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これでいいのだ

 あらあら、64歳になってしまった。そうだ、北を目指して走り初めだ。大晦日に読み終わった「淳子のてっぺん」(唯川恵著)、登山家の田部井淳子さんをモデルにした幼少期から女性初のエベレスト登頂までの軌跡、これで気持ちの充電は完了だ。
 6時に起きて、前日から準備していた装備を確認、かみさんのトイレ介助に食事の準備、出発したのが7時半。気温ー1度、まずは春日神社で初詣、露店も並んで、なかなかの人出、8列縦隊で参拝、我が家のお守りとお土産代りのお守りも買って先を急ぐ。赤松峠を越えて立石峠を越えて、宇佐神宮を横目に見ながら先を急ぐ。山国川を渡ったのが12時半過ぎ、今日の最初の目的の一つは豊前市の渡邉先生(元中津北高書道部監督)に会うこと。
 到着10キロ前でお伺いすることを伝えるという不躾な訪問にも関わらず、ご家族で歓迎して頂いた。先生もALSの進行はあるものの、まだお喋りは十分に出来る。奥さん、娘さん、お爺ちゃんお婆ちゃん、教え子だという取材カメラマン、自薦ヘルパーさんとその家族の皆さんで、それはそれはとっても賑やかで温かい家族と支援者に囲まれて病気と闘っている。ついつい楽し過ぎて長居をしてしまった。
 先生宅を出たのが15時半、次の目的地は恒例となっている利用者Kさん宅にお年始イベントに向かって19キロを走り抜ける。まずはカルに挨拶、おりこうさんだ、一緒に写メに入ってくれた。ここまでが114キロ、Kさん宅でもヘルパーさんとご両親と、よく来たね、自転車で来るなんて絶対に変態だわみたいな話で盛り上がった。こんな話ってライダー冥利に尽きるのよ。それで挙句はお節に雑煮まで遠慮する素振りだけ見せて、調子に乗ってがっつり食してしまった。お母さん、旨かったです。
 さて、今日の3つ目の目的が、実は日帰り200キロ、去年、南延岡までの往復の200キロにチャレンジしたらライトのトラブルで145キロでリタイア。今年はどのタイミングでチャレンジするのか考えていたところ、お二人に会いに行くタイミングで200キロ走ったら一石三鳥で全部こなせるのではと甘く考えていたら、案の定、厳しい選択を強いられることになった。陽子さん宅を出る時は17時半で、これから自宅まで走れば200キロの勘定だけど、ここは期待通りにしっかり陽子さんが引き留めてくれた。渡邉先生とこでは、200キロやりますと宣言してしまった手前、Kさんまでが、頑張って漕いでね、なんて言われていたら、今頃はまで泣きながら真っ暗な立石峠、赤松峠を越えていたと思うと、Kさんの強い言い方に感謝だわ。仕方ないな、そこまで言うんだったら、中津駅まで12キロ走って、そこから輪行で帰るかと、なかなかの残念そうな表情を残して中津駅まで走ったけど、夜道をライトを頼りに走るのは、それはそれはヨダキイ限りで、ソニックに乗り込んだ時には、自転車のサドルで散々痛めつけられてたケツを柔らかくて暖かい座席に身を沈めると、あーこれでいいのだ、そうこれでいいのだと、バカボンのパパ並みに自己肯定をしてみては、登山家の田部井淳子さんには後ろめたい思い、そんな思い思いをない交ぜにしながら、車窓を走る街明かりが来た道をアッと行く間に辿る。このソニックは大分駅が終点、各駅に乗り換えて鶴崎駅へ、破れてチャックも閉まらない輪行袋から自転車を取り出して3キロ走って我が家に帰還したのが20時半、走行距離128キロ。いい誕生日だった。これでいいのか。20220101

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