバーグ弁当とデミグラスハンバーグ弁当を注文する。娘さんも手伝いに来ていた様子、子供みたいで申し訳ないですと、照れながら、娘さんと一緒に8匹の元気なドジョウをすくう。もう楽しかったぁ。お礼を言ってお礼を言われて、8匹のドジョウと一緒に62歳のおじさんの心もスキップしたのですよ。どうです、いい話でしょ。

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