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米津玄師の「純粋」と「YANKEE」

米津がメジャーデビュー以降初めてのアルバムとなる「YANKEE」をリリースしたのは、彼が23才になった2014年4月。デビューした翌年である。
2011年東日本大震災から2年後、米津がメジャーデビューを果たした2013年は、2020年夏季五輪が日本に決まった年でもある。

──僕、こういう仕事をしていて思うんですけれど、音楽を好きになるとか、アイドルを応援するとか、マンガでもアニメでもなんでもいいんですけれど、そういう些細なことが、米津さんの言う「呪い」とか「見えない手錠」を解くきっかけにもなると思うんですよね。誰かを応援したり、新作を待ち遠しく思ったり、そういう気持ちが生まれることで、少しでも社会とつながれるというか。ポップミュージックの役割ってそういうところにある気もします。

「音楽ナタリー」インタビュアーの言葉より

音楽ナタリーのインタビュアーの質問に対して、米津はこう答えている。

「WOODEN DOLL」MVより

そういうものでありたいなという気持ちもすごく大きいですね。やっぱり小学生や中学生くらいのときに、邦楽ロックとかアニメーションとかを手に取って、体の内側から裏返るような衝撃を受けた記憶っていうのがあるんですね。そういうものは今なお好きですし、やっぱりものすごいエネルギーを持っていると思いますし。そういうものが作りたいという思いは強いです。子供の頃の自分が本当に熱狂したものを思い返しながら、自分の曲もそうであってほしいなと考えて作ったので。

「音楽ナタリー」インタビューより

思春期に好きだった音楽は忘れられないものだ。繰り返し聴いて行くうちに、自分の一部になっていくように感じる。

痛みを呪うのをやめろとは言わないよ
それはもうあなたの一部だろ

「WOODEN DOLL」歌詞より


「WOODEN DOLL」MVより

人が自分自身に出会うのは、14才頃だと言う。そしてちょうどその頃聴いていた曲が深く心に刻まれるのは、まだ不安定な「心」と「身体」のバランスを取るのにその楽曲が、またはその楽曲を歌っているアーティストが、一役買っているのかもしれない。

生まれてから粛々と育ってきたのは、もちろん「心」も育ってきたのだが、それよりも「社会」での善悪であり、価値基準である。

ちゃんと話してよ 大きな声で さあ目を開いて わっはっはは
自分嫌いのあなたのことを 愛する僕も嫌いなの?
いつだってそうだ 心臓の奥で 誰彼彼も見下しては
見下される恐ろしさに 苛まれて動けずに

「WOODEN DOLL」歌詞より


「WOODEN DOLL」MVより

人間は社会的な動物であると言う。それは「社会」という集合体から、離脱した時に鮮明に感じる。子供に取ってそれは「学校」かもしれないし、大人にとってはそれは「会社」や自分の「仕事」かもしれない。
どこにも繋がっていない自分を感じた時、途方もなく恐ろしくなる。そんな経験を私もしたことがある。

「心臓の奥」とは、「心」というよりそんな「社会」のような気がする。
人間関係を上手くいかせるには、こう言ったら誤解を生むのだが、「人を見下す」ことでその人と対等、または優位に立つということを言った知り合いがいた。
同性同士、特に男女関係ではマウントの取り合いだ。
学校でのPTA(保護者と教職員との社会教育関係団体)や、クラスでの保護者の役員会でも誰に首輪をかけるか(誰がその役員の長となるか)と最初が肝心である。

それはまさに「誰彼彼も見下しては、見下される恐ろしさに苛まれて動けずに」なのだ。そしてそれは「処世術」という人の目をくらますフィルターだ。

話しが少し米津玄師からずれたかもしれない。先に音楽ナタリーのインタビュアーの言葉を抜粋したのは、学生時代の呪縛や社会での新人という位置を通り過ぎた後、ある種の空虚感が襲う、俗に言う中年という中途半端な時代を思ったからだ。

もう、黙り込んだ方がお得だ 否定されるくらいなら
その内に気づくんだ 何も言えない自分に
愛情や友情はあなたがいくら疑えど
一方的に与えられて あなたが決められるものじゃないや

「WOODEN DOLL」歌詞より


「WOODEN DOLL」MVより

米津のファンはボーカロイドの「ハチ」時代は、若い10代の人や20代前半の人が多かったと聞く。
けれど「lemon」以降は、40代以上のファンも増えたらしい。そして今では下は10代から上は80代まで、そのファンの幅は広い。

死にたいほどの悩みは、若い人だけではなく、年を取るにつれ複雑化する生活に絡み取られ、身動きを取れずにいる人も多い。
「黙り込んだ方がお得」なのは、大人もなのだ。そして思春期の子供たちが米津の歌を求めたように、その子供たちの親世代も、そしてそのまた上の親世代すらも、何かを求めて米津の歌を聴きに行く。

空虚感こそ「幸せ」の副産物だ。それは「社会」という価値観の中でそこそこの居場所があり、またそこそこに居場所がないと感じている、私たち「庶民」という立ち位置にいる人々が抱えている「寂しさ」と言ってもいいかもしれない。

あなたが思うほどあなたは悪くない 誰かのせいってこともきっとある
痛みを呪うのをやめろとは言わないよ
それはもうあなたの一部だろ
でもね、失くしたものにしか目を向けてないけど
誰かがくれたもの数えたことある?
忘れてしまったなら 無理にでも思い出して じゃないと僕は悲しいや

「WOODEN DOLL」歌詞より

そしてその「空虚感(寂しさ)」は、埋めようとするほど、どこか取りこぼしていくような気がしてならない。
「誰かを応援したり、新作を待ち遠しく思ったり、そういう気持ちが生まれることで、少しでも社会とつながれるというか」というインタビュアーの人はこう言ったが、米津の音楽と繋がることでファンは何と繋がっていけたのか?

そういうものが作りたいという思いは強いです。子供の頃の自分が本当に熱狂したものを思い返しながら、自分の曲もそうであってほしいなと考えて作ったので。

「音楽ナタリー」インタビューより


「WOODEN DOLL」MVより

そう語る米津はこの時23才、達観した言葉も多く発言している米津だが、とても純粋心を感じる。
加えてこの楽曲のMVの彼は、童話のような世界観の中で、聖火のような神聖な炎を大きな木偶に点火する。
それは子供時代の最後のパーティのようでもあり、大人に向けてのメッセージでもあるのだ。

どこにもないと泣く前にさ
目の前の僕をちゃんと見つめてよ

「WOODEN DOLL」歌詞より



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