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夏の思い出

 今日も晴れたので自転車だ。いつも同じことを言い訳してみる。大洲運動公園からスタート、ペダルを漕ぎだす瞬間から、恐らく身体中の全細胞が意識することなく連携してバランスを保持、そしてその状態が脳に心地よい信号をフィードバックしてくれる。照り付ける強い日差しまで気持ちいい。
 餅が浜の松林に取りつく時に見える海と空、遠くの積乱雲、いつも子供の頃の夏休みを思い出す。夏休み前夜、夏の友に40日間の出来ない計画を書くのが楽しかった。そして夏休みの初日、これから毎日、明日があるさを繰り返すことが出来る。嫌なことを次々と先送り出来る。2学期の始まりは遠い遠い海山の向こう。回想は続く、家族でよく行った日吉原海水浴場、松林の中、松葉混じりの砂に足を取られながら浜に出ると、焼かれた砂が足裏をくすぐる。波打ち際に突進して行く。
 波打ち際の思い出は続く。もうすぐ長男の誕生日がやって来る。31歳になるのか。こいつとも毎年、海水浴に行ったなぁ。あれは大志生木海水浴場、海の中ほどに飛び込み台があるのが特徴だった。若かったから、沖に目印として浮いているブイまでへっちゃらで泳げた。長男にクマの顔付き浮き輪を被せて、沖へと引っ張る。砂浜のかみさんと次男がどんどん小さくなる。はしゃぐ長男、沖のブイまで来てしまった。不安顔の長男、楽しませようと浮き輪に付いてるクマの顔を持って、ぐるぐると回す。長男はしゃぐ。ぷしゅーという音と同時に、長男の浮き輪が萎む。完全に空気が抜けてしまう。長男が沈みかける。立ち泳ぎで支える。落ち着け落ち着け。長男この時4歳、私の首に両腕を回して掴まるようにする。周囲には誰も泳いでいない。長男を背中に乗せて、平泳ぎで岸を目指す。長男の浮き輪頼みで来た距離は、泳いで戻るには遠い。残る力と近づかない岸との距離の配分計算を本能的にしながら必死で泳ぐ。なんとか飛び込み台が近づいて来た。もう一息、もう一息、台に手が届くも、長男を上げる力は残っていない。中学生に声を掛けて、長男を上げて貰う。私も引っ張り上げて貰う。飛び込み台の上でしばらく呼吸と筋力の回復を待つ。そこからかみさんと次男が待つところまで、長男を背負って再び泳ぐ。忘れられない思い出だ。教訓はあの手の浮き輪はヤバイと言うこと、翌年から頑丈な浮き輪を持って行くようになったことは言うまでもない。
 私は長男の命の恩人なのだと言うと、長男は長男で同じ年の夏に、風呂場で水遊びをしていた時に、誤って浴槽に沈んでた次男を必死で引っ張り上げて、大声で庭でバーベキューに興じる私たちに伝えてくれたことがある。駆けつけると泣きながら、沈みそうになる次男を両腕で支えていた。長男は次男の命の恩人と言うことにもなっている。なんの話をしてたっけ、そうそう、今日の走行距離は42キロ、体重は66キロ。

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