「LADY」と「lemon」の相違点
今回の楽曲「LADY」は、大変好評らしい。
米津の楽曲は「暗号のように難解だ」と言われ、結構な数の歌詞考察が出ている。デビュー当初の「駄菓子屋商売」「しとど晴天大迷惑」などその最たるものだと私なんかは思う。
「LADY」の配信リリースを受けて米津が「結婚するのではないか?」「いやもう結婚しているのでは?」というツイートを見た。
楽曲「LADY」は、そんな憶測がでるほど今までの米津らしからぬ「言葉(表現)」が続く。
彼のプライベートな関係は知らないが、今まで隠していた右目を出し、ある意味「普通」に髪を分け、真正面からインタビューに答えた米津は、ファン達がざわめくような何か心境の変化があったのだろう。
「従来からジョージアを愛してくれているお客様を大切にしながら」
「より幅広いターゲットに新しいブランド価値を積極的に提案していく」」
これはそのまま米津の今の心境ではないだろうか?
つまり「従来」とは「ハチ時代」からのファンであり、「新しいブランド価値」とは、彼のビジュアルや「LADY」の曲を表しているように感じる。
「14年ぶりブランド刷新(さっしん)」するという「コーヒージョージア」
缶コーヒーと言えば、スーパーに売られているイメージより、自動販売機で売られているイメージが私なんかは強い。
コーヒーをたくさん飲むと言う米津。今回のジョージアのCMソングの書きおろしというのは、嬉しいものだっただろう。
誰もが傷つきたくないものだが、米津は「思い切り傷つきたい」と書いた。
一度別れた恋人同士が再び出逢う。この曲はよく聴けば「lemon」に繋がっている。
2018年の大ヒット曲「lemon」は当初「レクイエム」だと言われた。
だがそうではなくもう少し素直に歌詞を読んでみたら、「死」ではなく、恋人同士の「別れ」の歌にも聞こえる。
「傷つくことなどありはしない」は、もうあなたのような人には出逢えないとも取られ、「思いっきり傷つきたい」は、再びあなたに出逢えた喜びのような気がする。
「私欲」の反対語に「無欲」がある。
抜粋したこの歌詞は、どこか対義語となっている。
「私のことなどどうか忘れて下さい」という歌詞はどこか「無欲」に聞こえるが、私としては逆に「どうか忘れないで欲しい」という意味合いの「私欲」に聞こえる。
それとは逆に「考えた矢先に泣けてしまうくらい、日々は続く」は、こう言っては何だが、米津の成長というか「素直」さを感じる。
「素直」に表現してこその「無欲」だ。
これが米津の「両義性」だとも言える。
取り繕った言葉ではない。なりふり構わず「あなたが好きだ」と言う時、それはきっと「恋の成就」だと言えるだろう。
すべては似て非なるもの。ただ米津は言う。
「笑わないで聞いて欲しい。見つめ合っていたい」のだと。
「恋」と「愛」が、くっつく時「恋愛」という。
しばしば定義される「恋」と「愛」だが、これは似て非なるものというより、どっちかひとつ欠けても成り立たない、どこか酸っぱい「lemon」のようなものなのだ。
「右目の解禁」なのだと言う記事を前回書いた。
彼の視界はどう変わったのだろう?
以前、他人とは100パーセントは分かり合えないというようなことを書いた。なぜならどうしてもその人本人にはなれないからだと。
ただそれでも希求し、歪なる心を持て余す。
米津を通してそこに起きるさまざまなドラマを見てみたい。
新曲「LADY」は、とても爽やかである。
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