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経糸の件

 何故こうなるかな。まあ我が家のかみさんは難病でそれに伴う障害はゆっくりと進行性なわけだから仕方ないと言えばそれまでなんだけど、老化じゃないのかとの意見はさておいて、手元不如意のため細かい作業をアウトソーシングしてしまった結果がこれだ。

 私と次男での経糸通し、ついに次男まで駆り出されてしまった。見た目にはファミリーの全面的な協力という絵と、逆に家族の負担が日常介護から余暇活動にまで及んで来たという二つの絵として見えて来る。このことは将来的なことを考えるに、よく聞く話しでは、障害児を親が介護する場合の親亡き後の問題に似て、私亡き後の問題をどう捉えるかという大問題に行き着くことになる。さて、かみさんはどう考えているのか。還暦を過ぎたあたりから、よくどっちが先に逝くかという話を冗談半分ですることがある。

 どうなんだろう。結婚当初は20代で亡くなった同病の1リットルの涙の彼女のように、私は短命なのよと言っていたのに、一向に命が縮まって行くような気配はないばかりか、100歳までも生きそうな勢いだ。私はと言うと、象とネズミの心拍数と寿命の関係が明らかにしているように、自転車でやたら心拍数をあげている分、動きがゆっくりなかみさんに較べたら、間違いなく私が先立つと思うのだが。

 そうだとすると、今から家族以外に支援を任せる練習は必要ではないのか。例えば、月に1回はショートステイを利用してみるとか。以前にかみさんが別府に9カ月間、単身赴任した時のように、男3人水入らずの生活も出来るし、時には私も自転車で1泊2泊の旅も出来るというわけだ。

 さて、「縦の糸はあなた横の糸は私 ~」と中島みゆきは歌っているけど、「まわるまわるよ時代はまわる~」とも歌ってくれている。織りなす布も、幾星霜、風雪に耐え抜いた布も、暖かかった時期が過ぎてあちこちに綻びが出て来るんだな。かみさんの好きな綾なす織りの作業は、かつて機織り教室に通う時にヘルパーをつけてはならないという行政との決着のつかないやり取りがそのままになっているように、我が家の内外にこれからも様々な問題を投げかけてくれるに違いない。

 この経糸張りをどうして興味の欠片もない男二人がやっているのか、釈然としないままに約1時間、通し終わった時の微妙な達成感と、これからもこの状況は定期的に訪れるであろう不安感に次男と顔を見合わせ、終わった報告をしようと振り返ると、かみさんは車椅子に座ったまま居眠りしているではないか。達成感が徒労感になり釈然が呆然となった。落ち着け落ち着け次男と私。20230525

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